第65話 謝罪と真実と私と姉
お姉ちゃんがお風呂から上がってくるまでの時間、私はピクリとも動いていなかった。ただ、雨の中をうろついていたときよりは心も落ち着きを取り戻し始めていた。
ガチャ
脱衣所から出てきたお姉ちゃんは、お風呂に入る前と全く変わっていない光景に面食らっている様子で、顔を一瞬だけ強張らせたかと思うと、すぐに表情を崩した。
「小景」
「……はい」
「……髪、乾かさなきゃ」
そのままお姉ちゃんは、コンセントがある壁の近くに私を移動させ、ドライヤーを私の髪に当てていく。私はされるがまま、生乾きの髪に熱風を受けていた。無言のまま、ドライヤーの均一な音だけが部屋を満たしていく。
「はい、おしまい」
「……ありがとう」
「私も乾かすから、ちょっと待ってて」
「うん」
短い会話のあと、再びドライヤーの音だけの時間を経て、いよいよふたりの準備が整った。いや、心の準備は当然整っていないけど、その時間がやってきただけ。
口火を切ったのはお姉ちゃんだった。
「まずは、ちゃんと怒るからね。勝手に私をつけてたこと、話の途中で逃げたこと、せっかくの今日がこんなことになっちゃったこと。特に、途中で逃げたのは許せない。小景もいっぱいいっぱいになっちゃったのは分かるけど、逃げちゃだめだよ。もし、私が小景を探さなかったらどうするつもりだったの?帰り方も考えてなかったよね?」
「……うん」
「でしょ?そんなの心配しちゃうじゃん。それにもしそのまま帰ったとして、もう二度と私の前に顔出さないつもりだったの?」
「……分からない」
「でも、今日逃げ切って、後日謝りに来たって、私は絶対に許さなかったよ」
その場限りの逃亡。私がやったことは、あのとき取れる選択肢のなかで一番悪い答えだった。
「……逃げてごめんなさい。探してくれてありがとう」
今この状況があるのは、対話を諦めなかったお姉ちゃんのおかげだった。
「ありがとうもなんか違う気がするけど……うん。どういたしまして。次、私をつけてたことだけど、その場で声をかけてくれればよかったのに。私がお参りしたお墓まで分かってたってことは、結構近くでしっかり見てたんだろうし」
「……うん」
「やっぱりこっそり後をつけるのは良くないよ。それがお墓参りでも、ただスーパーに買い物に行くだけでも同じだと思うな。そこは反省して」
「……はい、ごめんなさい」
「じゃあ、次――」
「ちょっと待って」
このままお墓に関する話が終わってしまいそうで慌てて止めてしまう。
「どうしたの?」
そう言って私の言葉を待っているお姉ちゃんの目には、いつものような優しさは全くなくて、私はお墓のことを教えてほしいなんて言えるはずもなく――
「……何でもない」
ただ質問を飲み込むことしかなかった。
「そう?それじゃあ最後、今日のこと。私ね、すっごく楽しみにしてたの。それは多分、小景だって同じだったはずだよね?」
「うん」
「それなのに、隠し事を抱えちゃって、それが気になって仕方なくて全く集中できなくなっちゃってた。私と目も合わないし、話も全然聞いてくれなかった。さっきまでの私の服装覚えてる?」
思い出せない、今日のお姉ちゃんの姿で覚えているのは、顔を両手でつかまれたときのお姉ちゃんの顔くらいだった。正直に白状するしかない。
「……覚えてない」
「ほら、思い出せないでしょ?私の方、全然見てくれてなかったもんね。そんな状態なんだったら延期とかキャンセルしてほしかったな。小景はきっとキャンセルになったら私が傷つくとか思ってくれたんだろうけど、今日みたいになるよりずっと良かったよ」
「……うん。ごめんなさい」
「はい、これでお説教はおしまいね。私は嫌だったことを伝えたし、小景も謝ってくれた。さて――」
一瞬、完全に音がなくなったかと思うくらいの静寂が流れた。私はお姉ちゃんから発せられる次の言葉を待つ。
「これからのことを話そうか」
「……これから?」
「うん。小景が知ってしまった以上、私は小景に選択を迫らないといけなくなっちゃった。小景はあのお墓に関する話を聞くこともできるし、聞かないこともできる。聞かないんだったら、この話はこれでおしまい。また映画を見に行く予定を一緒に立てて、今度こそ映画の感想を語ろう」
「もし、聞くって言ったら?」
「ちゃんと話すよ。でも、小景がそれでどう感じるかは分からない。なんともないかもしれないし、もう映画どころじゃないかもしれない。小景はどうしたい?」
「……わ、私は」
私が傷つく可能性があるなんて、想像もしていなかった。お姉ちゃんが言わないようにしていたのは私を守るためでもあったんだ。でも、それでも――
「知りたい。お姉ちゃんのこと、私もっと知りたい」
「……そっか」
その「そっか」には少し悲しみが混じっている気がした。
「じゃあ、言うよ」
お姉ちゃんの方も覚悟が必要なのか、一度目を閉じて深く呼吸をしている。次の言葉までの時間が、無限のようにも感じられた。そして、そのときはやってきた。
「あのお墓はね、私のお父さんのお墓なの」




