第69話 白い部屋に妹と私
「おはよう、小景」
私の膝の上に座るお姉ちゃん。ここが白い部屋だということに私が気付くまでに、それほど時間はかからなかった。
お姉ちゃんもこの部屋を使えるという可能性が、すっかり頭から抜け落ちてた。確かにこれまで私しか使ってこなかったから、私だけのものだと、どこか勘違いしてしまっていた。
お姉ちゃんをどかそうと立ち上がろうとしたそのとき、私は初めて体の違和感に気が付いた。立ち上がれない。
私の足は椅子の脚に縛り付けられている。どうやら腕も縛られているらしく、目の前にいるお姉ちゃんの背中に腕を回した状態で手首をまとめられている。
つまり、私の縛られた腕の輪の中に、お姉ちゃんが収まっているという状態だ。
次に私は、まとめられた両腕をお姉ちゃんの頭上まで持ち上げて、腕の輪からお姉ちゃんを抜こうとしたけど、腕は上がり切らなかった。お姉ちゃんはここにも手を打っていた。
私に向き合って座るお姉ちゃんも、私の背中に両腕を回している。互いに抱き合うように交差した4本の腕。私の右腕とお姉ちゃんの左腕。私の左腕とお姉ちゃんの右腕がそれぞれ縄で縛られている。これじゃ腕も上げられない。
ひと通り脱出を試みたものの、すべて失敗に終わり、私は恐る恐るお姉ちゃんを見ることにする。縛られた腕からお姉ちゃんへと視線を移動させる間に、私は強気な態度を全身にまとう。
「ねぇこれ、はずしてよ」
私は腕を振るって不満をアピールする。
「やっとこっちを見たね」
お姉ちゃんは私の言葉を無視して話を続けた。その表情は不気味に見えるくらい朗らかだった。
「ほどいてってば」
「まったく、LINEくらい返してよ」
「ねぇ!」
「美華ちゃんも優里も心配してたんだよ?」
「お姉ちゃん!」
「部活にも行ってないんだってね?葵ちゃんからも連絡来てたよ。葵ちゃんは優しいね」
「無視しないでよ」
その瞬間、お姉ちゃんの表情から笑顔が消えた。
「それ、小景が言うんだ?」
「え?」
今までに聞いたことがないほど冷たい声。いつものお姉ちゃんからは想像もつかない蔑むような目。その全てが私に向いているという事実が、時間をかけて私の中に染みこんでいく。
「『無視しないでよ』って小景が言うんだ。小景、分かんないでしょ?私が何回電話かけたか。何回LINE送ったか。何回無視されたか」
そうだった。私は嫌われなきゃいけないんだ。それならもっとツンとした態度を取らないと。
「知らない。思う存分嫌いになれたでしょ?」
「小景。言っとくけどね、小景は確かにあのふたりの子だけど、その前に私にとっては妹だし、そもそも小景は小景なの。別に今更小景を見たって、あいつらを思い出したりもしない」
「……」
「傷跡だってもうないし、小景とこんなに近くても怖くなくなった。まだ、全部が大丈夫になったってわけじゃない。けど、小景がそのことで罪悪感を感じる必要なんてない」
私が一番気にしていたことが、お姉ちゃんの口から直接否定された。私は私。お姉ちゃんの加害者の娘じゃなくて、お姉ちゃんの妹。
「……それじゃあ」
嫌われる必要も、お姉ちゃんと距離を取る必要もないの?
私が疑問を口にする前に、お姉ちゃんが口を開いた。
「でもね?それはそれとして、私は小景のこと嫌いになったよ?」
持ち上げられた気持ちが、一気に突き落とされる。
「な、なんで?」
私はさっきのツンとした態度からは想像もつかないほど情けない声で、お姉ちゃんに理由を尋ねていた。
「小景だって望んでたじゃん?」
「そ、それは……だって」
「小景だって、傷つく覚悟であんなこと言ったのは分かる。私を思ってのことだって。でもね、私を思ってくれてたとしても、私の気持ちを勝手に決めつけないで」
その通りだ。お姉ちゃんのためだと思って私が取った行動は、自己満足でしかなくて、結局は余計にお姉ちゃんを傷つけてしまっていた。
それでも、完全に縁を絶つ覚悟が私にできていればよかったのかもしれない。でも結局、LINEをブロックすることもできず、お姉ちゃんが私を縛り付けているこの状況を、少し嬉しく思ってしまうくらい、甘い覚悟だった。
「小景、おばあちゃんの家で言ったよね?『私も一緒に傷つかせて』って。一緒になんだよ。私のためにひとりで勝手に傷つかないで」
お姉ちゃんのためなんて言い訳だ。結局、私がお姉ちゃんを信じられなかったから、拒絶されることを恐れた。だから自分から先に逃げてしまおうとした。
「……うん」
「だからね、もう一回だけチャンスをあげる。私に言うことあるよね?」
「お姉ちゃんの気持ち、勝手にひとりで決めつけて、ごめんなさい」
謝った後、一呼吸おいて私は今の願いを素直に口にした。
「やっぱり私、お姉ちゃんと一緒にいたい。私のこと、嫌いにならないで」
口にしたことで、必死に押し殺そうとしていた感情が徐々に視界を歪ませていった。お姉ちゃんを失いたくない気持ちが溢れて止まらない。
「私が小景のこと、嫌いになるわけないでしょ?」
そう言って、お姉ちゃんは私を抱きしめた。私は腕が縛られているので、抱き返すことができないまま、鼻をすすりながら、お姉ちゃんの温かさを感じていた。
◇ ◇ ◇
しばらく泣いて落ち着きを取り戻したところで、改めてこの異常事態に意識が向いた。
「ところで、お姉ちゃん」
「何?小景」
「なんでこんなことしたの?」
「……こんなことって?」
「もちろん、私をこんなふうに縛ったこと」
私の視界はほぼお姉ちゃんで埋まっている。交差している腕越しに下をのぞくとやっぱり私の足と椅子の脚が仲良く束にされていた。
「それは、ここに来たときの小景の態度を考えれば納得してもらえると思うんだけど?」
「うっ」
ぐうの音も出ない。私はお姉ちゃんに対して強気に出るつもりだったし、もし体が自由であれば、この部屋の角で時間が来るまで耳を塞いでいる展開もあったかもしれない。
「でも、話は終わったし、もうほどいてよ」
「ほどけないよ」
「え?」
「どうせここから戻ったら元通りだから気にしないで」
「……そ、そうなんだ」
なんでお姉ちゃんがこの場所についてこんなに詳しいのかは聞かないほうがいい気がした。
「それにね。まだ話は終わってないよ?」
「え?」
話?私はもう悪いとこを認めて謝ったし、お姉ちゃんも許してくれたと思ってたんだけど。
「私、まだ悪いことしてた?」
「ううん。次に私たちが話さなきゃいけないことはね、えっと、その」
お姉ちゃんが少し口ごもる。私はその理由に心当たりがなかったが、すぐに理解することになった。
「……小景は私のことが好きなんだよね?」




