第9話 ウルマとイメル
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「ねえ見えた?」
「見えた見えた、なんか凄かったね」
「俺あんなでかい鹿初めて見たぜ。聖獣なんだろ?」
「一緒にいた子、ちっちゃかったねぇ」
「弱そうだよな」
「あんなちんちくりんにファヴァリィが務まるのか?」
「信じられないよねぇ」
「お肌真っ白だったわね」
「いっぱい飛んでた虫、たんぽぽの綿毛みたいだったな」
「聖獣が従魔なんて凄ぇよな」
道すがら聞こえてくる町民たちの会話に、白虎の耳がひくりと揺れる。
エンヴァス町に戻って一晩明けた現在、町中がカエとエルカナルの話題で持ち切りだった。聖獣が従魔となり、主として選ばれたのが手折られたはずのファヴァリィの後継者とあれば当然の反応だ。
「王都のギルドと神殿からひっきりなしに連絡が入るもんだから、何度魔道具を放り捨てちゃおうと思ったかもうわからないよ」
「思いとどまってくれてよかった」
「あと3回ベルが鳴ってたらぶん投げてたよ。ほんとだよ?」
「わかったわかった」
左肩にカイオネルをとまらせたヴェルナードは、食料が入った袋を右手に抱え、ガヤガヤと煩い街路を歩いている。目的地は町の中央にある広場だ。世界樹ティナヴァルに似た大木が植えられていて、普段であれば憩いの場として親子連れや恋人などが散歩をして過ごす緑豊かなエリアなのだが、町民たちの様子から今日ばかりはその景色は見られないだろうと白虎は予想する。
「受付の子たちが休憩に出してくれて助かった〜。あのままだったら僕ハゲてたよ。絶対ハゲてた。番が死んじゃった時以来のハゲだよ。そうなってたらどうしてくれるんだろうね?」
「さあな」
ほんとやんなっちゃう、と翼で顔を隠して泣き真似をする灰梟に、ヴェルナードは呆れ顔をする。しばらくして到着した広場には予想通り人集りができており、掻きわけてようやく見えた先にはルイドラたちがいた。
大木の根もと、厚く繁る葉の影に腹這いまどろむエルカナル。その横腹に胡座を掻いてもたれ、膝に乗せている白毛の生えたドラゴンの両前足を握って遊んでいるルイドラ。聖獣の背中の上でユキムシたちの綿毛を順番に撫でるカエ。
穏やかな時間を過ごしている藍竜たちが、広場を囲う人混みから好奇の目を向けられている。中にはエルカナルに認められたカエや触れることを許されているルイドラを妬みゆえに睨みつける者もいて、ヴェルナードは舌打ちをした。
「落ち着きなさいヴェルナード」
ばさりと、灰梟が白虎の頭を翼で抱き込む。
「エルカナル様がついている以上、誰もカエちゃんに手を出せないよ。だからフードも脱いだんだろう? ルイドラだって、そこら辺の奴にやられるような子じゃないことは君が一番知ってるはずだよ」
「……そうだな」
眉間に刻まれていたしわがわずかに薄れるのを見て、いい子だ、とカイオネルは囁く。一呼吸置いて歩き出したヴェルナードに最初に気づいたのはカエだった。
「あらヴィー君、用事は済んだの? カイオネルさんも、お仕事お疲れ様」
「待たせてすまないな」
「カエちゃ〜ん、僕疲れたよぉ……」
「変な声出すなよおっさん……」
「きゅ?」
ルイドラが顔を上げて、白竜が振り返る。藍竜の魔力を吸って姿を変えた元ユキムシは、どこか主に表情が似ている。
「やあイメル、ご機嫌いかがかな?」
「きゅい〜♪」
「ホッホー、楽しそうで何よりだ」
藍竜によりイメルと名付けられた白竜がニカッと笑い、ブンブンと尻尾を振る。ふと自分の従魔がいないことに気づいたヴェルナードはカエを見た。
「ウルマはどこだ? 近くにいるのか?」
「ああ、ウルマちゃんならね……」
あそこよ、と言いながら少女が上を指差したと同時に、ガサリと音を立てて白い塊が降ってきて、にこにこと微笑んでいたカイオネルに直撃した。
「ホーーーーーーーッ!!」
「フシャーーーーーッ!!」
「おっさん?!」
「やめろウルマ! 餌じゃないぞ!」
「あらあらまあまあ! どうしましょう!」
樹上から狙っていたのだろう、飛び降りてきた白猫ウルマがカイオネルに襲いかかり、ヴェルナードの肩から体当たりで叩き落とす。混じり合った悲鳴と威嚇が、先ほどまであったはずの穏やかな雰囲気をかき消してしまった。
「やめろ!」
「ふぎゃ!」
ヴェルナードがウルマの首根っこを掴んで急いで持ち上げる。イメルを降ろしたルイドラが駆け寄りカイオネルを助けると、首もとの羽根が食い千切られて地肌が見えてしまっていた。
「あっちゃー、急所狙われてんじゃん」
「さ、さすが猫だね……、死ぬかと思った……」
バクバクと鳴る心臓を宥めようと胸もとを押さえる灰梟に、白虎は直ぐ様謝罪する。
「すまない、まさか飛びかかるとは思わなかった」
「猫だからね、本能だから仕方ないよ。あー怖かった」
「こりゃ薬塗った方がいいな。赤くなっちまってる」
立ち上がったルイドラが、カイオネルを頭の上に避難させる。きゅいきゅいと鳴いた白竜が藍竜の体をよじ登り、灰梟の乱れた羽並みに頬擦りした。
「あいたたた……。イメル君、今はちょっと控えてほしいかな……。……あれ?」
柔らかな毛に覆われているとはいえ、怪我をしたばかりの皮膚に触れれば痛みがある。顔をしかめて翼で傷口を隠したカイオネルは、食い抜かれたばかりの羽根が生え揃っていることに気づき、目を丸くした。
『ウルマに感謝せいよ』
目を閉じたままのエルカナルが言う。
『吸魔ノミがくっついておったわ。お前さん、かなりの魔力を吸われとったようじゃの。最近体調が優れんかったのではないか?』
「言われてみれば、羽繕いでうまく整えられなかったような……?」
『手荒ではあったが、ウルマなりに考えての行動じゃろう。ヴェルナード、離してやりなさい』
「あ、ああ」
呆気にとられていた白虎に下ろされたウルマは、ブルブルと全身を振って毛繕いを始めた。藍竜から飛び降りて白猫に駆け寄ろうとしたイメルがぴたりととまり、ブレスを吐いて無残に千切れたカイオネルの羽根を焼く。跡形もなく焼け消えた羽根に満足気に喉を鳴らして、白竜はウルマの毛繕いを手伝った。
「ごめんなさいねぇカイオネルさん、痛かったでしょう?」
「大丈夫だよ、むしろ助かった。吸魔ノミに噛まれるなんていつぶりだろう」
「あんな汚部屋に住んでたらそりゃつくよなぁ」
(予防をサボるのが一番の問題だろうが……)
従えたばかりとはいえ、自分の従魔が怪我をさせてしまったので口には出さず、心の中で呟くだけにとどめたヴェルナードは持っていた袋の口を開け、中身を取り出した。
甘く味付けされた卵サンドをカエに、鶏の唐揚げを挟んだパンをルイドラに手渡し、エルカナルに目を向ける。
「ヒトの食べ物はいらないんだよな?」
『気にせんでいい。儂は気に入った草をいい時に食うからのう』
「そうか」
ルイドラが食べているパンと同じ物を取り出し、地べたに胡座を掻いてかぶりつく。毛繕いを終えたウルマが近づいてきて、白虎の太ももに寄り添うように寝そべってあくびをした。
『時にカイオネルよ。儂やカエの件で神殿やら王都やらがやかましかったのではないか?』
聖獣に問われ、ええまあ、と灰梟は答えた。
「もう昨日の夜からひっきりなしに連絡が来て大変でしたよ。今は受付嬢たちが僕の替わりに対応してくれているから休憩で出てこれてるだけで、もう少ししたら戻らないと」
『その頃にはもう静かになっておるじゃろうて』
ほっほっほ、と笑うエルカナルに、カイオネルは首を90度傾けた。
「それはどういう意味で?」
『今し方お前さんらが大神官と呼ぶ者に伝えたのじゃ。儂らは儂らで動くゆえ、神殿も王族も貴族も手出し口出し無用とな。もしこれに背き接触を図ってくるなら儂の角が荒ぶるぞ、と』
「え゙……」
白虎から受け取った袋から細長い木箱を取り出していたカイオネルの声が濁る。中身は林檎とオレンジのジャムクッキーだ。
「伝えたって、どうやって? 魔道具持ってんのか?」
『幻視魔法の応用じゃよ。神木の近くに大神官がおったから、儂の姿を視せて直接語りかけたんじゃ。腰を抜かしておったわい』
「哀れだな……」
『肝っ玉の小さい男よ』
「あなた、寝てるのかと思ったら凄いことしてたのねぇ」
『寝とらんよ』
フスフスと鼻を鳴らすエルカナルの毛をカエが撫でる。
「何も言ってこねぇなら静かでいいよな」
頬張るルイドラに、そうだなとヴェルナードが頷く。ぴい、ぷう、とウルマとイメルは寝息を立て始め、カエの正面にいるドンが少女の口の端についている卵の欠片を前脚で指して教えた。
「……まあいっか」
とんでもない報告に絶句していたカイオネルだが、戻ってきた穏やかな空気を壊すわけにもいかず、後でどうにかしたらいいやと自分に言い聞かせ、クッキー箱の蓋を開けた。




