第20話 希望
ーリハビリは、壮絶だった。
「…ッ…ハッ…」
「神代くん…今日はここまでにしよう?」
「…まだ…」
全身の裂傷と右腕の脱臼の経過は順調だった。
俺を苦しめたのは、歩行訓練と肺機能だった。
絶対安静からのリハビリ開始もかなり無理に早めてもらっていた。
「ま〜た、無理して〜」
「蒼真、頻呼吸だ」
白石と蓮の声がリハビリ室の入口から聞こえ、蒼真は顔をあげた。
2人は手に持つ端末の画面を見せつけた。
《KAMISIRO SOUMA :頻呼吸、SpO2低下》
「生体反応デバイス…うぜぇ」
げんなりとした表情を浮かべ、蒼真は肩を落とした。
「はい、神代くん、座って酸素ね」
リハビリ担当者がニッコリと笑っている。
が、その目は笑っていない。
蒼真が座り酸素マスクをつけると、やれやれとその場を離れた。
「お前が導入したんだろw」
白石も笑って、現場以外でも役に立ってるね〜と端末を覗き込む。
「焦ってんのか」
蓮がタオルを手渡してくれた。
酸素を吸いながら俺はタオルを受け取った。
「……別に。第一に戻りたいとは思うけど…焦ってるわけじゃねぇ」
「……暇か」
「多分、それ」
蓮が少し呆れた顔をする。
「まぁ、ちょっと分かる」
頭をかきながら、呟いた。
滑落事故の後、蓮もリハビリに暇だ。と理由をつけて多くして怒られ、病室から脱走していたらしい。
蒼真は酸素を大きく吸いこんだ。
まだ肋骨も治りきってない。
そして…肺は完全に元に戻らない。
「白石先輩、蓮」
「俺、前みたいには動き切れない」
3人の間に重たい空気が流れた。
否定は返って来なかった。
白石も、蓮も。
もう分かっているからだ。
「……多分、もう」
蒼真は小さく息を吐いた。
「前みたいに、一人で突っ込むのは無理だ」
白石は何も言わず、ただ静かに端末を下ろした。
蓮だけが、小さく息を吐いた。
「当たり前だ」
「お前、死にかけたんだぞ」
蒼真は苦笑する。
「……まぁな」
軽く返したつもりだった。
でも、その声は少し掠れていた。
誰も喋らなかった。
酸素の流れる音だけが、静かに響いている。
蒼真はゆっくり目を閉じた。
昔の自分なら。
きっと認めなかった。
動ける。
まだ行ける。
俺がやる。
そう言って、また壊れるまで走ったと思う。
でも今は違う。
守りたいものがある。
帰りたい場所がある。
麗華。
まだ生まれてもいない子供。
第一のみんな。
蓮。
失いたくないと思ってしまった。
蒼真は静かに息を吸う。
肺が痛む。
それでも、言葉を落とした。
「……だから」
白石と蓮が顔を上げ、蒼真に視線を送った。
蒼真は酸素マスク越しに、小さく笑った。
「今度は、ちゃんと帰す」
その言葉に蓮が少しだけ目を細めた。
「……やっと分かったか」
「うるせぇな」
蒼真は笑った。
昔みたいには飛べない。
もう、“弾丸”には戻れない。
だけど、それでも。
守れるものがあるのなら。
帰せる命があるのなら。
その為に、生きて帰る。
蒼真はゆっくり立ち上がった。
痛みは、まだ消えない。
酸素も外せない。
それでも、その目だけは前を向いていた。
リハビリ室の扉が静かに開いた。
蒼真が顔を上げるより先に、白石が小さく笑う。
「噂をすれば」
その声で蒼真が視線を向けた先には私服姿の麗華がいた。
「……来たんだ」
「来るって言った」
白石は笑いながら端末を閉じた。
「じゃ、俺達は空気読むから。神代、酸素外すなよ〜」
「はいはい」
軽く手を振りながら白石が出て行き、蓮もその後を追う。
すれ違う瞬間、蓮は小さく振り返った。
「ちゃんと帰れよ」
静かな声で、その言葉を置いていく。
蒼真は少しだけ目を細めた。
「……分かってる」
扉が閉まり、リハビリ室が静かになった。
蒼真は酸素を吸い込みながら、ゆっくり視線を落とした。
さっき口にした言葉が、まだ胸の奥に残っている。
前みたいには動けない。
その現実は、言葉にすると想像以上に重かった。
麗華はそんな蒼真の前まで来ると、少しだけ屈み込んだ。
「苦しい?」
「まぁ……ちょっと」
誤魔化すみたいに蒼真は笑ったり
でも麗華は騙されない。
酸素越しの浅い呼吸も。
無理に立っている事も。
全部見えていた。
麗華は怒らず代わりに小さく笑う。
「頑張り過ぎ」
蒼真は少しだけ視線を逸らした。
「……早く戻りてぇし」
「第一に?」
「それもある」
蒼真はゆっくり息を吐く。
呼吸の度に鋭く痛む胸。
でも今は、その痛みから逃げなかった。
「本当は……産まれて来る子供をちゃんと抱きたいから」
蒼真は穏やかな表情で麗華の腹部へ目をやる。
少しだけ主張してきたその命。
時々、ここに居るよ。と動くらしい。
生まれてきたその日、立って歩いて、この腕で抱きしめたい。
まだ見ぬ愛しい我が子の為なら、辛くても折れない。
「……うん…あ、今、凄い動いてる。触ったら分かるかも」
「マジ?」
自然と蒼真の右手が伸びた。
けれど、その動きが一瞬だけ止まった。
麗華は蒼真の手を優しく取ると、お腹へとあてた。
「ね?ここ」
「………ポコポコいってる?」
「そう、それ」
麗華が笑顔になった。
やっと、分かったねと呟いた。
酸素の流れる音が静かに響く。
穏やかな家族の時間。
この場所を守りたい。
帰って来るために。




