第26話 昔の私と日向②
「「いただきます」」
「……いただきます」
我が家の両親は共働きなので、帰ってくるのはいつも遅い時間になる。普段の私は弟の大樹とだけ食卓を囲むことがほとんどだったが、今日はひとり多い。買い出しの途中で、偶然にも日向の知られざる一面を見てしまった私は、そのまま日向を帰すわけにもいかず、こうして家に連れ帰ってきてしまっていた。
私は母に「友達を泊めることになった」とだけ伝え、それ以上の説明をいったん後回しにさせてもらった。
今日の晩御飯はカレーにした。余れば翌日に持ち越せるという利点は、急に人数が増えたときに便利なのだと、私はこのときに気が付いた。これ以降、大樹が友達を連れて来た日のほとんどはカレーを振る舞うことになるのだが、それはまた別の話。
「ごめん日向、今更だけどカレー苦手じゃないわよね?」
「うん、好きだよ」
「そっか、それはよかった、ご飯食べ終わったら先にお風呂入っていいわよ」
「優里、そんな悪いよ。私最後で大丈夫だから」
「気にしないでよ、日向はお客さんなんだから。それにうちで最後ってなったら、かなり遅くなっちゃうんだから」
「……わかった」
まだまだ遠慮がちな日向を半ば強引にもてなす。冗談めかして「じゃあ一緒にお風呂入る?」という提案が頭に浮かんだが、すぐにそれがただの冗談じゃすまないことを思い出す。今の日向は体をなるべく見られたくないはずだから。
食事を終えた日向は、まだ遠慮した様子だったが、私に強引に着替えとタオルを渡されたことで、ようやく観念して風呂場に吸い込まれていった。日向がお風呂を済ませている間に洗い物を片付けながら、大樹に話をする。
「大樹、日向お姉ちゃんはね、お姉ちゃんと勉強するために来てくれたの。洗い物終わったらお姉ちゃんたちはお部屋でお勉強するから、ママが帰ってくるまでテレビ見て待っててね」
「うん、わかった」
「ありがと」
聞き分けのいい大樹にお礼を言って、私は残りの洗い物を手早く済ませた。しばらく考え事をしていると、お風呂を済ませた日向が脱衣所から出てきた。
「優里、お風呂ありがと」
日向は私が渡した長袖のジャージを着ている。肌を見せないように長袖にしたのは正解だったと思う。たぶん、改めて傷を見てしまうと、私の方が耐えられない。
「日向、ごめんね、それ暑くない?」
「ううん、大丈夫。ありがと」
「そっか、じゃあこっちに来て、髪乾かしたげる」
「え~なんか恥ずかしい」
「文句言わないの、せっかくの綺麗な髪が傷むでしょ」
「は~い」
我が家に慣れてきてくれたのか、いつもの調子が少しずつ出てきているように感じる。私は日向の長い髪を丁寧に乾かしながら、その背中を見つめる。今はジャージに包まれているこの背中にももしかしたら、なんていやな想像をしてしまう。
「日向、髪乾かし終わったら、私の部屋で待ってて。私もお風呂済ませてから向かうから」
「うん」
「気になる本でもあったら借りていっていいわよ。はい、おしまい。じゃあ私はお風呂入ってくるわ」
「ありがと」
日向を部屋に案内してから、脱衣所に向かう。普段より駆け足で風呂を済ませ、最低限のケアだけしてから部屋へ急ぐ。自分の部屋の前に立って、一度深呼吸してからドアをノックする。私の部屋に入る許可を貰うという、この少し奇妙な状況を可笑しく感じながら、日向の声を待っていた。
「は~い」
「私よ、入っていい?」
「ふふっ、優里の部屋なのに?もちろんどうぞ」
日向が同じところで可笑しく感じていることに嬉しくなりながら部屋に入り、私は床に座っていた日向の隣に腰を下ろした。
「日向、カレーどうだった?」
「美味しかった。うちとは違って茄子が入ってるのもおいしかったな」
そんな当たり障りのない話題をしばらく続けた。多分お互いこんな話題どうだってよかった。でも私は聞くのが怖くて、日向は話すのが怖かったからなるべく寄り道がしたかった。ただそれだけ。
「……日向」
雑談の手札もなくなってきたころ。意を決した私は真剣な表情で日向を見つめる。私の表情でこれからの展開を察した日向の顔からも笑顔が消えていく。
「日向、私にできることはない?」
「ないよ。今日のこれが最初で最後」
「違う。最初だけど最後じゃないわよ!いつだって来ればいい。……ほらっ、カレーくらいだったらいくらでも振る舞うから」
「ううん、そんな迷惑かけれないよ」
「迷惑じゃないって言ってんの!」
みるみるうちに私の視界はぼやけて、日向の輪郭も分からなくなっていく。
分かっている。中学生の女子ひとりに出来ることなんてたかが知れていることくらい。でも、ただひとりの親友が辛い目に遭っているのを目の当たりにして、放っておけるほど薄情でもない。何か、何かしてあげられることは――
「そうだ、家族!家族には相談したの?もし言いにくいんだったら私が――」
そこで言葉が止まる。私は勝手に傷の原因はいじめによるものだと思っていた。私の知らない間に日向が誰かにいじめられているんだと。でもそんなわけがない。私は四六時中と言っていいほど日向と一緒にいたんだから。
「……家族なの?」
頷く日向にめまいがする。私の家族は両親が共働きで私にも多少の負担があるものの幸せな家族だと思っている。だから家族が選択肢に挙がってこなかった。親は子を愛し、子もまた親を愛すものだと。私は恵まれすぎていた。
いやでも待てよ、日向には確か妹がいるはずだ。
「妹は?日向だけの問題じゃないんでしょ?」
「ううん。お母さんが怖いのはね、小景が部活でいないときだけ」
「なっ、んでよ」
「……それは……わからない」
わからない。何をすればいいのかさっぱりわからない。でもみすみす日向を家に帰すわけにはいかなくなった。私は必死で考える。捨て猫じゃああるまいし、今すぐうちの子にとはいかない。どうすればいい?
しばらく考えて、私はひとつ策を閃いた。




