第8話 穢された大地
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エルカナルが下り立ったのは西方、ひび割れた荒れ地を見下ろす絶壁だった。
『さあ、着いたぞ』
促されて最初に降りたのは藍竜だ。軽く伸びをして、後に続く白虎の手元を覗き込む。
「まだ繋がってんのか?」
「いや、魔力切れで切れてしまった。どこかで充填しない限り使えない」
ぬかった、とヴェルナードが唸る。魔道具の魔力残量が少ないことに今朝気づいたのだが、薬草採取という簡単な依頼の付き添いだった為に充填を後回しにしてしまったのだ。
どうしようもねえなぁ、と言いながら、ルイドラはカエを抱き上げる。地面に降ろされた少女はしゃがみ込み、からからの地肌を撫でた。
「こんなに乾くなんて、近くに住んでる人たちは大変ねぇ。作物もまともに育たないでしょうに、日照りって本当に厄介だわ」
『原因は干天ではない。魔族らが魔素を喰い尽くしつつあるからじゃ』
厄介なもんじゃ、と、エルカナルは大きな蹄で1滴分の湿り気もない地面を掻く。
『ここはヒトがリズファと名付けた地。今世のファヴァリィが植樹されるはずじゃった場所じゃよ』
「ファヴァリィが?」
ヴェルナードが驚き繰り返せば、さよう、と聖獣は頷いた。
『ヴィファヴァが根をわけねばならぬほどに魔素が穢れた大地じゃ。ひ弱な人間では長くは過ごせぬが、お前さんらなら大丈夫じゃろうて』
「あら? 魔素ってのは少なくなってるんじゃないの?」
『それは自然が生み出す綺麗な魔素のことよ。邪念に満ちた魔族は魔素を喰らい、穢して吐く。自分たちが過ごしやすい土地にする為に、体内で質を作り変えるんじゃ。それをヒトらは瘴気と呼ぶ』
「瘴気……。酸素が二酸化炭素になって出てくるのと同じね?」
『さんそ? よくわからんが、お前さんがそう思うのならそうなんじゃろうて。しかし穏やかな種もおるゆえ、全ての魔族を徹底的に滅せねばならぬというわけではない。人間や亜人の味方をする者も多いし、そういう子らは魔素を穢さんからの』
こ奴らがいい例じゃ、とエルカナルは鼻先でドンの背中をつつく。軽く押されただけだったが、ドンはカエの頭に押しつけられて、ヂヂィッ! と抗議の声を上げた。
「場所はわかったが、なんで俺たちを連れてきたんだ? ファヴァリィが植えられてるなら警備がいるだろうが、折られちまったんだろ?」
土埃のせいか、ルイドラが乱暴に鼻を擦ってエルカナルを見上げる。赤くなった鼻頭にふふと笑い、聖獣は答えた。
『少し過ごせばわかろうて。ほれ、行こう』
崖下に向かってエルカナルが首を振る。絶壁ではあるが、岩の凹凸を辿れば下まで下りられそうだ。
聖獣が地面を蹴り、崖を駆け下っていく。枝角にくっついたままのユキムシたちの、ちぃ〜! という大合唱が遠退いていった。あっという間に下り切ってこちらを見上げてくるエルカナルに、ヴェルナードとルイドラは互いを見やる。
「自力でついてこい、ということか」
「そりゃ下りれるが、最初から崖下に降ろしてくれればよかったんじゃねえか?」
そうこぼしながら、ルイドラはカエを抱き上げた。肩車ではなく、利き腕でしっかりと抱き込むようにしながら足がかりになる岩を慎重に下りていく。
懐中時計をポーチにしまい、武器であるカーネリアンをいつでも扱えるよう握り締めたヴェルナードは、周囲に注意を払いつつ、2人の後をゆっくりと追いかけた。
地面に近づけば近づくほど、その惨状が見えてくる。枯れた草花の残骸、触るだけで折れそうなほどに乾いた葉のない木、そよ風が吹くだけで舞い上がる細かな土埃。そのどれもが、この土地が死に近いことを物語っていた。
「瘴気が濃いな。魔族が近くに潜んでいるかもしれん。気をつけろ」
『ああ、それなら心配はいらんよ』
エルカナルが首を振る。
『今この土地に好んで儂に近づく奴らはおらん。ほれ、カエも自分で歩いてみい』
「ええ、そうするわ」
聖獣の言葉に頷き、ルイドラに礼を言って地面に降りたカエが歩き出す。少女の思うままに進ませながら、白虎たちはすぐ後ろをついていった。
魔物に喰われたであろう動物の骨が散らばり、遠目には川の流れを思わせる大きな窪みが蛇行している。ヒトほど脆くないとは言え、この瘴気の濃さはヴェルナードたちにとって不快でしかない。
「なんかこう……、臭くはねぇが、息苦しい感じだな」
「布越しに息をしているようだ」
「大丈夫? あたしは平気だけど……」
「チッ!」
心配そうにカエが振り返ると、ドンが前脚をひょいと上げた。
「ちちっ!」
「ちっ!」
聖獣の枝角にとまっていたユキムシが2匹舞い上がり、ヴェルナードとルイドラの肩に降りる。その瞬間、鼻詰まりが治ったかのように呼吸が軽くなり、2人は顔を見合わせた。
『瘴気を払ってくれたようじゃな』
「そんなこともできるのか……」
「あれ? お前俺が痺れさせちまった奴じゃね?」
「ぢぢぃ〜!」
片や感心した顔でユキムシを見やり、片やいらぬことを思い出させて怒らせている。真逆のやりとりをする二組にクスクスと笑ったカエの頭の花が銀色に染まり、柔らかい光を放った。
ふわりと吹いた風が花弁を揺らす。誘われるように散った花粉がきらめき、地肌を薄く染めた。
『とくと見よ』
しんと静まり返った一行の足もと、ひび割れた地面がわずかに動く。エルカナルが蹄で軽く搔くと、瑞々しい双葉がひょっこりと頭をもたげだ。
「あれま! 可愛いお芽々だこと!」
荒れた大地に芽吹いたそれに嬉しそうにカエが両手を叩けば、もう1本、また1本と、次々と双葉が顔を出す。聖獣の枝角から飛び立ったユキムシたちが少女の頭上を飛び交い、白い体に銀の花粉をまとって、四方にわかれた。
ユキムシたちが飛んだ後に、艷やかな新緑の線が描かれていく。その線からさらに緑は左右に広がっていき、やがて一面の絨毯となった。
「すっげー……」
一瞬で様変わりした景色に目を丸くしたルイドラが呟く。あ! と声を上げ、カエは川が流れていたであろう方向へと駆け出した。
少女が駆け抜けた大地にも双葉が芽吹く。しかしユキムシたちとは成長の速度が明らかに違い、一気に伸び上がったかと思えば白く小さな蕾までつけた。
普段ならば草花を踏むことを厭わないヴェルナードたちだが、今ばかりは踏みつけるのを躊躇い、カエが駆けた跡の両脇を走り追いかける。通り過ぎる頃には既に蕾は花開いており、1輪1輪からきらめく花粉を散らして緑を広げ始めていた。
「ねえ見て! 水が流れてるわ!」
小柄な体躯に似合わない早さで川に到着したカエが嬉しそうに声を張った。追いついた2人の目に、露出した川底を湿らす一筋の水が映る。3人が見守る中、それは少しずつ太さを増していき、そう経たない内に小川と呼べるほどの水量となった。
瘴気で満ちているはずの大地が息づいている。例え瘴気が晴れたとしても、これほどの速度で緑は戻らない。
目の前で起こった奇跡を信じられずにいるヴェルナードとルイドラの背後に、エルカナルが静かに立った。
『今世のファヴァリィは手折られてしもうた。じゃが、芽吹いた命は次へと繋げられておる。お前さんらはその証人じゃよ』
「証人って……、は? まさか……?」
ルイドラが言葉をつかえさせながら、エルカナルとカエに交互に目線を向ける。聖獣はゆっくりまばたきをして、水かさを増していく川に喜ぶ少女を見つめた。
『カエはファヴァリィの聖力を受け継ぐ者。神樹たちが神力を使って死にかけたファヴァリィを織り合わせて創り上げた体に、異世界の人間の魂が宿って生まれた娘じゃよ』
生まれ変わりと言うべきかのう? と言って、聖獣はカエに近づいていき、寄り添うように腹這いになった。無意識なのだろう、少女は川から目を離さないまま右手でエルカナルの毛並みを撫でる。ぽかんと口を開けている白虎と藍竜の肩の上で、ユキムシたちが体を震わせた。
無いに等しかった肩の重みがずしりと増す。反射的に顔をそちらに向けた2人は、そこにいるモノと目が合った。
ヴェルナードの肩には白い毛並みに黒い縞模様を持つ長毛の猫が、ルイドラの肩には白い短毛に藍色の靴下を履いた小さなドラゴンがいた。横目でこちらを振り返ったエルカナルが、ほう、とわずかに目を見張る。
『ユキムシたちがお前さんらを主として認めたらしい。よい従魔を得たのう』
「ユキムシちゃんたちったらずいぶんかっこよくなったわねぇ。ところで、従魔ってなぁに?」
『そうさなぁ。まあ、友達のようなもんじゃよ』
「あら素敵」
『ふふ、そうじゃな。ではカエよ、儂もお前さんと友達になりたいんじゃが、どうじゃ?』
「やだ、あたしったらとっくに友達のつもりだったわ」
『おやおや』
にっこりと笑う少女に微笑みを返し、聖獣は愛おしそうに頬擦りをした。どこか不機嫌な表情のドンが前脚で鼻を押し返そうとするが、力の差は歴然だ。
「……なあヴィー」
「何も言うな……。頭が痛すぎる……」
カエを指さすルイドラに、ヴェルナードは眉間を強く抓んで長いため息を吐く。きゅ? にゃ? と、それぞれの肩にいる従魔たちが主の顔を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。




