第2話 朝
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チンピラさんの家は住宅街から少し離れた静かな場所にあった、見晴らしのいい高台に建つのは、五十坪はあろうかと思われる大きなログハウス。
車を停めるスペースもふんだんにあるし、サッカー場ほどの広さの庭もある。
持ってくるのは自分の身の回りのものだけでいいからと言われて、段ボール二つ分の荷物だけ持って、迎えに来たのが大きなランドクルーザーだったからびっくりして、更に家に着いてまたびっくりした、チンピラさんはお金持ちだった。
チンピラさんだなんて呼んでごめんなさい、チンピラさんにはちゃんと、錦灘龍市という立派な名前があって、職業は画家だった。
画家と言うとベレー帽をかぶった優しそうなおじさんがカンバスに向かって絵筆をふるい、時には爆発するというイメージがあったがこの錦灘龍市氏は、ベレー帽は被らないしドクロのピアスつけてるし、目つきはきついしチンピラだし、でもアトリエに案内されたらちゃんとカンバスや画材道具が散乱してあったので、人は見かけによらないなと思った。
勿論、今まで存じ上げなかったし。
おしゃれなテラスを超え、玄関入って一階は広いリビングとキッチンお風呂などがあり、その奥にドンっと吹き抜けで錦灘龍市氏の仕事場がある。広いアトリエには画材道具や作成途中の作品や使用前のカンバスの類がごちゃごちゃと置かれていていかにもアーティスト。
二階に上がるとそこは部屋が三つと広いバルコニーがあり、各部屋へ通じる廊下から吹き抜けのアトリエを見渡す事が出来る。
「で、ここがお前の部屋だ」
そう言って案内されたのは一番奥の部屋。
「今からはもうお前の部屋なんだから、物を置くなり壁の色を変えるなり好きにしてくれていい」
俺に与えられたのは、十畳分はあろうかと思われる広いフローリングの部屋だった、クローゼットも広いし、すでにベッドやテレビにエアコンも備え付けられている。
「すげー、夢見てるみたいだ」
まさか、こんな広い部屋に住めてしかも三食付きでしかもお昼寝も許される。
「あぁ、金持ちなめんな」
「画家さんって、そんなに儲かるんですか」
「いや、そっちはそうでもねぇけど」
じゃぁ両親がお金持ちなんだ、金持ち最高。
「それと、もう一人紹介するから、ちょっと待ってろ」
「もう一人って家族が居るんですか?」
錦灘氏は何も答えず、真ん中の部屋をノックする、しばらく待つとドアが半分開いた、中に人が立っているのが分かる。
「おぅ起きたか、こいつが俺の言ってた下僕だ、今日からここで面倒見るからよろしく頼む」
錦灘氏がそう言うと、ドアの陰に隠れていた人物がようやく姿を現した。
白地に花柄がプリントされたフェミニンなワンピース、肩に薄いピンクのショールを巻いた、ふんわりした茶色い長い髪も綺麗な可愛い女性だった。
びっくりした、何でこんなチンピラのところにこんな可愛い女性がいるのだ、歳だって俺と変わらないかちょっとだけ年上といった感じだぞ、このチンピラ錦灘氏とどういう関係なんだ⁉
「お前、さっきから人の事チンピラチンピラうるせえな!」
「へ?」
俺、何?もしかしてさっきからずっとしゃべってた⁉
「あぁ、でけぇ独り言みたいにな」
「マジっすか!やばい、どうしよう!ごめんなさい」
モノローグのつもりが、声に出してだなんて、やばい、恥ずかしすぎる!
「別に恥ずかしがることはねぇ、そういう裏表のないところも気に入ったんだからよ」
「は?」
「とにかく、仲良くしてやってくれ、こいつは熊谷くるみ、訳あって一緒に暮らしているが、余計な詮索はするな、してもいいが知ったら二度と逃れられないと思え」
意味が解らない……、名字も違うし家族じゃないのかな?
「くるみです、よろしくね」
でもくるみさんのかわいい笑顔を見たらどうでもよくなった、無理に詮索しなくとも一緒に暮らしていくうちにわかってくるのかもしれないし。
「俺は、藤堂輝幸、十九歳っす」
「トド……くん?」
「トウドウです……」
「よしトド!早速晩飯作ってくれや、俺もくるみも好き嫌いは言わねぇしアレルギーもねぇ、肉も魚も好きだ、食材は近くにスーパーがあるから何でも好きなもん買ってこい」
勿論代金は錦灘氏持ちだ。そしていつの間にか俺はトドと呼ばれるようになった。
今日は、土地勘のない俺のために錦灘氏が案内してくれた近所のスーパーにやって来た、大きな家が多く建ち並ぶという土地柄のせいか、割と高級食材が多く並んで、広くて大きなスーパーだ、流石金持ちは違うなぁ。
でもこんな高級スーパーに来たの初めてだし、誰かのためにご飯作るのも初めてだし、何をどうしてどこへ行けばいいのやらと迷っていると。
「迷ったのなら肉にするか?」
錦灘氏はそう言って精肉コーナーへと歩いて行く、売り子のお姉さんがウインナーを勧めてきた、いつもなら遠慮なくいただくところだが、今日は我慢してカートを押しながら後を付いて行く。
でも、肉!いいなぁ肉、肉食べるの何日ぶりだろう、でもせっかくこれからお世話になる錦灘氏との大事な最初の日、焼肉なんてのもいいかと思ったけれどそれでは芸がない、ここはちゃんと何かを作ろう!
「という訳で今夜のメニューはビーフストロガノフです!」
ちゃんとフィレ肉とフォンドボーで仕上げた本格ビーフストロガノフだ、ご飯だってバターライスだぞ。
大きい皿に黄色いご飯と茶色いビーフストロガノフのコラボ、横にはプチトマトのアクセントが可愛いサラダも付けた。
天井には大きなプロペラがクルクル回るおしゃれな広いリビングに大きい木目調のテーブル、パステルカラーのランチョンマットを敷くと、まるで街のレストランみたいに仕上がった。
錦灘氏とくるみさんもテーブルについて両手を合わせていただきますをしてから、俺のビーフストロガノフを一口。
「美味しい」
「うん、うめぇな」
くるみさんにも錦灘氏にも気に入ってもらえたようだ、良かった、では俺もいただきます。
「うまっ!」
なにこれめちゃくちゃ旨い、過去に玉ねぎと安い牛筋肉にビーフシチューのルーだけで適当に作った、なんちゃってにもならない無理やりビーフストロガノフを食べたけれど、やっぱり本格食材最高。
いいのか俺、明日食う金も無かったこの俺が、こんなおいしいものを食べて。
「いちいち泣くんじゃねぇ」
「解ってます、でも、止まらないものは仕方ないじゃないですかぁ」
気付けばほろほろと泣いていた。昨日まで一人ぼっちだった俺が。
「まぁ、泣くほどうめぇから仕方ねぇわな、なぁくるみ」
「はい、とっても美味しいです、トドさん、とっても料理上手なんですね」
二人共満足げにスプーンを動かしている、その姿がまた嬉しくて涙が出る。
「ほら、早く食べねぇとオレが食っちまうぞ!」
「駄目れす、これ俺のれす」
「だったらしっかり食え、食ってまた明日から頑張ってうめぇ飯作れや」
「はい、ありがどうございばす!」
こうして俺は、錦灘氏とくるみさんが住むこの大きなログハウスの家政夫として一緒に暮らすことになったのだ。
錦灘龍市画伯、歳は三十二歳、俺は知らなかっただけで、割とその地位を確立しつつある有名な新人アーティストだった、美術のことはよくわからないけれど、描いた絵を見せてもらったら、本格的な人物画を主に描く、すごく繊細だが力強いタッチが特徴的だった。
その中の一枚、どこかで見たような絵だなと思ったら、有名な小説本の表紙だった、実際あの本屋でも目にしたし手に持ったし、知らなかったとはいえ世間は広いようで狭い。
一方くるみさんはと言うと、日がな一日ずっと家に居る。錦灘氏と一緒に住んでいるのだから一緒に過ごすのかと思ったら、案外そうでも無くて、リビングで静かに本を読んでいたり、時には庭に出てお花の水やりをしていたり、お互い同じ部屋にいても会話は少ない。
でも俺が話しかけると普通に答えてくれるし会話も成立する、何もおかしなところは無いのだが、一つだけ、くるみさんが部屋に籠っている時は、何があろうと絶対に部屋へ近づくな声をかけるなノックするな!と錦灘氏にきつく言われている。
でも、くるみさんが部屋から出てきた時は俺が掃除をしに部屋に入ることは許されている、可愛いベッドとテレビとローテーブルにドレッサー、薄桃色のキャビネット、白いカーテンを開けると光がたくさん取り込める女子力高いシンプルな普通の部屋だ。
仕事をしている風でもないし、検索するなと言われているから気にしないようにしているが、隠居しているみたいだなと思う、まだ若いのに。
「おやおや、見かけない人ですな、新入りさんでございましょうか?」
ある昼下がり、昼食を済ませてから錦灘氏がどこかに出かけてしまい、俺は一人リビングの床掃除をしていた時の事、突然の来客に玄関まで出迎えるとそこに立っていたのは、和服姿の見知らぬ小柄な男性だった。くるみさんは部屋に閉じこもったまま出てこないので、俺が対応する。
「はい、一週間前からここで働いてます、藤堂と言います、初めましてよろしくお願いします」
「成程、やはりあなたがトドさんでしたか、可愛い下僕が来たと伺っておりました、一度お会いしてみたかったのですよ、はい、初めまして、私こういうものです」
ご丁寧に名刺をもらったよ、そこにはギャラリー芝の肩書と中央に芝武郎と名前が書かれていた。
「芝さん」
「はい、ここから少し離れたところにあるテナントビルの一角で美術商をやらせていただいております、小さいところですが、色々な分野で活躍されているアーティストさん達や地元の人たちとの触れ合いの場としても楽しんでいただいております、あなたも良かったら足を運んでみてください、絵画に触れるのもいい人生経験になるとわたしは考えております」
「は、はぁ……」
何なんだこの人、身長百七十五の俺よりもまだ背が低く、落語家のような茶色の和服がよく似合う、歳は少なくとも四十は超えているだろう、おっとりとしたしゃべり方だが、話しだすと止まらない人らしい。
「今日はナダさんに会いに来たのですが、取り次いでもらえませんかな。アポイントは取っていないのでもし忙しいようでしたら少し待ちますとお伝えください」
ナダさん……錦灘氏のことなんだろうな。
「あ、あぁすいません先生は今、出かけていまして」
オレがそう言うと芝さんはものすごく残念そうな顔をした。
「何という事、こんな日に限って出かけているとは、仕事の用事なのでしょうか、それにしてもこんな日になんともタイミングが悪い、いやいや、そもそも約束を取り付けなかった私の失態でございましょう、仕方ありません、もしナダさんがお帰りになったら、この芝武郎すごく残念がっておったとお伝えくださいますか、あ、それでもかまわないとおっしゃるのなら、あなたもナダさんの関係者だということなので、預けていても差し支えないでしょうか」
「何をでしょう?」
芝さんは茶色い紙に包まれた四角い平べったい大きな荷物を持ってきていた、ちょうど新聞紙を広げたような大きさだ、見たところ中身はカンバスかもしれない。
「はい、確かにお預けしましたよ、帰ってきたナダさんにお渡しください、気に入って頂ければ幸いですが、もしかしたらお気に召さないかもしれませんがその時はその時です、もし何かご不満な点がございますれば、手段は問いません連絡くださいとお伝えくださいますか」
「……はい、分かりました」
意味は解らなかったが、とにかく錦灘氏に渡せばいいんだな。
という訳で俺は芝さんという人から一枚の大きいカンバスらしきものを受け取った、見た目よりもなぜかずしりと重かった。
そのあとしばらくして、夕食前に錦灘氏が帰ってきた、たくさんの荷物を抱えていたので買い物にも行っていたのだろう、そのままアトリエに籠ってしまうし、くるみさんが部屋から出てきて編み物を始めてしまったし、俺は俺で夕飯の支度をしなくてはいけないしで、その時は芝さんから預かった品物の事は綺麗に頭から抜け落ちていた。
先に気付いたのは錦灘氏だった。
夕飯の支度が出来たからと聞き、リビングにやって来た彼、入ってくるなり急に顔をしかめて壁に立て掛けてあったブツを睨みつける。
「何だあれは?」
あれは今日、芝さんという人がやってきてこれを先生に預けて帰ったのだと説明すると、錦灘氏は仁王立ちしたまま大きなため息を一つついて俺を見た、勝手な事をして怒られるのかと一瞬思ったが、口角を上げてまるでいたずらっ子が斬新ないたずらを思いついたような子供のような表情を浮かべた。
「ついに来たか」
「何がですか?」
質問には答えてくれない。錦灘氏は芝さんから預かった荷物を掴み上げると、そのまま包んでいた紙を乱暴に引き裂いた。
中身はやっぱりカンバスだった。元あった場所に立て掛けなおし、少し離れた場所からその絵を眺める。俺は床に散らばった紙を集めて細かくたたんでゴミ箱に捨てる。
「あらあら、素敵な絵ね」
先にテーブルに着いていたくるみさんが感想を述べる。新聞紙を広げたような大きさのカンバスを縦に使い、そこに描かれていたのは、セーラー服姿の少女の半身像だった。
灰色の半袖服に黒い襟に黒いリボンがシックでかわいい、この制服は見た事ある、この地域にある高校のものだ。
絵の事はよく解らない俺でも、この絵は上手に描かれていると思う、写実的な生き生きとした可愛らしい女子高生、凛とした艶やかな唇、肩まで伸びた黒い髪は艶があって柔らかそうだし、キラキラと輝いた瞳は今にも動き出しそうな輝きを発していて、思わず引き込まれそうになる。
「きれいですね……」
俺も思わずそうつぶやく。
しかし錦灘氏は厳しい表情で絵を見つめていた、こういうのどこかで見た事あるぞと思ったら、お宝を鑑定する番組に出てくる鑑定士のそれだ、流石画家さん、絵を見る目は厳しい。
しばらく無言で鑑定していた錦灘氏だったが、突然「よし!」と声を上げた、びっくりした。
「飯にするぞ」
「絵は⁉もういいんですか?」
「あぁもう済んだ、詳しい話は明日芝から聞く」
本当にそれっきり錦灘氏は絵の話には一切触れず、見向きもしなかった。もちろんくるみさんも何事も無かったかのようだ、そこの壁に女子高生が立て掛けられている以外はいつもの食事風景だった。
俺は、この女子高生にじっと見られているみたいで落ち着かなかったけれど、夕飯も食べ終わり、片付けを済ませると今日の俺の仕事は終わり、あとは自由に風呂入って部屋に戻り明日に備えるのだ。
リビングを出ようとした直前女子高生と目が合った、俺は心の中で「おやすみ」と言ってから静かに明かりを消した。
家政夫の朝は早い、画家先生が起きる前にリビングを軽く掃除して、米を炊き、朝飯の準備に取り掛かる。朝は和食が多い。みそ汁は出汁から作る、今日はいりこを用意している。
さぁ今日の朝ご飯はカボチャの炊いたのとだし巻き、みそ汁の具は白ネギとわかめと豆腐だ、なんて考えながら少し肌寒いリビングのドアを開けた。
電気をつけるとまず目に飛び込んできたのは昨日の女子高生の絵だった、変わらずそこにいてすました顔で立て掛けられている。
可愛い。
可愛いから思わず声に出して「おはよう」と言った。
するとその声に反応したかのように絵の中の女子高生は、にっこりとほほ笑むと、ポンっと可愛い効果音を立てて飛び出してきた。




