第7話 ひなた
大グモ退治がいつまでかかるかしれないからと、数日分の着替えをキャリーバッグに詰めた俺たちは、朝早くの電車に飛び乗った。
そもそもどこに行くんですかとの俺の質問にナダさんは「着いてからの楽しみにしておけ」と答えるだけだった。
町の中心にある大きな駅から大きな電車に乗って数時間。俺の横で窓の景色を眺めて元気にはしゃぐサクラさんとは対照的に電車に乗り込むとすぐに眠ってしまうくるみさん。
途中駅で買った名物の駅弁を食べる時すら起きようとしない、横で肩を貸しているナダさんも起こそうとはしない、まるで寝かせてあげなきゃいけないみたいに。
電車が駅に滑り込むとそこから別の電車に乗り換える、その時はさすがに起こしてあげたが、まだ眠そうだった。
眠いというよりだるそうにホームを歩くくるみさん、それをやさしく支えてあげるナダさん、くるみさんの横には心配そうに付き添うサクラさん、俺はくるみさんの荷物も持ってあげながら、そんな後姿を見守る。
こうやって見ると、お似合いのカップルだよなぁ、見ようによってはサクラさんも入れて親子に見えない事も無い――と思うのは、くるみさんに対して失礼かなとは思うけど。
その後電車を乗り換えるたびに、車両が短くなり乗り合わせる人も少なくなって、車窓からの視界も随分と広くなり、駅に止まる回数が小刻みに増えていっている気がする。
いや、気のせいでは無かった。
これが最後だと言われて乗り込んだのは二両編成のかわいい車両、流れる景色はずいぶんと向こうまで見渡せるし、人もまばらだ。
電車のガタンゴトンの音までのどかだ。
もうすぐおやつの時間かな、ずいぶんと遠くまで来たような気がする。
田舎の風景から一転して山道を走る電車、高くそびえる木の間を縫うように走り、降り立ったのは小さな駅だった。人が誰もいない、乗客どころか駅員もいない。
無人駅、話には聞いていたが初めて見たよ、しかも線路が一本しかない、これで電車同士ぶつからないのか?
小さい券売機があった。壁に貼られた時刻表には上り下りとも一時間につき数字が一つしかない、成程頻繁に走っていないからぶつかることは無いのか、でも乗り遅れたら大変だ。
「乗り遅れそうになったら、『ちょっと待て』と走って行ったら待ってくれるぞ」
ナダさんに教えてもらった、へぇぇ~、都会の電車は容赦ないのに。
「田舎の人情ってやつですわ」
乗車中、ずっと眠っていたおかげか、すっかり元気になって笑顔を見せるくるみさん、くるみさんもここに来たことがあるのだろうか。
俺はぐんと背伸びをして駅を見渡す、空気が綺麗だから遠慮なく吸い込める。
駅には破れかけた旅行のポスター、ノスタルジック漂う錆びた古い灰皿。
プラットホームを出ると雑草にまみれた空き地に自転車が三台、こんな山の駅でも利用する人がいるんだ、それもそうかそうだよなーなどと思いながらよく見ると、そのうちの一台はタイヤがつぶれちゃって雑草が絡みついて謎のオブジェと化している。
「凄いところですね」
見渡す限り大きな木が聳え立つ山の中、人の気配がない、道は舗装されてはいたが、雑草がアスファルトを突き破って顔をのぞかせていた。
すごいところに来てしまった。
ナダさんの先導でしばらく歩くと、向こうから軽トラックに乗った第一村人発見、端によってやり過ごす、運転手の男性は見慣れない俺たちを訝しそうに見ているのが分かる、ここは愛想笑いで通り過ぎよう。
俺たちは怪しいものでは無いのです。茶髪に赤い派手なジャンパーにジーンズ姿の俺、派手な柄シャツ黒い襟の大きなトレンチコートに黒いパンツ姿のチンピラナダさん、春色のワンピースにグレーのもこもこコート姿のくるみさん、セーラー服のサクラさん、サクラさんの本体は絵なのでこのセーラー服姿でしかいられない、つまりは脱げられないわけだし、本人曰く寒くは無いらしい、しかしこの寒さの中で半袖セーラー服一枚というのもいかがなものかと思うし、何も知らない他人から好奇な目で見られかねない、だからその上から可愛いピンクのコートを着せてあげている。よく似合って可愛い。
そんなただの通りすがりの四人連れ……十分怪しいか。
俺たちはいつしか土が固められてできただけの細い未舗装の道を歩いていた、右手は見上げると背の高いヒノキの森、左手には崖になっていて、雑草の奥にきれいな川が見え隠れしている、せせらぎの音が心地よい。
やがて道は二手に分かれ、緩やかなカーブを描いた長い坂道に入ってゆく、この坂の上に目指す温泉宿があるという。
今日は朝早く起きて、いっぱい電車に乗って、いっぱい歩いて、かなりお疲れなうえにこの急な坂道、その坂道を疲れ知らずのサクラさんが無邪気に駆け上がっていく、荷物は俺が持っている。
そんなサクラさんの後ろから「そんなにはしゃぐと転びますわよ~」と速度を落とすことなくサクラさんに付いて行くくるみさん。荷物は俺が持っている。
もしかして疲れてるのは俺だけ?
「どうした、これくらいの坂でもうへばってんのか?」
俺より大きな荷物を持って、息切れ一つしていないナダさんに背中を大きく突かれて俺は「ウグッ」ってなる、酷いっそこなんかのツボっ!
あやうく転びそうになったけど荷物を守るためにと何とか踏ん張った。
「もぉっ、何するんですか‼」
「それだけ元気がありゃあ大丈夫だ」
怒る俺にナダさんは悪びれる様子も無い、それでなくとも疲れてるのになんて事するんだ全くもぉっ!と、ぷんすこしながらみんなの後を追う。
坂の頂上にそれはあった。
「ここですか?」
「あぁ、ここだ」
四人並んで目の前の建物を見つめる。
「サクラ、お前にはここが何に見える?」
「おうち」
「そうか、トドは?」
「大きな古いお家に見えます」
ナダさんが建物を見つめたまま面白い質問をしてきたよ。その本意が分かりませんが俺は見たままを答えた。
「なら大丈夫だな」
――何が大丈夫なのか解りませんが、オカルトナダさんのいう事だ、この家のご先祖様の幽霊か、はたまたこの宿で亡くなった人がいまだに成仏できていないのかしらん。
でも俺には全く何も見えないので、深く考えない様にしよう。
瓦葺の立派な古民家、古き良き、お爺ちゃんお婆ちゃんの家みたいな香りのする佇まい、周りにはあまり目立った木や花は生えていないものの、雑草も生えていなくて綺麗にならされている。
ここが今日の宿、入り口には『民宿ひなた』と書かれたちいさな看板が可愛い。
ナダさんが、入り口の引き戸をガラガラと明けると、中はさすが民宿と名乗るだけの事はあって広い、きれいに掃き清められた玄関、ピカピカに磨かれた玄関ホール。白い壁には使い込まれたように黒く輝く柱や梁がこの家をしっかりと支えてくれている。
玄関入って正面には、使い込まれたような大きなのっぽの古時計が俺たちを歓迎するかのように、コツコツと時間を刻んでいた、針はただいま四時ちょっとすぎ。
俺たちの訪問の気配に気づいたのか、奥の廊下から女の人が姿を現した、髪を後ろでお団子に束ね卵色した和服姿がよく似合う、いかにも旅館の女将さんといった女将さんだった。
「予約していた錦灘ですが」
ナダさんが名乗ると女将さんは、しゃがみこんで三つ指ついて迎えてくれた。
「これはこれはようこそおいで下さいました」
そのしぐさがとても綺麗だ。
部屋も綺麗だった。
二階へ続く階段をのぼり案内されたのは、和室の広い部屋、ここが俺とナダさんの部屋になる。
「おぉ~っ、すげぇ~!」
自分たちの部屋に入って思わず声を上げて、奥の大きな窓辺に駆け寄ってしまう俺だった、高台から見下ろすヒノキの群生、谷の所々に民家まで見える、あのような場所でも住んでいる人がいるんだすごいな、この景色はまるで一枚の絵画だ、この眺めは素晴らしい。
「ガキかお前は」
ナダさんが呆れたような顔で俺を見ていた。
「いや、だってこういう旅館とかに行くとテンション上がるじゃないですか、ナダさんだって修学旅行の時『イヤッハァ!』って言いながら布団にダイブしたでしょ!」
「したよ、だから先に荷物を片付けろ!」
やっぱりしてたんだ、でも今はまず荷物をほどかなきゃいけない、帰宅した小学生のランドセルみたいに転がされたアタッシュケースを部屋に運んで開く。
女子二人はこの隣の部屋を用意されていた、きっと俺と同じように旅館の雰囲気にはしゃいでいる事だろう。
「おい、トド」
荷物をほどいて片付けている俺に、ナダさんが俺の名を呼んだので、何かと思い顔を上げると、ナダさんはたんすの引き出しを開けたまま、中を深刻そうな表情で見つめていた、あまりの真剣さに何かオカルトめいた重大な事でも起こったのだろうかと、ちょっとビビりながら「どうかしたんですか?」と声をかけると、その引き出しから引っ張り出してきたのは。
浴衣だった。
「子供かあんたは!」
浴衣は温泉に入ってからですよ!とたしなめる俺にナダさんは「じゃぁさっそく風呂だ!」と言い出し、おまけに俺用に買ってきたといってフリルの付いた赤いブーメランパンツを差し出してきた。
「何なんですかあんたはぁ‼」
そんなパンツ絶対履かないと全否定した俺と、がっかりしたナダさんの二人で浴場に向かう事になった。
浴場は朝から夜まで自由に入ってよいとの話だったので、途中くるみさんとサクラさんにも声をかけたが、サクラさんはそもそもお風呂に入ってはいけないので無理だし、くるみさんも今はまだいいわという返事だったので、男二人で先に入ろうという訳で、何だか残念。
「なんだ、女湯が覗けなくて残念だったのか?」
「そんな事考えてませんから‼」
客室は全部で五つあるのだが、今日泊まっているのはどうやら俺たちだけのようだ、いや別にそれも残念とか思ってないから。
一階の矢印の方向に進んで廊下一番奥に殿方淑女の暖簾があった。
ナダさんに続いて暖簾をくぐろうと手をかけた時、背後から「ただいまー」と声が聞こえた。
若い女の子の声だ、振り返るとセーラー服の後姿が見えた。こちらはサクラさんのグレーとは違い、白地に紺色の襟、紺色のスカート。地元の学校のものだろう。
「おかえり、きょうはお客様がお見えだから手伝って」とおかみさんの声と「はーい」という女の子の返事を背に俺はのれんをくぐった。
木の温かみにあふれた、五六人くらいで一杯になりそうな脱衣場に入ると、ナダさんはもうインナーを脱ぎかけていた、俺も横にある脱衣籠の前を陣取り裸になるために脱ぎ脱ぎする。
「さっき女将さんの娘さんらしき女の子を見かけました、お母さんの民宿を手伝ってるんですかね、偉いなぁ」
「はい、この宿は今から三年前に女将さんご夫婦と娘さんという家族がこの地に引っ越してきて始めたものです、ですが一年前にご主人が亡くなって、その後は女将さんと中学生の娘さんがこの民宿を支えておりました」
「ふーん、そうなんだ大変だね――って、何ですかそれ⁉」
インナーを脱いだナダさん、シャツの上からでも何となく想像はついていたが、やっぱり脱いでもすごい人だ、腹筋はバキバキだし胸板も厚い、無駄なものが無さげな筋肉ボディー、しかしそれ以上に驚いたのは背中に一面ドクロの入れ墨、リアルなドクロがおどろおどろしく煙を吐き出しているかっこ恐いデザイン、スカルタトゥーだ。
でも驚いたのはそれだけじゃない、左の脇腹には大きな傷跡があった、まるで巨大な爪に引っかかれたかのようなギザギザ傷が背中側からおなかにかけて斜めに三本。
この人どれだけやんちゃしたら気が済むのか。
「若気の至りってやつだ、気にするな」
そう言ってナダさんはニカッっと笑ってタオルを肩にかけ浴室へと入って行った。
「おお~、すげぇ露天風呂じゃないっすか!」
雨をしのぐための屋根を支える柱以外は視界を遮るものが何もない。
紫色に染め上がった空、男二人で沈んでも十分すぎるくらい広い浴槽は木の温もりに包まれた檜風呂、絶え間なく流れ出る天然のお湯が、長旅の疲れをいやしてくれる。
「ういぃぃ~極楽極楽~」思わず声が出る。
「なんだ、ジジくせえな」
そういうナダさんだって、両腕を縁にかけ足を延ばして、思いっきりリラックスしてるようだから、俺も大自然の恵みを全身で味わう事にした。
眼下に広がる景色は瞬く間に暗闇に沈む、隅に置かれた行灯から漏れる光だけが頼りになるので、一番星が綺麗に見える、そしてやがて見えてくるのはマシンガンでぶち抜いたような無数の穴から覗く優しい光の粒。
都会では絶対に見られない夜空だ。田舎っていいなぁ。来てよかった。
「……まぁな」
俺また知らぬ間に口に出していたんだ、それに反応してナダさんがボソリと吐き出した言葉は湯船の上をコロコロと転がって暗闇の森に消えていった。
そうだ――ナダさんはここに遊びに来たんじゃないんだ。封印が解かれたとかで山に現れた大クモを退治しに来たんだ。
どうやって退治するのかとか、大クモがどんな感じに大きいのかとか、俺には想像つかないけれど、お前はのんきに温泉につかっていればいいぞと言われたけれど、ナダさん一人に任せていいのだろうか。
「俺も。何か手伝いたいです」
「役に立たねぇよ」
あぁひどい。
お風呂から上がると、豪華な夕飯が待っていた。事前に食事は俺たちの部屋で四人で食べるからと伝えていたので、女将さんがタイミングよくセッティングしてくれている。
風呂上がりで浴衣姿の俺たちと、いつの間にか浴衣に着替えていたくるみさん、制服の上から浴衣を着せられているサクラさんもやってきて座卓を前に準備が整うのを見守る。
手際よく料理を運ぶ女将さんを助ける若い仲居さんの姿も見えた、女将さんと同じように後ろ髪をお団子にして、薄桃色の着物が良く似合う。
温泉の前でちらりと見えたお嬢さんなのだろう、プックリした頬がトマトみたいで可愛い。
なんて名前なんだろう、もしかしてこの宿の名前だったりして。
「そうなんです、お嬢さんの名前は『ひなた』さんとおっしゃいます、因みに女将さんの名前は『ひより』さんなんですよ」
「へぇ~母娘で可愛い名前~」
配膳を終えて最後、一人鍋に火がともされると「ではごゆっくりお過ごしください」と、ひよりさんとひなたちゃんが部屋を後にした。
籠に入れられた黄金色の天ぷらに、煮物や焼き魚などの色とりどりの食材が美しく盛られた可愛い小鉢が並び、その横には一人釜に入った釜飯、具は松茸だいい香りがする。青い炎に照らされて煮え立つ寄せ鍋には野菜と豆腐と湯葉、そして四人の真ん中にはドドンとお刺身船盛!
「お魚ぁ!」
サクラさんが船の先でえびぞっている鯛の頭を恐る恐る突こうとして、ナダさんに「わっ!」ってされてビックリして楽しそうにはしゃいでいる。
皆が笑顔だとご飯も美味しい、豪華で量もボリューミーだ、食べきれるかしらん、と思ったけどデザートのメロンまでしっかり美味しく完食して、おなかも心も満足して、女子二人も自分たちの部屋に帰っていき、後はもう寝るだけだ。
お布団は、もう一部屋ある隣のふすまを開けるとそこには布団が二つ、きっちり並んで敷かれていた。
「おぉ、まるで新婚旅行みたいじゃねぇか」
ナダさんの笑えない冗談を無視して俺は、布団の端をよいしょよいしょと引っ張って間隔を開ける。
「ではとっととおやすみなさい」
電気を黄色い豆球だけにしてそそくさと布団に入る、朝も早かったし疲れているからきっとすぐ眠れるだろうと思ったものの、枕が変わるとなんとやらで、なかなか寝付けそうになかった、うにうにと寝返りを打つと、ナダさんと目が合った。
「夜と言えば、やっぱ怖い話だろ、いくらでもあるぞ!」
ナダさんはうつぶせの状態から頭を上げ、顎の下から懐中電灯を当てた。
「何なんですかあんた!」
「実は昨日な――」
不気味な変顔を作って話し始めても全然怖くないです――いや充分怖いですけど、昨日って何!昨日は寒かったから芝さんも一緒に食べたあんこう鍋がおいしかったですが、それのどこにお化け要素があったというのか⁉
それよりもこの間の、アトリエでモデルをした時のあのナダさんがどんな幽霊よりも怖かったですから。
貞操の危機!という恐怖のどん底に俺を陥れるだけ陥れた後「冗談だバカ」の一言であっさり引き下がって何事も無かったかのように再び絵を描き始めたのだが、本当に怖かったのと馬鹿にされた腹立たしさがごっちゃになって、あの時はマジでシャレにならなかったですから。
「何だ、続きがしたいのか?」
「こわかったっていっているでしょうが!」




