第60話 夏休みと部活と私と美華
朝。部活のためにセットしていたスマホのアラーム音で目が覚めた。寝ぼけ眼でスマホを手に取ってアラームを止め、時刻を確認する。午前7時。9時から始まる練習にはまだまだ余裕がある。
「宿題。する?」
私しかいない部屋に独り言をつぶやく。家を出るまであと1時間と30分くらいはある。とりあえず、朝ごはんでも食べながら考えよう。私は顔を洗ってから、寮の食堂へ向かった。
おばあちゃんの家に行っていた私にとって数日ぶりの寮の朝ごはんを黙々と食べていると、隣の席に美華が座ってきた。
「おはよう、小景」
「おはよう」
「久しぶりだね、おばあちゃんの家どうだった?」
「いろいろあった。本当にいろいろ。美華は今日部活?」
「うん。午後までみっちり」
「私も。全部終わったら美華の部屋行っていい?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、準備終わったら連絡するから」
「おっけ~」
私は美華に「いろいろ」の中身を共有するための予定を取り付けて、次の話題に移る。
「美華。宿題やった?」
「いや全く」
即答。まぁ私も人のこと言えないけど。
「だよね。今度一緒に宿題やんない?」
「いいけど、珍しいね。まだ7月だよ?いっつも私たちギリギリじゃん」
「そうなんだけどね、あとで話す『いろいろ』のせいで、あと2週間くらいで終わらせなきゃいけなくなっちゃったの」
「そっか、分かった。じゃあ次の部活が休みの日にでもしよっか」
「うん」
そのあとは他愛のない話をしながら朝食を済ませて、お互い解散した。部活の始まる時間が私より少し早い美華とは、夏休み期間中は一緒に登校することは少ない。私はまだ時間があるので一度部屋に戻る。
部活に行くまであと1時間はある。宿題、やっぱり少しくらい進めないとな。私はその決心が鈍らないよう急いでスクールバッグに放り込んだままだった宿題を取り出して、シャーペンを走らせた。
◇ ◇ ◇
部活中。私はいつも通り先輩たちと練習をしていた。相変わらず同学年の子たちとは上手く馴染めなくて、辻さんともあれ以来一度も話していない。
この前の大会で3年生が引退したことで、8月に部長と副部長が正式に引き継がれるまでの間、今の副部長が代理で部をまとめている。……って言っても結局その副部長が今度の部長になるんだから、どちらかといえば副部長が不在の期間って感じだ。
次期副部長の候補として他の先輩を差し置いて私の名前が推薦されていたけど、これ以上同学年の子から浮きたくない、なんていう極めて個人的な理由を隠して、「私にはまだ荷が重いです」と私は推薦を辞退した。
「林~。久しぶりで体、なまってないか?」
「そんな2、3日じゃ大して変わりませんよ」
練習相手の先輩に軽くからかわれながら、準備運動兼基礎練のラリーを続ける。大会のとき美華に言われた言葉を思い出す。
「小景は踏み込まなさすぎ」
同級生との距離感はまだ改善されていないけど、今部活で一番練習相手をして貰っている先輩とは前よりも話すようになった。
「先輩、宿題やってますか?」
「え?どうした急に。まぁぼちぼち進めてるよ」
「え!先輩でも宿題やってるんだ」
「おい!『でも』って言ったか今?」
「すみません!」
「まったく。ってかその口ぶりだと林はやってないんだな?」
「はい!今日の朝から始めました!」
「まぁ、始めただけ偉いか」
「私、お盆までに終わらせないといけないんですよ」
「お盆?あと2週間ちょいか。まぁ終わるんじゃないか?林は寮だったよな?実家にでも帰るのか?」
「いえ、帰らないです。実家も県内なのですぐ帰れますし」
「じゃあどうして?」
「お盆にお姉ちゃんと映画に行くんですけど、お姉ちゃんがそれまでに宿題終わらせなさいって」
その言葉に先輩は、コートの反対側にいる私に分かるくらい呆れた表情を浮かべて、からかうように言った。
「そんな姉貴との約束守ろうとしてんのか。健気だねぇ」
「なんですか、その言い方」
私の悩みが不当に小さく扱われた気がして、少しムッとしてしまう。
「林の姉も一応言ってるだけで、別に林が律儀に守るなんて思ってないって。別に終わってなかったからって映画の予定がなくなるわけじゃないんだろ?」
先輩の言ってることも分かる。私の母だって、夏休みは宿題宿題うるさかったし、私は私で小言を完全にシャットアウトする能力を身につけていった。だから言ってる側はとりあえず言ってるだけ、聞く側もとりあえず耳に入るだけで、どちらも本気にはしてない。でも、今回は違う。
「確かにそうかもしれないですけど、せっかくだからイイトコ見せたいっていうか」
思ってたことをいざ言葉にしてみると、かなり恥ずかしいことを言っている。聞いてた先輩もさらに呆れた表情だ。
「はぁ、姉貴にいいとこ見せて何になるんだか」
先輩にはこの気持ちがどうやら分からないらしい。お姉ちゃんに褒められたいなんて普通のことじゃないかな?そうか、先輩は一人っ子なのかも?そう思って私は先輩に尋ねる。
「先輩は姉妹いないんですか?」
「いるよ、上にも下にも。でも私は姉貴の小言は聞かないし。妹も私の小言は聞かない。別に姉貴によく思われたいとかもないし、妹も私によく思われようとしたことなんてない。普通そんなもんじゃないか?」
「それはドライすぎませんかね?」
「そんなもんでしょ。ずっと一緒に育ってきたんだ。もうとっくに遠慮も興味もなくなってるって」
先輩が言う「普通」の姉妹像は私とお姉ちゃんとはあまりに違っていた。
「……それが、普通」
「そう思うけどな」
別に私とお姉ちゃんだって間違っているわけじゃないはずなのに、「普通」という言葉が私の心に刺さって抜けなかった。




