第59話 焦りとラインと私と小景
「先輩。お姉ちゃんにひどいことしたの、私の母親だけじゃないって思ってますよね?」
なんか私が色々語って、小景との因縁じみた関係にも一段落がついて、後のことはうやむやになる流れじゃなかったの?私は大きなため息を吐く。
「なんでそう思うわけ?」
これまでの経験上、無駄だとは分かっているが一応とぼけてみる。こういうときの小景は、自分の中である程度理屈を通して行動に移しているから、私が考えた理屈と同じようなことを言うだろう。
「それはさっきも言った通り、私の持っている情報が、先輩が初めてこの白い部屋に来たときの状態に追いついたからですよ。先輩も分かってるでしょ?」
「分からないわ。どういうこと?」
もちろん分かっている。けど大人しく首を縦に振るのが癪だったから小景の推理を聞くことにする。
「もう、とぼけないでくださいよ。……先輩はあのとき私にこう言いました。『日向と喧嘩したでしょ?』って。それで私は何のこと?って感じだったから、先輩は私が刺激したお姉ちゃんのトラウマは暴力じゃないって思い当たった。じゃあ、そのトラウマをお姉ちゃんが負ってしまったのはいつで、誰なのか?という疑問が先輩にも浮かんでたはずです」
まったくもってその通りだ。私の過去の失態を改めて言及されるのは、あまり気分のいいものじゃないな。
「はぁ、お見事ね。その通りよ」
私は拍手をしてみせる。
「優里先輩は誰だと思ってるんですか?」
「さぁ?私もそこまでしか考えてないんだから、見当もついてないわよ」
「嘘ですね」
「……そう言い切れる理由は?」
「先輩はさっきこうも言ってました。『私は日向の過去について、小景が知っている以上のことは知らない』って。先輩がわざわざ言ったんです。過去って。それはつまり今のお姉ちゃんについては私よりも知っている部分があるってことでしょ?」
「それはそうでしょ?日向と何年一緒にいると思ってるのよ。今の日向についてはあんたより詳しいわよ」
「もう、さっきはそういう意味で言ってなかったですよね?私が疑問点の整理をするっていうときに、先輩がそうやって言ったんですから、文脈としてはお姉ちゃんの過去への手掛かりとして、って意味でしたよね?」
「じゃあ仮に、小景のその推理が当たっていて、私がまだ何か知っているとして、もう日向のことは詮索しないんじゃなかったの?これはもう、そのラインをとっくに超えてると思うけど」
私の言葉に小景は少し勢いを失った。ここをチャンスと見た私は追い打ちをかける。
「この前までとはわけが違うわよ。これまでは、日向に話す気がなかったから、どうしても知りたいあんたは仕方なく私に頼ってたって言えるかもしれない。けど、これからは、日向が話す気になっているのに、日向を信用できないから私に頼るってことになる。あんたならその違いくらい分かるわよね?」
小景は完全に黙ってしまった。これまでとこれからでは日向への詮索が本人にバレたときに、小景が日向から失う信頼の大きさがまるで違う。
「それでも、当たっているのかすら分からない私の推測を聞きたいのなら、もう一度言ってごらんなさい。『先輩は誰だと思ってるんですか?』って」
勝ち負けではないが、これは完全に勝っただろう。小景は複雑な表情で奥歯を噛みしめている。
正直、小景の気持ちは分かってしまうところもある。小景は自分の姉が母親に虐待されていたことをつい最近知った。けれども、自身が姉に対して踏んでしまったトラウマはそれとは別物で、他の加害者がいることが明らかだった。そしてその人物に心当たりのある人がいる。ともすれば問い詰めてでも聞き出してやろうという考えに行き着くのも想像に難くない。
でも、優先順位を履き違えちゃいけない。大事なのは今で過去じゃない。過去に囚われて今の日向を裏切ったら本末転倒だ。
「……ごめんなさい。つい調子に乗りました」
そう呟く小景は、さっきまでと比べて小さくなった気さえする。
「小景の気持ちも分かるけど、日向の心の準備が整うまで待ってあげましょうよ。それに、私の推測があてにならないことくらい、最初にここへ私を呼んだときに分かってたでしょ?」
小景の頭に手を置く。小景のことだから「やめてくださいよ」とでも言いながら手を払ってくるかと思っていたけど、小景はぐすんと鼻をすすったかと思うと、そのまま泣き出してしまった。
「……だって。だって、誰も教えてくれなかったんだもん。お姉ちゃんも。おばあちゃんも。ママもパパも」
ぽろぽろと涙を流す小景を軽く抱き寄せて肩を貸す。頭に置いた手はそのまま、反対の手で背中をさする。
「何も知らないままお姉ちゃんを傷つけたことが怖かった。あの日がお姉ちゃんと言葉を交わせる最後の日になってたかもしれなかった。お姉ちゃんは許してくれたけど、私は未だになんでお姉ちゃんを傷つけたのか分からないままだった。このままじゃ、また傷つけちゃうかもしれないって思った。いや、実際傷つけた。だからすぐにでも知りたかった」
ただ黙って話を聞く私に対して、小景の独白は続く。
「今回、お姉ちゃんが話してくれるってなって、全部が解決するかと思ってた。私にも正しいラインが分かるようになるって。でも、教えて貰ったことだけじゃ足りなかった」
私は背中をさする手を止めることなく聞き続ける。
「もうすぐ、ずっと楽しみにしてきた映画が始まる。それまでにどうしても全部を知っておきたかった。何に気を遣えばいいかも分からないまま気を遣うんじゃなくて、ちゃんと気を遣うべきところと、そうじゃないところがはっきりした状態で行きたかった」
なるほど、小景が焦っている理由はそういうことだったのか。これなら私も歩み寄ってもいいんじゃないだろうか。私が日向のことを話すことを歩み寄りと言うのは違う気もするが、今の小景が知りたいことくらいなら、日向の迷惑にならずに教えられる。私は腕の中の小景に話しかける。
「小景」
「……はい」
「日向はね、肌を触られることが怖いんだって。理由は知らないし、知ってても教えないわ。急に触られたり、日向の見えないところを触られたくないんだって。だから日向に触るときは声を掛けて、許可を取ってから見えるように触れてあげなさい」
「……なんで?」
「これは日向の過去のことじゃないから。今の日向を困らせたくない一心だって言うんなら、これくらいのことはしてあげる。だから、楽しんできなさいよ、映画。日向も楽しみにしてるみたいだから」
「……はい」
弱々しく頷く小景は、そのまましばらく私の腕の中から離れようとしなかった。




