第64話 罪と雨と私と姉
「私、お姉ちゃんに謝らないといけないことがあるの」
ここ数日、私はずっと悩んでいた。私が見てしまったものは、きっとおばあちゃんの家で私が盗み聞きしてしまった話に関係することで、お姉ちゃんはまだ私に話すには早いって判断していたことのはずだった。
実際、何かを知ってしまった私は、自分でも信じられないくらい思考がまとまらなくなってしまった。いろんな可能性を考えてしまって、今日だってこんなことになってしまっている。
ここで私が、素直に見たことを伝えてしまうと、お姉ちゃんはまだ心の準備ができていない何かを話さなくちゃいけなくなってしまうかもしれない。かといって、私がこのまま黙っていれば、お姉ちゃんをさらに傷つけてしまう。
「謝ること?」
「この前、お姉ちゃんを見かけたんだ」
「それがなんで謝ることになるの?確かに、見かけたんだったら声くらいかけてくれても――」
そこまで言ってお姉ちゃんの言葉が止まる。きっと私が何を見たのか気が付いたんだろう。お姉ちゃんはバイトと勉強でそんなに出かける用事はなかったはずだから、私がいつお姉ちゃんを見かけたのか、すぐに思い至ったはず。
「私はお姉ちゃんが何をしてたのかまで見た。ごめんなさい。言い訳は……ない」
「……どこまで?どこまで見たの?」
「……多分、全部。お姉ちゃんがお花を抱えて、お墓参りに向かってるのを見かけた。そこでお姉ちゃんが、私の知らない人のお墓を掃除して、お花を添えてた」
「っ!知らない人って――」
「誰のお墓なのかまで見た」
白状していくうちに、視線はどんどん下がっていって、もうまともにお姉ちゃんの顔を見ることができなくなっていた。
「なんでそんなことしたの?」
「分からない」
「『分からない』じゃないじゃん」
「ごめんなさい。でも、ほんとに分からないの。私だってこんなことしちゃいけないって分かってたし、後悔することだって分かってた。……なのに……止められなかった」
私が謝っている側のはずなのに、どんどん感情的になってしまう。
「ねぇ、お姉ちゃん。誰なの?……あれは誰のお墓だったの?」
疑問が口から出てしまうのを止められなかった。いつぶりか、私はお姉ちゃんの過去を直接お姉ちゃんに聞いていた。私はふと、昔ファミレスで誓った「私からはもう聞かない」という約束を思い出していた。
私は何もかもを裏切り続けていた。
美華との約束を破って、優里先輩と接触を続けた。
優里先輩との約束を破って、お姉ちゃんをつけた。
そして、お姉ちゃんとの約束を破って、また自分勝手に過去に踏み込んでいる。
「……ごめんなさい。今のは忘れて」
私は何度目かも分からない謝罪をして、ベンチから立ち上がる。曇っている空が今にも泣きだしそうだった。
もう全部終わりだと思った。せっかくいい方向に向かい始めてたのに。でも全部私のせいだから何も言い訳ができない。
「ごめん。私帰る。お姉ちゃんも話してくれなくていいから。私も忘れるから。だから――」
最後の言葉と同時に逃げるように歩き出す。
「できれば私を嫌いにならないで」
せめてもの願いだった。私はお姉ちゃんに背を向けて遠ざかろうとする。頬を濡らしたのが降り始めた雨なのか、涙なのか分からなかった。もう何も分からなかった。
「待って!」
後ろでお姉ちゃんの声が聞こえる。でも一度逃げ始めてしまえばもう止まれなかった。私は聞こえないふりでその場を後にした。
◇ ◇ ◇
ぼんやりとお姉ちゃんについてきたせいで、ここがどこなのか分からなかったから私はあたりを適当に歩いた。傘も持ってきてないから雨は容赦なく私を悲しみで染めていく。帰り道も分からない私は一体どこに向かっているんだろう。
(なんか、いろいろどうでもよくなってきた)
人通りのない道でぼんやりと空を見上げて目を閉じる。ただ雨に打たれる感覚と雨が地面に打ち付けられる音だけを感じて、他をすべてシャットアウトする。
「小景!」
ふいに背後からお姉ちゃんの声が聞こえた。あてもなく歩いてた私をどうやってお姉ちゃんは見つけたんだろう?そう思いながら振り返るとすぐ答えにたどり着いた。
お姉ちゃんは折り畳み傘を差しているのにびしょ濡れで、足元は跳ねた泥で汚れている。肩で息をしながら私に近づいてくる様子を見るに、愚直に走り回っていたことは想像に――
ぱちん
私の頬をお姉ちゃんが両手で押さえる。お姉ちゃんが持っていた折り畳み傘は地面に落ちて傘の役割を失っていて、お姉ちゃんは荒い呼吸のまま私の目を見る。
「はぁ、はぁ。まだ、私の話が終わってないでしょ!とりあえず、帰るよ!タオルは買ってきたから、駅で体拭くよ!」
そう言って、地面に落ちた傘を拾ったお姉ちゃんは、もはや意味をなしていないのに傘を差し直す。そして私の手を取っておそらく駅がある方向へ歩き出した。
「……待って、お姉ちゃん」
「ダメ、今は私に従って。風邪ひいちゃうでしょ。私も小景も家に着くまで何も言わない。分かった?」
「……はい」
お姉ちゃんの強めの口調に怯んで私は首を縦に振る。
駅に着いた私たちは体を拭いて、多少乾くのを待ってから帰りの電車に乗り込む。びしょ濡れの私たちを見る周りの人たちの奇異な視線を感じながら、最寄り駅まで帰ってくる。
そのままお姉ちゃんに手を引かれ、私たちはお姉ちゃんの家に帰ってきた。
家に上がったお姉ちゃんは私にタオルと着替えを渡しながら、次の私の行動を指示する。
「はい、これタオルと着替え。とりあえずシャワー浴びてきて」
「……それならお姉ちゃんが先に――」
「いいから」
初めて見るお姉ちゃんの明確な怒りの感情に気圧されて、私はそのまま脱衣所に向かった。
◇ ◇ ◇
シャワーを済ませ、着替える。脱衣所を出ると、今度はお姉ちゃんがお風呂に入る準備をしていた。
「私が上がるまでそこで待ってて。勝手に帰ったら、ほんとに許さないから」
怒っていながらも、まだ許される余地があるような口ぶりに私はおとなしく首を縦に振る。
お姉ちゃんは脱衣所に消え、雨と時計の音だけが部屋に鳴り響いていた。




