第35話 私の部屋で優里と私
カチャカチャという食器の音が遠くから聞こえてくる。意識がはっきりしていくにつれて、さっきの出来事を思い出していく。
バイト帰りの私を待っていた優里を、とりあえずうちに入れたところで私は意識を失ってしまったんだ。
すべてを思い出した私は、慌てて体を起こす。私の動きに気が付いた優里は台所から振り返ってこちらを確認する。
「日向、おはよう。目が覚めたのね。熱があるってわけではなかったけど、おかゆ作ってるわよ」
「……ありがと」
「弱みに付け込んでなあなあにしようとしてるわけじゃないわ。でも今は休んでちょうだい」
「わかった」
「出来上がったら起こすから寝てていいわよ」
そう言って優里はお鍋に視線を戻す。私は少し優里の後ろ姿を眺めたあと、今度は自分の意思で瞼を下ろした。
◇ ◇ ◇
「日向、ご飯できたわよ」
再び目が覚めた私を出迎えたのは、優里と美味しそうなおかゆだった。細く長く切られた生姜と梅干しが入っているおかゆで、バイトから帰ってきて何も食べてなかったこともあって、普段のごはんよりも一層食欲がそそられた。
「ありがとう」
私は体を起こして、テーブルを挟んで優里の正面に座る。ふたり分のおかゆから香ってくる生姜のにおいが、私の眠気を覚ましていく。ふたり揃って手を合わせる。
「「いただきます」」
私たちはしばらく無言でおかゆを味わう。梅干しから果肉を少しだけ取って、塩で味付けされたおかゆと一緒に口へ運ぶ。程よい酸っぱさと生姜の少しの歯ごたえが次の一口を早める。あっという間にお茶碗の中からおかゆが消えてしまった。
「まだ少しあるわよ、おかゆ」
そう言って優里は、コンロの上のお鍋に視線を向けて、私の方に手を出してお茶碗を受け取ろうとする。その慣れた動作に思わずお茶碗を渡してしまう。お茶碗を受け取った優里は、床から立ち上がって残りのおかゆをよそう。
「……ありがと」
優里におかわりをよそわせたことに少し気まずくなりながらも、お礼を言ってお茶碗を受け取り、再びかきこみ始める。一杯目よりも元気になった気がして、食べるペースも早くなる。
「「ごちそうさまでした」」
特に会話もないまま食事を終えた私たちの食器を、優里が回収して洗い物を始める。普段、共働きの両親の代わりに家事をこなしているだけあって、慣れた手つきで洗い物を片付けていく。私はその後ろ姿をただぼんやりと見ていた。
少しして、きゅっと水を止める音が聞こえ、優里がこちらに戻ってきた。今度は正面ではなく私の横に座った。深めに呼吸をして優里が口を開く。
「昨日は、ごめん。日向の言う通り、私と小景は――」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は優里の話を慌てて遮った。今ここで付き合っている宣言をされるんだとしたら、私の方が心の準備を終えていない。
それにしたってまさか優里が女の子を好きだなんて思ってなかったな。いや、どちらかといえば小景がそうなだけで、優里はどちらでもないのかもしれない。でも優里は真面目だからきっと小景のことを大事にしてくれる。きっとこれからも私の知らないふたりの世界が広がっていくんだろう。
まさか再会したばかりの妹をすぐに妹離れしないといけなくなるとは思わなかったけど、親友離れまで一緒にしないといけないなんて思ってもみなかった。私が世界から置いていかれてしまったような気がして寂しくなる。でも、みんな少しずつ変わって大人になっていくんだろう。この寂しさもいつか私を大人にしてくれるのかもしれない。
今度は私が深呼吸をして、優里の目を見る。すぐには受け入れられないかもしれないけど、話を聞く覚悟はできた。
「お待たせ、優里」
「いいわよ、いくらでも待つわ」
「大丈夫だよ」
覚悟ができた今は、むしろ晴れやかな気さえしている。その様子を見て優里は話を続ける。
「私と小景は今、日向を取り合ってる」
「……へ?」
予想外の答えにまぬけな声が出てしまう。私の間違った覚悟をよそに優里は続けた。
「取り合っているって言うのは正確には違うんだけど、小景は私を通して、日向のことを知ろうとしているわ。どんな本を読んでるだとか、週に何回バイト行ってるだとか、そういう細かいことまで、今の日向について知ろうとしている」
「そ、それがどうして取り合っているになるの?」
「あの子、小景はわざとなのか無意識なのかは分からないけど、日向の過去も知りたがっている。だから私はそこを話すことを拒みながら、ありふれた日常会話だけに答えてる。だから『取り合い』。日向のいない所で日向の過去について攻防をしていた」
なんと返せばいいか分からない。今日は思考が置いていかれてばっかりだ。そんな状態の私はついさっきまでの勘違いが口から零れてしまう。
「じゃあ、小景と優里は付き合ってないんだ?」
「はぁ?なんでそうなるのよ」
思考がまとまらないまま、思ったことを口走る。
「だって、ノートには小景についていろいろ書かれてて、ノートの中では小景って呼んでて」
「ノートって、あれ見たのね。私の管理が甘かったとはいえ、人のノート勝手に覗くのはあんまり褒められたことじゃないわよ」
「……ごめん」
「あれは小景が何度もあの場所に私を呼ぶもんだから、対策を立てようとメモを残してたの。まあ、確かにいつの間にか遠慮が無くなって呼び捨てになってたけど、日向の前では意識して隠してたわ。むしろそれで裏では関係が進んでるように見えたのね」
「……」
「安心して、別にあんたの妹を取ったりしないわよ」
取られる、とまで思ってはいなかったけど、改めて口に出されると少しほっとしてしまう。そっか、私の勘違いだったんだ。そう思った途端に恥ずかしくなってくる。
「……それでね、日向」
「な、なに?」
私は恥ずかしさで熱くなった顔で精一杯平静を装いながら答えた。優里は真剣なようすで話を続ける。
「……私も昨日のこと、聞いていい?」




