第2話 依頼のキャンセル
「つまり、今回の依頼はキャンセル届けを提出済み、ということだろうか?」
雑音のない、簡素な造りの一室。少しくたびれたソファに座ったまま、ピリつく空気を和らげようともせず、硬い声でヴェルナードは言った。
「お呼び立てした立場で大変申し訳ないのですが、その、討伐の必要がなくなってしまいまして……」
テーブルを挟んだ正面に座る初老の男は、緊張故か、はたまた別の理由があるのか、絡めている両手の指をかすかに震わせている。
「理由を聞いても?」
尋ねる声は硬いまま、苛立つように、縞のある長い鍵尻尾がソファの肘置きを叩く。ビクリと肩を震わせた男が、「我々にもよくわからないのです」とか細く返した。
「エルビシュの森にドラゴンが降りていくのを見たのは確かなんです。ですがそれきりで、全く動きがない。あなた方に町まで来てもらう間も監視の数を増やして見張っていたんですが、森で動物が喰われた痕も見つからなければ飛び去る姿も確認できず……。本当に、なんの動きもないままで……」
「被害がないからと言って、姿が確認されているドラゴンを放っておくのか?」
ギシリ、とソファの背に凭れながら、呆れた様子で息を吐くヴェルナードの頭上で丸い耳が傾いた。部屋の外、廊下の先の音を聞くようにぴくりと揺れる。
「わたくしも、きちんと調べてもらった方がいいと進言したのは、したんですがねぇ……」
「……ああ、そうか」
歯切れの悪い男の返しに、ヴェルナードはしばらく沈黙した後、理解したように頷いた。
正面で縮こまっている男は、ドラゴン討伐の依頼を受けて訪れたルフル町に住む下級貴族の使いなのだが、その貴族は超がつくほどのどケチとして名が知られており、被害が出ない、つまり監視の目が逸れた間にドラゴンは飛び去っている可能性が高い、ならば依頼金が勿体ない、キャンセル料の方が安いのだからとっとと払って帰ってもらえ、と突っぱねられたのだろうと察するのは容易かった。
(今は無事でも、明日もそうとは限らないだろうに……)
しかし、金が払われないのであれば動く理由はない。ドラゴンというA級の魔物を相手にタダ働きをするような慈愛の精神は、ヴェルナードも彼の連れも持ち合わせてはいないのだ。本来なら。
「そういうことなら仕方がない。我々は引き上げるとしよう」
「あ、ええ……。本当に申し訳ございません……」
立ち上がった白虎を何か言いたげな顔で見上げた男だったが、出かかった言葉を飲み込むように首を振り、頭を下げた。そんな男に目をやることもなく、ドアノブに手をかける。
「……ドラゴンが降りたのは森の西側、だったな」
ぽつりと呟くような問いにきょとんとした男は、一拍置いて頷いた。それを横目で確認し、内開きのドアを開けて退室する。
締まりかけ、半開きで止まったドアの縁を、緩慢な動きで引っ掛けた鍵尻尾がパタリと閉じた。
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この世界には4種類のヒトが存在する。
最も数が多いのが、脆い爪と柔らかい肌の人間。その次に、リザードマンやウェアウルフといった人間の特徴を持つ魔人と、エルフやドワーフなどの亜人。そして最も数が少ないのが、人間の体に動物や魔獣の部位を有している獣人である。
ヴェルナードは白毛の耳と尻尾を生まれ持つ虎の獣人であり、その珍しさや上背もあることからかなり目立つ。しかし、彼自身を最も目立たせている理由は他にあった。
「お、どうだった? もう出発するのか?」
冒険者ギルドの奥、重要な依頼等の話し合いをする個室から顔を出した瞬間声がかかり、白虎は疲れたようにため息を吐く。
「白々しい。どうせ聞いていたんだろう?」
「はっ! まあな」
パタパタと軽やかな足音がして、肩に衝撃が走る。足音の主に小突かれたのだ。
「痛いぞルイドラ」
「嘘つけ」
効いてないくせに、と笑うのは、藍色の角と尾を持つドラゴンの獣人の青年ルイドラであり、ヴェルナードの相棒だ。
頭1つ半ほど低い高さにある頭頂部から生える、欠けた左角の歪な断面が室内灯に照らされてきらりと光り、周囲の空気が剣呑なものへと変わる。
(気配も隠せん雑魚共が……)
ヴェルナードがわざとらしく舌打ちをすれば、剣呑だった空気は底冷えしそうなほどに冷え込み、周りにいる冒険者たちが一斉に目を逸らす。
「出るぞ」
「あいよー」
顎で出口をしゃくりつつ言えば、ルイドラは両の掌を後頭部にやりながら従う意思を見せた。
白虎は真っ直ぐ出口に向かい、直前でルイドラに先に出るよう促す。藍竜の背中を見送ってから振り返り、未だこちらを盗み見る数人を睨みつけてから、叩きつけるようにドアを閉め、ギルドを後にした。




