第3話 レッドドラゴン
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〔へえ、あのキャンセル届けは本物だったんだ。ドラゴンがいるのにそんなことはないだろうと思って無視しちゃってたよ〕
「いやいや、無視してんじゃねえよおっさん」
「こら、口が悪いぞ」
エルビシュの森に到着したヴェルナードとルイドラは、森から流れてくる風を嗅いでドラゴンの魔力の有無を確認し、遠方にいる相手と連絡を取れる懐中時計型の魔道具を使って今後の計画を立てていた。
〔ちょっと待っててね。……ああこれだ。ねえ君、この依頼のキャンセル届けを受理してくれる? そうそう今すぐ。……できた? ありがとう。はい、お菓子あげる。君はクッキーが好きだったよね? ああよかった。このお店のクッキー美味しいよね。僕も好きなんだよ。ホッホッホ〕
「……ギルマス、戻ってきてくれないか?」
放っておけば永遠にお菓子談義を続けてしまうであろうギルマスを呼べば、ホホッと笑う声が返ってきた。
〔ごめんごめん、好みが近い子がいるとどうしても話が弾んじゃってね〕
「俺もクッキー好きだぞ! ジャムが乗ってるやつ!」
〔あぁ、美味しいよね。僕はリンゴジャムが好きだな〕
「話を広げようとするな!」
「いってえ!」
ゴツンッ! とヴェルナードがルイドラの角の間に拳を落とす。身長差も手伝ったのか、受けた衝撃はそこそこ強かったらしく、藍竜は悲鳴を上げて蹲った。
「森にドラゴンが潜んでいるのは確認できた。このまま討伐に向かっても?」
〔構わないよ。で、死体はそのままこっちに転送していいから。依頼をキャンセルされた以上報告の義務はないし、割前も発生しないから、ドラゴン1体分まるっとうちのだよ〕
ホッホー、と魔道具越しに上機嫌な声が聞こえてくる。ふむ、と白虎は顎を擦った。
各町や王都に設けられているギルドにはそれぞれ契約を交わしている冒険者がおり、魔物が目撃されたり被害が出た時は付近のギルドに属している冒険者が駆り出される仕組みになっている。しかし魔物のランクが高く、そこにいる者たちだけでの討伐が難しい場合は、別のギルドから高ランク冒険者の派遣を依頼することがある。
ヴェルナードたちがルフル町を訪ねた理由がまさにそれだったのだが、浅慮な貴族に不意にされたのがほんの1時間前のこと。馬鹿にされたと怒りを顕にしても文句は言われない状況だが、彼らにとってはむしろ好都合だった。
派遣による討伐の依頼が入った時、依頼金は討伐完了時に依頼したギルドから受けたギルドに支払われるのだが、倒された魔物から得られる素材は双方のギルドで分け合うことが決められている。魔物により生じた被害を補う資金を作る為だ。
取り分は3:7や4:6とその時々で違うが、今回ルフル町のギルドから出されていた依頼はあちら側の都合でキャンセルされたので、ドラゴンを倒せば牙や鱗といった素材、それらを売って得られる金が全てヴェルナードたちのギルドに入るようになる。
つまり、高額な依頼金の支払いを渋ったどケチの貴族は、天秤にかければ多少は安づくキャンセル料を払って懐を軽くした上に、町民を危険に晒して反感を買った挙句、得られるはずだったドラゴンの素材というレアアイテムをみすみす手放すという、なんとも間抜けな結果を招いたのだった。
「もともといい評判を聞かない連中だったが、代替わりしてから拍車がかかった気がするな」
「ここの貴族、高ランク冒険者を雇う金すら出し渋ってるんだろ? 俺、ルフルの貴族は犬でもできる損得勘定ができないって聞いたことあるぜ」
「それは犬に失礼だな」
痛みが引いたのだろうルイドラが立ち上がり、森を見やる。角よりも明るい色合いの瞳を縦に裂く瞳孔が少し開いた。
「なんか興奮してるっぽいな。早く行こうぜ」
「わかった。ではギルマス、のちほど」
〔はい、頑張って〕
通信が切れた魔道具の蓋を閉じ、ベルトに下げたポーチにしまう。入れ替えるように、ヴェルナードは内ポケットに入れてあった装飾の施された魔法石を取り出した。
「準備をしろ。油断はするなよ」
「わかってるっつーの」
同じくポーチから魔法石を取り出したルイドラが、丸いそれを掌でころころと転がして遊ばせる。
白虎のカーネリアンと、藍竜のオブシディアン。
天頂を越えた陽の光を浴びて光るそれらを握り締め、2人はエルビシュの森に足を踏み入れた。
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人間ならば半日は費やすであろう獣道を、白虎と藍竜は2時間足らずで駆け切った。速度を緩め、足音を立てないように身をかがめながら、木の陰に隠れて顔だけを覗かせる。その視線が捉えたのは、切立つ崖に向かって頭を擦りつけるように蹲るレッドドラゴンの背中だった。
「何やってんだ……?」
ルイドラが小声で尋ねる。目を細めながら、ヴェルナードは首を傾げた。
「……洞穴が見える。獲物でも逃げ込んだのか、前脚を突っ込んで掘っているな」
見えたままを説明し、ヴェルナードは握り締めていたカーネリアンに魔力を注ぎ込んだ。内側から光を放った紅玉髄が両刃の剣へと形を変える。同じく魔力を注がれたルイドラのオブシディアンは漆黒の鉤爪に変化して、肘までを厚い装甲で覆った。
「血の1滴まで使える魔物だ。なるべく傷はつけるなよ」
「それが面倒なんだよなぁ」
ぶうたれながらも鉤爪を構え、ルイドラは地を蹴り高く飛んだ。ようやくこちらに気づいたレッドドラゴンが洞穴を掘る前脚を止めて振り返り、唸り声を上げる。お、と声を漏らし、右、左と藍竜は鉤爪を振る。
耳をつんざく2本の雷撃。避ける間もなくそれぞれを首と胸に受けたレッドドラゴンはよろめいたが、地に伏すまでには至らない。
「こいつ喉やられてる! ブレスは出せねぇみたいだぜ!」
「わかった」
標的の異常を見抜いたルイドラに短く返し、ヴェルナードは緩く剣を構えた。
それなりにあった距離を、1歩、2歩と詰め、3歩目で胸元に潜り込んで狙いを定め、跳ぶ。
心臓を守る硬い鱗の隙間を、寸分の狂いなく切っ先が貫いた。一気に鍔まで突き刺さった剣身が熱を帯び、肉を焼く。
手応えを感じだヴェルナードは剣を引き抜き、激痛に暴れるレッドドラゴンから逃れるように横へ転がり、爪の届かない場所まで距離を取った。
悶え苦しむレッドドラゴンの尾がルイドラに迫る。身を翻した藍竜は己の尻尾でそれを受け、弾かれる勢いを活かして崖の上に着地した。
「おらよ!」
右の鉤爪を頭上に掲げたルイドラの体に魔力が巡る。そのまま振り下ろせば、爪先から生じた雷がレッドドラゴンの脳を直撃する。
かすれた断末魔に空気が震える。巨体が崩れ落ち、乾いた地面にひびが入るほどの振動が広がった。
難なく標的を討伐した2人は、魔力の流れをなくした死体の傍に並び立った。
「よっしゃ! いっちょ上がり!」
「出血もなく、内臓へのダメージも最小限に抑えられた。上出来だ」
満足気な笑みを浮かべたヴェルナードは、剣を一振して元のカーネリアンに形を戻した。それをポーチにしまい、再び懐中時計型の魔道具を取り出して、摘みにあるボタンを押して蓋を開ける。
本来であれば数字が書かれているはずの場所には12個の穴が開けられており、その内の2時を示す箇所に人差し指を入れて、魔力を注ぎながら時計回りに0時まで回す。十分な魔力を込め終えてから指を抜き、蓋を閉じて、レッドドラゴンの鱗に直接魔道具を押し当てた。
風に似た音がして、地面に魔法陣が浮かび上がる。光が強さを増し、レッドドラゴンの死体が端から解けるように消えていく。
やがて、レッドドラゴンは痕跡1つ残さず消えた。ヴェルナードたちが所属するギルドの、討伐した魔物を安置する保管庫に転送されたのだ。
「なー、このまま帰るのか? ルフル町には寄らないんだろ?」
オブシディアンに戻した鉤爪をしまいつつ、ルイドラが尋ねる。ああ、とヴェルナードは頷いた。
「大損をしたと気づかれれば面倒なことになる。幸いまだ日も高いし、さっさと──」
帰ろう、と続くはずだった台詞は、ザリ、という土を擦る音で途切れた。
身構えた白虎と藍竜の目線が走る。崖の下、先ほどまでレッドドラゴンが掘り返していた洞穴から聞こえた、聞き逃しそうなかすかな音。影になっている暗い穴から、ころりと何かが這い出てきた。
「あいたたた……。ほんとにもう、やんちゃっ子だねぇ……」
両手をつき、むくりと体を起こしたそれが、疲労を感じさせる声で言った。土を払い落とした掌で、両頬をむにむにと揉みしだいている。
やがて、それはすっきりした様子で立ち上がったところでヴェルナードたちに気づき、にっこりと微笑みながらパタパタと駆け寄ってきた。
「あらあら、もしかしてあなたたちがさっきの大きいのをどっかにやってくれたのかしら? ありがとうね。助かったわ」
すぐ傍まで来たというのに、腰にすら届かない小さな体。陶器のような白い肌に、鮮やかな黄色い花を咲かせた蔓の髪。
人間の少女を思わせる出で立ちだが、あまりにも人間離れしているそれを、ルイドラは不躾にも指差した。
「……亜人? いや魔人か……? なあヴェルナード、こいつどっちだ? 種族は?」
相棒を窘めるのも忘れ、わからん、白虎は首を横に振る。
「アルラウネに似ているが、肌や髪質が妙だな。……いやそもそもあれは二足歩行ではないか……。魔人と呼ぶには人間すぎるし、亜人にしては魔人寄りすぎる……。なんだこれは」
ブツブツと呟く白虎に、あらやだごめんなさいね、と少女は謝罪を口にして、黄色い花を揺らしながら頭を下げた。
「自己紹介がまだだったわね。あたしはカエ。三途の川に行きたいんだけど、道がわからなくって……」
どっちに行けばいいかしら? と尋ねてくる種族不明のそれに、白虎と藍竜は思わず顔を見合わせる。
少女が言うサンズに行く道も、そもそもサンズという名前すら初めて知る2人は沈黙する他なく、聞こえるのはささやかな葉擦ればかり。
「……とりあえず、森を出ようぜ」
数分ののち、ようやっと口を開いたのはルイドラで、
「……そうだな」
ヴェルナードは軽く頷いた。




