第11話 再始動
消毒液の匂いが、やけに強く感じた。
規則的な機械音がだけが静かに響いていた。
ピッと音が一つ、わずかに乱れ指先が微かに動くと、ゆっくりと、まぶたが持ち上がる。
視界は白く、ぼやけた天井が目に入る。
――息が、重い。
喉が焼けるように乾いている。
「……」
声にならない。
もう一度、息を吸う。
肺が、軋む。
それでも、意識ははっきりしていく。
――生きてる。
わずかに、目だけを動かした。
点滴、モニター、見慣れないほど、静かな空間だった。
そして、その点滴を確認する女性と目が合った。
「黒瀬くん…ッ!」
麗華だった。
意識が戻ったのを確認するとナースコールで他のスタッフを呼び出し、状態の確認をしてくれた。
呼吸の確認をして挿管チューブも抜いてくれた。
その合間に電話を1本かける。
まだぼんやりしていると麗華から問が届く。
「名前、分かる?」
「…黒瀬…蓮」
「私は?」
「……東雲……麗華さ、ん…」
それを聞くと麗華は頷く。
言語障害も記憶障害も無さそう。とカルテに記入していく。
そんな確認等をしてもらって少し時間が過ぎた頃だった。
廊下をものすごいスピードで走り抜けて来る足音が数人分聞こえてきた。
ーガラッ!
「蓮…ッ!!」
息を切らした蒼真を先頭に第一特務遊撃隊のみんなが来ていた。
……隊服がドロドロだ。任務帰りだろうか…。
「ちょっと、うるさい」
「……すいません」
大声を出さない。と麗華に睨まれて小さくなる第一のみんなを見て、蓮は微笑んだ。
「蓮さん、良かった…っ!」
奏が涙を流している。
「泣くなよ、奏〜」
そういう白石も涙目だ。
「黒瀬、待ってた」
「うん、本当に良かった」
3人が蓮の意識回復を喜んだ。
「……おう」
蒼真は低い声だった。
それ以上、声を出せなかった。
「……なんだよ…」
蓮も答えた。
「戻って来たな」
「……当たり前だ」
その短い会話だけ済ませると処置の邪魔になるから、戻ろうと蒼真は第一を引き連れ出ていった。
「素直じゃないんだから、2人とも」
「……男なんて、そんなものです」
不器用者同士、言葉足らずでも繋がる思い。
それだけでいい。
蒼真はタバコを吸いに行く。と隊室へ戻る前に第一のみんなと別れ、喫煙室へと向かった。
吸う訳でもないのに、電子タバコはずっと隊服の胸ポケットに入れていた。
その時をずっと待っていたかのように。
電子タバコを取り出し、慣れた手つきでセットし吸い始める。
ひと吸い。
「……やっぱ、美味ぇ…」
言葉と共に自然と涙が溢れた。
拭いても、拭いても止まらない。
誰も居ない喫煙室で1人、蒼真はしゃがみこんで子供みたいに泣きじゃくった。
蓮が目を覚ました、その喜びを噛み締めるように。
会議室は静かだった。
長机の上に並ぶ資料の一番上に、黒瀬蓮の名前。
「結論から言う」
天音が口を開いた。
「蓮は長期離脱だ」
誰も驚かない。
分かっていたことだったから。
「現場復帰は当面不可。リハビリ優先」
淡々とした声で事実だけが並んで行く。
「第一特務遊撃隊は再編する」
一瞬だけ、空気が張り詰めた。
「隊長は――神代蒼真」
幹部達の視線が蒼真へ一斉に向けられた。
蒼真は腕組みをして少し考えると言葉を発した。
「……えーと、断れる?」
数秒、誰も答えず、会議室は静まり返った。
「他にいるのか?お前の推薦とか」
橘が短く返した。こんな場面で何言ってんだ。と視線に刺される。
「現場判断、実績、統率。現時点で最適だ」
逃げ道はないようだと蒼真は小さく息を吐く。
「……了解」
軽くもなく、重くもない返事をした。
ただ、受け取った。
「副隊長は白石悠斗」
「……は?」
白石が顔を上げる。
「俺ですか?」
「不満か」
「いや、ないですけど……」
「バランスを取れ。お前の役目だ」
「……了解です」
白石の背筋が少しだけ伸びた。
「そして、新規配属者」
天音が資料を一枚めくったその時ドアがノックされた。
「入れ」
扉が開くと一人の青年が入ってくる。
姿勢はまっすぐで視線はぶれない。
「久我律、入ります」
静かに一礼する。
「第二特務遊撃隊より選抜。年齢22」
橘が説明を続ける。
「現場対応力は基準以上。判断はまだ浅いが、伸びる」
蒼真の視線が久我へ向け「来たな」と隣の白石にしか聞こえない声で呟いた。
律は目を逸らさず、蒼真を見つめていた。
「……よろしくお願いします」
はっきりした声。
「第一特務遊撃隊、配属を命じる」
天音が告げる。
「はい」
迷いはない。
「以上だ」
会議は終わった。
椅子が引かれる音が重なりそれぞれが立ち上がる。
蒼真はそのまま動かず机に視線を落としたままだった。
「神代隊長〜」
白石が呼ぶと蒼真は顔を上げ嫌そうな顔をした。
「……やめてください…」
「え?」
「まだ慣れねぇ」
白石が苦笑する。
「すぐ慣れるだろ。副隊長の時も同じだったぞ」
「そうだっけ」
短いやり取りだが、2人の空気は変わっていた。
「律」
「はい」
蒼真が名前を呼ぶと律が一歩前に出た。
「よく来た」
「はいっ」
「ついてこれるか」
「ついていきます」
久我は蒼真が第一と第二の合同訓練や任務での動きを見て、橘への推薦状を出していた人材だ。
「…命に食らいつけ」
それだけ蒼真は律へ告げると椅子から立ち上がった。
そして白石の肩を叩いた。
「白石先輩」
「は〜い」
「フォロー頼みます」
「任されましたっ」
「行こう」
廊下に出て並ぶ3人
隊長、副隊長、新人。
まだ形になっていない隊列だがそれでも、歩き出す。
「……黒瀬さん」
律がぽつりと呟いた。
「いつ戻るんですか」
白石が答えようとする前に蒼真が言った。
「戻る」
一拍間を開けて蒼真は再び口を開く
「必ずな」
振り返らず歩きながら発したその言葉に嘘はない。
律は小さく頷いた。
「……はい」
隊室の扉が見える。
蒼真は止まらずそのまま開けた。
中の空気が変わり、待っていた奏と雨宮が視線を向ける。
「……隊長」
奏が言った。
蒼真は一瞬だけ止まる。
「仕事だ」
蒼真はそれだけ言った。
返事は誰もせず全員が動き出した。
書類、無線、装備。
音が一気に増えていく。
蒼真はその中心に立ち指示を出す。
迷いはない。
第一特務遊撃隊は
新しい形で、動き出した。




