第8話 畳
お読みいただきありがとうございます
台風が接近しております、皆様に置かれましても、どうかお大事に
外が明るくなって、いつの間にか眠っていたと気付いた、眠れないなと思っていたがよく眠れた気がする。朝の光がまぶしい。
横ではナダさんがまだ眠っていた、浴衣が少しはだけて、無防備な寝顔を見せている。
そういえば初めて見た気がするこの人の寝顔。
「やっぱりチンピラさんは寝顔もチンピラさんだなぁ……」
朝ご飯は、鮭の焼いたのとお味噌汁と納豆と海苔、それにホカホカとろとろのお粥だった。
昨日のごちそうの後だ、こういう軽めのご飯がありがたい。
綺麗に平らげた俺たち、今日はこれからどうするんだろうと思っていると、くるみさんは「私はもう少し寝ます」と言いながら隣の部屋に引き上げてしまった。
ナダさんは部屋の端で、壁にもたれながら、文章がみっしり書かれたA四サイズの用紙を真剣な顔で見つめている、大クモ退治に関する事が書かれているのだろうか。
今日は朝から快晴、窓から見えるのは幾重にも広がる壮大な山の緑と空の青、見事なコントラストが美しい、すべての生き物は海から生まれ、やがてこの広大な大地に育まれ、聖なる山々に守られて生きてゆく。
眼下には木々の間にも、人々の営みをうかがえるような集落も見えた。
この山はなんていう山なんだろう。大クモが封印されていたのってこの山の事なのかな。
「この山は昇琉山と言います、この地域では一番大きな山なんですよ」
「へぇ~、しょうりゅうさん」
横ではサクラさんが顔と両手をく窓にくっつけるようにして景色を見ている、都会では見られない風景だもんね。
「観光地としても有名で、ハイキングコースも整備されています、一般市民には素敵な山です」
「ハイキングかぁ、いいなぁ」
高台に上り広大な田舎の景色を見下ろしながら気持ちよさげにおにぎりを頬張る自分を思い描いていると、下の階からひなたちゃんの「行ってきまーす」という元気な声が聞こえてきた、今から学校に行くのだろう、ちょうどそんな時間だ。
「こんな山の中でも学校があるんだ」
窓の下には、俺たちが登ってきた坂道が見える、改めて見ると予想以上に長くてくねくねしていた、よくあんな坂道を登ってこれたなと。
「トド、窓開けろ」
後ろからナダさんの声がする。
「へ、なんで?」
「いいから開けろ!」
「はいっ!」
ナダさんの勢いに負けて、条件反射的に窓のロックを解除し、大きなガラス窓を開ける、冷たい風が入り込んでくる、寒い。せっかく暖かくなった部屋が、やっぱり閉めた方がいいのではと思い手をかけたその時、風を切るような音が聞こえたのと、何かが俺の頬をかすめていったのがほとんど同時だった。
バシュッという音とともに振り返ると、ナダさんの足元に一本の矢が刺さっていた。
以前にも見た事ある光景だ。
「――っぶないじゃないですかぁ」
頬にはまだ、矢が風を切って通り過ぎた感触が残っている、タイミングが少しでもずれていたら、と思うとゾッとした。
「惜しい」
「惜しくないです!」
矢の先には紙が括り付けられていた。ナダさんはその矢を引っこ抜き、括り付けられていた紙をほどく。
「畳に穴が……」
綺麗な畳なのに、後で怒られても知りませんよ。
その手紙に何が書かれていたかは知らないけれど、読み終えたナダさんが腰を上げた。
「どこかに行くんですか?」
もう大クモ退治に出かけるのかな、それにしては派手な柄シャツに黒のパンツ姿といういつもの格好だ。
「まだ何もしねぇし、大クモ退治だからと言って特別な恰好なんかしねぇよ、まずは情報集めだ、寺の住職に会いに行く」
お寺、ナダさんに一番似合わない場所だ。
「じゃぁ、俺も一緒に行っていいですか、ここに居ても退屈なだけだし」
サクラさんも無邪気に「行く~」と楽しそうに答えた。
「おう、ちゃんとついて来いよ、迷子になるんじゃねーぞ」
ナダさんに頭をポンポンされた、子どもじゃねーんだぞこら!
宿を出て、ちょっとしたハイキング気分で歩くこと三十分。山の斜面のあちらこちらに古い家々が立ち並ぶ集落へとやって来た、人のいる気配があまり感じられないが、よく見ると洗濯物が干されていたり、車が止まっていたりするので、村人もいるにはいるのだろうが、聞こえるのは風に揺れる木々の音だけ。しばらくは人がすれ違うのがやっとといった未舗装のあぜ道を歩いていた。
ふと前方に見知らぬオジサンが立っていた、この村の人だろうか、頑丈そうなベージュのズボンに長靴、上は紺色の厚手のジャンパー姿、首にタオルを巻いて畑仕事に行くのだろうか。
俺が先頭を歩いていたので、軽く会釈をして通り過ぎればいいかと思い、気にせず端によってみたら、なぜかそのおじさん、睨みつけるような形相で俺たちの前に立ちはだかった。
「おんしら、何しに来た!」
「は?」
何しに来たと言われても、クモの駆除に来たというか、ねぇ。
のどかでのんびりした風景とはかけ離れた、穏やかじゃないおじさんの様子に、答えに困ってナダさんを振り返ると、ナダさんはそんなおじさんなんか眼に入らないような勢いで俺を追い越し「行こう」と一言言うとさくらさんの手を引いて、おじさんの横を無理やり通り過ぎようとする。
「ここはおんしらの来るような場所じゃねぇ!」
それでもナダさんを通すまいとするおじさんに対してナダさんは無言で睨みつける。
俺には強気に出たおじさんも、流石に自分より背の高いチンピラのひと睨みには腰が引けたらしく、俺たちは横をすり抜ける事が出来た。
「これ以上この村に災いを引き起こすような輩はとっとと出てけ‼」
足早に立ち去る俺たちの背中にまだおじさんの怒濤が降り注いだが、追いかけてくるつもりはなさそうだ。サクラさんもいるので、物騒なことはしたくなかったので安心した。
「何なんですか、あれ?」
おじさんの姿も見えなくなって、ようやく緊張が解けた俺は、深く息を吐きだしてからナダさんに話しかけた。
「封鎖的な田舎ではよくある事だ、気にするな」
「ちょっと恐かったです」
ちょっとどころではない、見知らぬ人に因縁付けられるなんて初めてだったから、心臓バクバク言ってるしものすごく恐かった、ナダさんは場慣れしていらっしゃるでしょうけど。
「この村に災いがどうとか、って言ってましたよね、どういう意味なんだろう、大クモと関係あるのかな?」
「さぁ、そこまで考えてねぇんじゃねぇか、因習深い田舎だと、よそから来た奴は皆怪しいと思われてる節があるからな」
そんなもんなのか、山で仕事して木を切ったり、野菜造りに精を出したり、縁側で日向ぼっこしながらお茶すするような、ゆったりとした時間が流れている空気の美味しい田舎暮らしも、そんな殺伐とした一面があるのか。
気を取り直してしばらく歩いていく、途中にもポツポツと古い田舎の家が建っていた、俺が何気に目線を感じその窓の方に目をやると、そのとたんに窓をピシャリと閉じられた。
「何なんだ、いったい……」
他の家々も、どこも門扉は固く閉じられ、俺たちの立ち入る隙を与えないようだ。立ち入る気も無いけれど。
ナダさんには「気にするな」と言われ、気にしないようにはしたものの、なんだか気味が悪い。
そんな集落も過ぎ、山道をさらに進むと鬱蒼とした森の木々に守られるように、赤黒い壁の建物が見えてきた。寺の入り口に立つ門のようだ。
「ここがお寺ですね」
「おう、ここが龍焔寺だ」
「りゅうえんじ?」
ナダさんの真似して門を見上げている、そこには達筆な文字で龍焔寺と書かれた、古びた看板が掲げられていた。
「表札の字が違うけど、昇龍山にちなんで龍焔寺なのかな、でもこっち漢字の方がかっこいい」
「表札てお前、あれは扁額って言うんだ覚えとけ」
「へんがく……へぇ……」
流石絵描きさんは物知り。まぁ俺にはどうでもいいけど。なんて思いながらナダさんに続いて門をくぐろうとすると、左右には大きな仁王様がいた。
「おお!」
「おっちゃん」
「おっちゃんじゃないよ、仁王様だ」
ゆうに二メートルはあろうかと思われる阿形吽形の像、厳めしい面で門をくぐろうとする俺たちを睨みつける、流石はこの寺の門番だかっこいい。背の高いナダさんから見ればそうでもないのかもしれないが、俺が見るとやっぱり大きいし、サクラさんが見るともっと大きいだろう。
「おら、早く来いよ!」
ナダさんに呼ばれるまで、その雄姿に見とれていた俺とサクラさんだった。
仁王門を超えるとそこには長い登りの階段。
「ここを登るんですか」
「当たり前だ、行くぞ」
ナダさんとサクラさんが当たり前のように登ってゆくので、俺も渋々付いていく。
石の階段が果てしなく続いている、疲れ知らずのサクラさんはともかく、呼吸を乱すことなく上るナダさんに付いていくだけで必死で、足がちぎれて心臓と共にどこかに吹っ飛びそうになりながら、登り切った先には――。
「何だそれくらいの事で、情けねぇなぁ」
ちょっと待って、周りの景色を見る余裕すらない、体力を使い果たし、前かがみになって息も絶え絶えで死にそうになっている俺にナダさんの冷たい声が容赦なく降り注ぐ。
あぁどうせ俺は情けないですよぉ
「トド、しにそう」
サクラさんにも心配されたよ、いやいやいや、こんなことで死ぬわけにはいかない。呼吸を整え体を起こして何とか生還する。
見渡した境内はとても広くて、御賽銭箱を抱えた小さな祠がいくつかあったり、右手には小さな池があってその池の真ん中に小さな島があってそこを結ぶ橋が架かっていたりと、かなりの広さがあるお寺だ。
そして真っすぐ奥には、古さを感じるけれど、大きくて立派な本堂があった。
まずは手水舎で手と心を清める。
本堂の横には大きな古い木の板が掲げられていて、そこに絵が描かれていた、古い物らしくちょっと薄汚れて色が剥げているし、絵の隅に書かれた文字も達筆すぎて読みとれないけれど、とぐろを巻きながら牙をむく竜と大きなクモが対峙している絵だ。竜炎山の大クモ退治の伝説が描かれたものらしい。
この山は昔から大クモにまつわる伝説があるようだ。
おみくじとかお守りなんかを売っている窓口があり、そこで眠そうにしていた年配の女性に案内されて中に入った俺たちを待っていたのは大きくて金ぴか立派な仏間に鎮座される観音様。
その観音様を背に、テカテカした座布団にちょこんと座っていたのは、黒字の着物に黄色い帯を肩にかける袈裟姿、小柄でやさしそうなお爺さん和尚だった。
「よう来た、待っておったぞ」
お爺さん特有のしわ枯れた声がした。
俺たちは和尚さんと向かい合う形で、並べてあった座布団に座ると、ナダさんが深々と頭を下げるので、俺も思わず真似てみる。
「この度はお招きいただきありがたき幸せにございます」
いつものヤクザ言葉は影を潜めて、まともな言葉を述べているよ。ちゃんとした場所ではちゃんとするんだ、凄い。
今日ここへ来た目的、この住職にこの村の過去の話を聞くことにあるらしい、ナダさんの話によるとこの和尚は語り部でもあるのだそうな。
語り部。昔の話を聞かせてくれる人の事だね、戦争時代の体験談を感情込めて話をする人たちを紹介しているテレビを見た事あるぞ。
この住職は昇龍山にまつわる民話を語ってくれるという。
観客はナダさんとサクラさんと俺。三人しかいないけれど快く披露してくれる。
ゆったりとした長閑な山の風景から話は始まる、そこの一角にある小さな村、それまでは平和に暮らしていた村だったがある日、雨が一切降らなくなってしまった。
お陰で川が干上がり、村人たちが細々と育てていた農作物も育たなくなり、更に疫病も広がり、村人たちは飢え死にしてしまう。
そこに現れた拝み屋が言うには、この飢饉は竜炎山に住む大クモの仕業、大クモの怒りを鎮めるにはこの村一番の長者の娘を生贄に捧げるしかないと言う。
長者の娘といえば、別嬪さんでお年頃の娘が一人いる、もちろん長者様もこの娘をかなり溺愛しておった、生贄なんぞに差し出すわけにはいかない。
その話を聞いたとある侍が多くの兵士たちを連れて大クモ退治に乗り出すのだが、大クモの力が強くてまるで歯が立たない。そこで侍はこの寺で三日間修行し、龍に姿を変える力を得るのだ。
とうとう雨乞いの日がやってきた。そして昇琉山から大きな大きなクモが現れた。
『この美しき娘はワシのものぞぉ~』
大クモが娘を足にかけ攫おうとしているまさにその時。
ダンダンダンダン!『待て待て待てぇ~い!娘は返してもらうぞ!』どこからか大クモを止める声がする。
『ええい、何奴!』大クモが振り返るとそこにはお侍様。
『我こそは、昇龍山の神の力を得た龍の化身であるぞぉ、これ以上悪の限りを尽くさんとするならば覚悟なされよぉ!』
のんきに座り込んで話していた住職に突然何かが乗り移ったかのように足を投げ出し拍子木を床に打ち付け、その迫力ある音に一瞬で空気が変わる、両腕を頭の上に突き出して、侍が龍へと変身するシーンだ。
見た目は枯れ枝のようにシワシワで細い手足なのに、その動きとこの爺さんから発せられるオーラは完全に大クモであり、強い巨大な龍そのものだ。
ど派手なジェスチャーを交えながら物語はクライマックスへと突入する、大クモと龍の対決シーン、和尚の語りも熱がこもってきて思わず背景に龍と大クモの姿が見えてしまうほど。
『シャァァァァァァァァ!』だの『キョアァァァァァ!』だの効果音を交えながら繰り広げられる住職の芝居に、つい夢中になって口ポカンな俺と、手をたたいて竜を応援するサクラさん。
その迫力に、いつしか虜になってしまっていた。
大クモを倒し終え、竜は山に帰って行き、村に平和が戻ると、最初の好々爺和尚も帰ってきた。
「この語り部をするのも久しぶりじゃった」
その割にはものすごくノリノリだったと思います。すごく楽しかったです。いいものを見せてもらいました。
鳴りやまない俺とサクラさんの拍手の中俺は思った、ナダさんはこんな大クモと対峙しようとしているのか。
ナダさんの横顔をそっと伺うと、いつものナダさんだ、これから大クモを倒しに行くという緊張感もあまり感じない、竜と対峙して娘を小脇に抱えるほどの大クモだ、大丈夫なのだろうか。
「あんなでけぇクモがいる訳ねぇだろ」
それもそうか。
「じゃぁ、ナダさんはどのクモを駆除しに行くんですか?」
「そう慌てんな、それより今はもう一件厄介な案件を抱えちまったからよ」
「厄介な案件って?」
「そんな訳だ和尚、あんたはあの火事をどう見てるんだ?」
俺の質問は無視された。代わりに和尚と知らない話を始めた。
「消防隊が駆け付けた時はもう既に建物全体が火の海じゃった、あれは、ただの哀しい事故じゃ――世間はそう思うておる……」
「なら、今のあの状況は誰の仕業だ?」
ワシには何も解らん、とつぶやくように好々爺が答える、この村のどこかで火事があったらしい。
「お前さんはどう考える?」
ナダさんに聞いてきた。ナダさんも大きなため息を一つつく。
「俺にだって何が何だかわからねぇ……」
まるで奥歯に挟まった苦虫を噛むかどうか思案しているような表情を浮かべた。
「ナダさんでも解らない事があるんだ」
「俺は全知全能の神じゃねーんだ、解んねぇことだっていっぱいあらぁ」
「じゃぁ、何で門外漢のナダさんが大クモ退治にやって来たんです?」
素朴な疑問だ、クモの駆除なら専門家に任せればいいのにと、これはこの間も思ったけど。
「だよな」
ナダさんは大きく息を吸い込んでから、静かに天井を見上げた、お寺の天井らしく木が格子型に張り巡らされていて、その四角い一つ一つの中に絵が描かれていた。古くて解りづらかったけれど、花の絵が描かれているようだ。
「俺にだって男の意地ってもんがあるんだよ」
クモの駆除が男の意地ですか。
駆除しようとしている大クモは、ただの蜘蛛ではなく、長く生きて不思議な力を得た妖怪とか化け物の類だとナダさんは言う。成程猫又みたいな奴かな。
そいつは以前にもこの山に現れて暴れるものだから、ある人が何とかして封印した。
だか最近になってその封印が解け再び暴れようとしている、というのは芝さんからの話で聞いた。
成程、ナダさんはその妖怪クモをやっつけたいのですね、封印だなんて甘っちょろい事じゃなく、完膚なきまでに倒してやりたい、と。
ナダさんはどんなに強い化けモンが来ようが、目の前に現れてくれれば倒してやると豪語する、だが今はどこかに姿をくらましているらしく気配すら感じない、だからどこにいるのか解らない、やりようがない。だそうだ。
おびき出さなきゃいけないんですね。
物騒な話をしているけれど、ナダさんがいつの間にか足も崩しているし和尚に対してタメ口になってる。仲良しか!
「仲良しって言えるような大それた関係じゃねぇよ、芝に頼まれてここまで来たんだ」
「芝さんって、じゃぁ芝さんに手紙を送ったのは和尚さんなの?」
「そうとも、ワシが大クモの気配に気づいたのは十日ほど前じゃったかの……」
ある日朝のお勤めを終えた和尚が庭の掃除をしようと外へ出て、ふと見上げた山の中腹、そこに何やら黒い靄のようなものがかかっていて、その靄が段々とおどろおどろしいクモのような形になって、そして消えていったのだそうな。
「あの辺りはかつて大クモを封印していた場所、おそらく登山に訪れた観光客が荒らしたのかもしれぬが、酷いことをする」
大クモの封印が解かれたことを知った和尚が、そのことを知り合いの芝さんに連絡、で、ナダさんに駆除の話を持ち込んだと。
なにこの繋がり、こんな田舎のお坊さんとも友達とか、流石変な絵を扱う人だけあって芝さん只者じゃないな。
朝から民宿に矢を飛ばしてきたのも和尚だったんだ、和尚ものろしと矢の仲間だったのか。畳に穴を開けちゃって、あとで怒られても知らないんだから。
「心配には及ばん、気にすることではない」
図々しい好々爺和尚だ。
「ぐぅ~」
図々しいのは俺も同じかも、こんな時に胃が空腹だと告げている、もうそんな時間だ。
「もうこんな時間じゃの、どれ、飯の支度をさせようかの、お前さんらの分もあるから食っていけばいい」
「えっ、いいんですか?」
本当、図々しいのな俺。
「遠慮はいらんぞ、たんと食っていけ」
そう言うと和尚は立ち上がって、お堂を後にした、きっとご飯の支度に行ったのだろう。
「おう、悪ぃな」
ナダさんもそう言いついて行くので、安心してお呼ばれされていいのだろう。
「あ、でも、俺らはいいけど、くるみさんは?」
今頃宿で一人ぼっちだ。山の中だからお店も少ないしコンビニも無い、おなかすかせているんじゃないかと心配だ。
「あぁ、あいつなら大丈夫だ、放っておいても死にはしねぇよ」
死ぬとかそんな大げさな、とも思ったけれど、宿の人にお昼を手配済みだというので安心した。
お堂を出て廊下の先には和尚さんの住居がある。台所へと案内されたら、普通の家庭でも見るような普通の食卓があった。
広い畳の部屋に、横に並んで座って、そこに朱色に塗られた四本の足が付いたお膳に乗った精進料理が運ばれてくるのを想像していたが、座ったのは普通のテーブルで、そこに俺とサクラさん、向かいにナダさんと和尚が座った、出てきたのは天丼だった、でもご飯の上に乗っているのは野菜じゃなくて、ほっこりと温かいがやたらゴロリと丸いのが四つ、これは何の天ぷらだろう。
頂きますしてから一口かじってみた、衣の中にいたのは、鶏肉だ。
鶏と言えば唐揚げを連想するのだが、これはてんぷらの衣に包まれて揚げられている。
鶏肉を天ぷらにするの初めて見た。
柔らかい鶏肉から肉汁がじゅわりとあふれ出て、天丼のたれとも相性が良くてから揚げともまた違う良さがある、旨し!家でもやってみよう。
「この昇琉山は昔から竜と大クモの逸話はたくさんあったのじゃ」
天丼を頂きながら和尚の話を聞くことになった。
「さっき見せたのは、観光客用に脚色されたものじゃ、寺にあった古文書によると、雨乞いの生贄に差し出されたのは、長者の娘ではなく身代わりにされた身寄りのない娘さんじゃった、大クモはその娘を攫ってゆくが、雨が降るどころかさらに日照りが続いた、偽物を掴まされた大クモが怒ったのではないかと、あわや暴動がおきんかと思われたので、今度は本当に娘を生贄に雨ごいをしたんじゃが、今度は竜が現れて娘を攫って消えてしまった――」
クモと竜が戦う話じゃないんだ、どのみち娘は攫われる運命だったんだ、ならば最初に攫われた娘さんが気の毒でならない。
「とにかくそんな昔から、大クモが居たって事か」
ナダさんの顔が曇る。娘を小脇に抱えるような大きさではないにしろ、そこまで長生きする妖怪大クモはきっと強くて手ごわい相手なのかもしれない。
「そうじゃの、過去にも腕に覚えのある奴らが何度も大クモ掃討に乗り出したのじゃが、すべて返り討ちにあってきた、お前さんはずいぶん強い、じゃがあの時命がけで封印するのが関の山だったではないか」
「命がけで封印って、ナダさんが封印したんですか?」
「――そんな事は解ってる、今度は無理しねぇ程度にぶっ殺すつもりだ」
口を挟んでみたけれど、見事に無視されたよ。
ナダさんの顔が怖い、眉間にしわをいつも以上に寄せてまるで殺人鬼かヤクザの組長、復讐の鬼になったみたいだ。
命を懸けて大クモを封印したという話だけど、ナダさんが封印したのか、そう言えば腰に大きな傷があったけどそれはその時の傷に違いない、成程、今回はそのリベンジ。
腰に大けがをしてまで封印するのがやっとだった若いころに比べて、今はずいぶん強くなったから大丈夫かと思うけど、でも、妖怪の類はナダさんの専門外じゃないのか?そんなので勝てるのか?」
そんな事を考えているとデザートが運ばれてきた、缶に入ったプリンだ。
お歳暮でよく貰う水ようかんとセットになってる缶プリンだ、子どもの頃このプリンが大好きでよく兄と取り合いしていたっけ、最後に水ようかんばっかり残るからと母に怒られるから、じゃんけんして勝った方がプリンとか言うんだけど、兄はよくズルをしていたから俺が水ようかんばっかり食べてたような気がする。
サクラさんが開けにくそうにしていたので俺がふたを開けてあげる、カポリといい音をたててふたを開けると中には濃厚な黄土色のプリン、一口食べたサクラさんの表情を見ただけで美味しさが伝わってくる。
「ナダさん、食べないんですか?」
「あぁ、食いたかったらやるよ」
おぉ、ラッキー。なんてのんきなことを考えてる場合じゃない。確かにナダさんは甘いものが苦手だけどプリンは食べる人だぞ、そのナダさんがそれどころじゃないほど思い詰めてるのか、大クモ退治。
「ナダさんって、画家だというのに全然画家には見えないですね」
「はぁ?」
俺の何気ない一言に、今まで見た事も無いような驚きの表情を浮かべて俺を見るナダさん。
「あ、いや、だって、絵を描くのを商売としてやっている割には、幽霊退治したり、変な絵を除霊したり、今回みたいに大クモを駆除しにわざわざこんな田舎までやってくるとか、普通の人はやらない事をやってるから」
何でナダさんがここまでやらなきゃいけないのかが解らない、もしかしたら、こっちが本職で画家は世を忍ぶ仮の姿だったりして。
「ま、それも面白いかもしれねぇな」
「危険な妖怪退治を面白がらないで下さいよ!」
どこまで本気なのかつかめない人だ……。
「冗談はともかく、肝心の大クモが現れねぇんじゃ俺もやりようがねぇ、今のうちにこっちの件も何とかしてみるわ」
こっちの件、さっきナダさんが言っていた厄介な案件ってやつの事か、いくつも仕事を抱えて、ナダさんも大変だなぁ。
ナダさんが腰を上げたので、俺もサクラさんと一緒にお世話になった住職に改めて挨拶して本堂を後にする。
帰り際、住職が言った。
「母さんによろしくな」
その言葉に、ナダさんは少し困ったような、悲し気の混じったような苦笑いを浮かべ、軽く「おう……」とだけ返事していた。
息を切らして上った急な階段も帰りは下りだ、楽だ。
そう思い意気揚々と降り始めて気が付いた、階段の途中に丸っこい婆さんがいる。
何事かと思ったらどうやらこの階段を登ってきているようだ。
丸くなった背中に両手を回して、ゆっくりだがしっかりした足取りで淡々と登ってくる
俺たちとすれ違う時も、息も切れていない、しんどくないのか、確実に自分の足で登っている。
凄い、もしかしてこの人も実は妖怪なのかも⁉
「妖怪とは失敬な小僧じゃの!」
婆さんが俺を振り返って怒鳴った、本当に俺ってばごめんなさい!
全く最近の若いモンは教育がなっとらんわい、などとブツブツ言いながら婆様は階段を上り切り本堂の方へと消えてゆきました。
「安心しろ、ここではあれが通常運転だ」
凄い、強靭な肉体の持ち主、確実に俺の婆ちゃんよりもお婆ちゃんだったぞ。
そして俺は下り階段をなめていた。実は登りより下りの方が膝に負担がかかるのだ、楽々下り終えたかのように見えた俺の膝は、後からじわじわと笑うかのように震えだし、歩けなくなったことは言うまでもない……。




