第36話 日向の部屋で私と日向
私は1つ、嘘というかはぐらかしたことがある。小景は明確な意思をもって日向の過去に踏み入ろうとしている。私がそこを濁したのは小景を庇ったわけではなく、日向に余計な心配をさせたくなかったから。これも結局、日向の気持ちを無視した、私自身の保身でしかないことも分かってる。
そして当の日向はなぜか、私と小景が付き合っているのでは?という変な勘違いをしていた。私が日向を好きになるならまだしも、小景を好きになるなんてありえない。結局、私は日向の混乱に乗じて曖昧な部分を残したまま、「説明した」という実績だけ得ていた。
「……私も昨日のこと、聞いていい?」
そして、今に至る。私は昨日のことについて、日向本人に尋ねていた。日向は過去に母親から暴力を受けていた。偶然それを知った私が、無理やり日向の祖母を巻き込んだことで、結果的にそれは解決されることとなった。私はてっきり、日向に巣食う黒い過去は母親だけだと思っていた。だから、この前小景にあの場所へ呼び出されたときも、小景が日向の虐待に関するトラウマを抉ってしまったのだと考えた。
「……もう、過ぎたことだから思い出したくない」
そうきっぱり断る日向は右手で左腕をきつく抱いていて、思い出すだけでも苦しんでいるように見えた。日向の弱った姿は私も見たくない。それでも私は少しだけ食い下がる。ここで何も聞かないことは私のためにも、日向のためにもならないと思ったから。
「分かった、過去のことは思い出さなくていい。私も詮索しないわ。でも、1つだけ質問させて。答えたくなかったら答えなくてもいいから」
「……分かった」
「ありがとう。じゃあ聞くわね」
私は少し呼吸を整え、体ごと日向の方を向いて話し始める。
「日向がされたら怖いことを教えてくれない?昨日、私が日向の手を掴んだとき、ビクッてしてた。多分だけど、急に私が触ったから怖かったのよね?」
「……なんで?」
なんで教えなきゃいけないのか?当然の疑問だった。私は傷の詮索はしないと言いながら、その傷口を見せてもらおうとしている。言っていることが違うじゃないかと、そう言いたいんだろう。私は日向の目を見ながらゆっくりと話す。
「それは、私が日向とずっと一緒にいたいからよ。だから、日向が何で傷つくか知っておきたい。私はこれ以上日向を傷つけたくないし、傷ついてほしくないから、私ができることならなんでもするわ」
「……なんでも?」
「えぇ、なんでも」
勢いに任せて「なんでも」と言ってしまったけど、後悔はしてない。私はただ真っすぐ目を見つめて言葉を待った。日向は少し恥ずかしそうに両手を前に出しながら口を開いた。
「……少しだけ話す。だから、その間だけ、私の手を握ってて」
「分かったわ」
私は日向の両手を覆う少し手前で止めて、一言声をかける。
「触るわよ」
「……うん」
ゆっくりと手を近づけて、日向の手を覆う。緊張で手が汗ばんでしまい少し恥ずかしい。日向は数秒ほど手を見つめてから、私に視線を戻して話し始めた。
「……私ね、肌を触られることが苦手なの」
「っ!」
私は慌てて手を離す。その慌てっぷりを見て笑っている日向に、私は不服を訴える視線を送る。
「ごめんごめん、そんな顔しないでよ。今みたいなのは大丈夫なの。だからほら、手、出して?」
促されるまま、もう一度差し出された日向の手を、さっきのやりとりで変な汗をかいてさらに湿った私の手が包む。
「例えばね、急に触られたりだとか、私から見えない場所を触られたりするのが苦手なの。今みたいに、私から見える場所をゆっくり触ってくれるのは大丈夫」
「じゃあ昨日は私が日向の手を急に掴んだから?――って、あっ、ごめん、詮索はしない約束だったわ。今のは聞かなかったことにしてちょうだい」
「……いいよ、それも言わなくちゃ。昨日のあれはね、体の自由を奪われたから」
そうだろうとはうっすら考えていたけど、改めて言葉にされると眉を顰めたくなる。日向が、その行為を恐怖のトリガーだと理解できるほどに経験しているという事実に吐き気がする。
「優里。手、痛い」
「……ごめん」
「顔も怖い顔してた」
日向に指摘されて初めて私は感情を隠せてなかったことに気付いて、力が入ってしまっていた手を緩める。
「日向、もう1つ聞いてもいい?」
「質問は1つじゃなかったの?」
「……そうよね」
「うそうそ、何?」
日向に手玉に取られていることを少し心地よくも感じてしまう。こういうしっとりとした空気感のときの日向は、私が普段知っている日向よりも大人に見えて、変な気持ちになってしまう。って何を考えてるんだ。気をしっかり持たないと。最近は非日常が続きすぎて、テンションがおかしくなってしまっているんじゃないだろうか。首を左右に振って雑念を振り払う。
「日向は女の子が好きなの?」
「……え?」
「いや、だって。私と小景がこそこそしてたからって、付き合ってるとは思わなくない?もっと単純にハブられてるとか考えるんじゃないかなって」
「そんなこと、ないと思うけど。そもそもまだ恋愛とかって感じじゃないのかも」
「……そっか、じゃあ私から聞きたいことはもうないわ」
「じゃあ、私からも1つだけいい?」
これ以上聞きたいことなんてあるんだろうか?私は頷きながら日向の言葉を待つ。
「今日は泊まって行かない?」
私は耳を疑った。この空気で一泊してしまうと危ない気がする。でも倒れた人を置いて帰るのも気が引ける。そして何より――
「あ、明日から期末テストよ?」
私たちは昨日、結局勉強どころではなくなってしまったけど、容赦なくテストはやってくる。いろいろ考えを巡らせたうえで、私が出した結論は――
「分かったわ。もう全部持ってくるから一回帰らせて」
日向の看病と勉強と日向のお願いをすべて達成することにした。




