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第1話 三途の川はどっちかしら?

ご閲覧ありがとうございます。少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 里山花枝の晩年は穏やかなものだった。


 50代半ばという若さで病死した夫の遺影に返されることのない小言を放りつつ、隣町に暮らしている息子家族が遊びに来るのを指折り待ちながら畑仕事に勤しむ小柄な彼女は近隣住民にとっては日常風景の一部となっており、登下校する子どもたちが我先にと挨拶をしに駆け寄るのが朝夕の恒例とも言えた。


 花枝も子どもたちを大層可愛がっていて、その可愛がり様は旗当番としてほぼ毎朝交差点に立っては登校する子らの背中を笑顔で見送り、下校の時間になれば家の前の道路を掃きながらおかえりと声をかけ、休日ともなれば草をむしったり苗を植えたりする手を止めないままに、学校であった楽しいことや男子の悪口を言うお喋り好きな女の子たちの話し相手になるほどだった。


 子どもたちと親しくなればその保護者たちとも交流が生まれるのは当然の流れであり、大量に採れた野菜をお裾分けすることもあれば、旅行のお土産としてお菓子をもらうことも度々あった。


 そんな花枝の最期は80歳の誕生日を翌月に控えた晴れの日だった。


 朝、いつも通り子どもたちを見送った後、植えたばかりの苗周りの草をむしってから帰宅し、一息つくためにお茶を淹れて、座椅子に座ったと同時に急激に意識が遠退き始め、眠るように終わりの一息を吐いたのだ。


 発見されるまでに時間はかからなかった。下校時にいつも出迎えてくれる花枝ばあちゃんがいないと子どもたちが騒ぎ、数人の大人が家に来たことで救急車が呼ばれ、その場で死亡が確認された。


 駆けつけた息子家族やたくさんの人々に見送られ、荼毘に付された花枝は、昇る煙の中から悲しむ皆の様子を見下ろしていた。




(あらあら、祐二ったらあんなに泣いて……。ゆかりさんも、あんまり悲しまないでね。嫁に来てくれたのがあなたで、あたし幸せだったんだから。虎徹、遊んでばっかりにないで、高校試験ちゃんと頑張るんだよ? 竜也、スーツ姿見れなくてごめんね?)




 泣きじゃくる息子家族を白煙越しに見つめながらにこりと微笑み、同じく泣いている近所の子どもたちに目を向ける。




(登下校の間はもちろんだけど、遊んでいる時も車には気をつけなさいね。雨上がりの川に近づいたら駄目よ? 山で遊ぶ時は登山道から離れないようにね? 迷子になっちゃうから)




 次いで、ハンカチで目元を押さえている保護者たちに向かって両手をひらひらと振った。




(食べ頃の野菜がいっぱい生ってるからみんなで分けてね。ゆかりさん、竜也たちにもしっかり食べさせるんだよ。祐二、あんたはしっかり食べるように)




 届かないとわかっていながらもそう声をかけ続け、ふう、と息を吐いて上を見る。




(さてさて、三途の川を目指しましょうか)




 肉体から抜け出た為か、最近痛むようになっていた膝や長年患っていた腰痛に加え、老眼までもが回復して快適になった花枝は晴れやかな気持ちであの世を目指そうとした。


 とりあえず、あちらへ辿り着くまでの間に早死にした夫への文句でも用意しておこうかと考えた、その時だった。




 ───いたい




 白煙の昇る先から少し外れた、青空から声が聞こえた。




 ───いたいよ




 男女の区別をつけづらい、幼気で、どこか不安そうな声だった。




 ───くるしい




 喉を詰まらせるような苦しげな様子に、思わず花枝は声をかけた。




(どこにいるの?)




 白煙から逸れて手を伸ばす。ふわりと、指先に何かが絡みつく感触があった。




 ───たすけて




 人間の手ではない。細く長い見えないそれは、指の1本1本から手首、肘まで伸びてくる。




 ───おねがい




 見えない何かの先端が頬を撫でる。返事をする間もなく、花枝の意識はぷつりと途切れた。




 ✾ ✾ ✾ ✾ ✾




 目を覚ましては眠り、また目覚めてはことりと寝落ちる。


 そんなことを何度も繰り返した花枝は、ようやっと意識をはっきり保てるようになった頃、自身を囲む木々を見た。


 しかし長く起きていられるわけではなく、周囲の木々を見て森の中だろうかと考えている内に再び眠りにつき、また目覚めて周りを見回し、森の中にいるのだと悟った。


 それから幾度かの覚醒と睡眠を経て、花枝は立ち上がる。


 最初に覚えた違和感は目線の低さだった。目の前にある、背が高いとは思えない木の頭すら見下ろせない。自身の小柄さは嫌というほど知っている花枝だが、ここまでではないはずだと首を傾げる。


 次に音。風が吹き、サラサラと擦れる木の葉の音色の向こうに、水の音がはっきりと聞こえるのだ。




(三途の川、じゃなさそうね……)




 音からして小川だと断言できる。しかし、ならばなぜそのような小さな川の細やかな音を拾うことができるのか。不思議に思いながらも、花枝は音のする方に向かって歩き出した。


 地面から這い出て乾いた木の根。全体の半分以上は埋まっているであろう丸みのある石の肌。1つの株から鮮やかな花と艷やかな実を同時につけている奇妙な植物。それらを避けながら歩を進め、息が切れ始めた頃、やっと目的地に辿り着く。


 水源が間近にあるのだろうと思わせる、老体でも跨げそうなほどに幅の狭い、浅い川。よくもまあこんな小さな川の音が聞こえたものだと、花枝は川面を覗き込もうと両手をついた。




「あら?」




 視界に映った両手を目の高さに掲げ、手の甲と掌をくるくると入れ替えながら、まじまじと眺め、次いで両足に目を落とす。




「あらあら?」




 爪先を摘み、足首を握り、目に映るそれが自分の足かどうか確認する。感触から間違いなく自身の持ち物だと判断し、川面を覗き込んだ。


 流れる川面に映り込んだ姿は、見慣れたしわしわのおばあさんではなく、雪のように真っ白ですべすべな肌と、たくさんの蕾がついた蔓のような髪が揺れる、幼い少女だった。




「あんらーーー!」




 顔と同じく真っ白な両手で両頬を挟んだ花枝の声が森に響き渡る。驚いた鳥が甲高い声を上げて飛び立ち、数枚の羽根が散った。


 ここはエルビシュの森。神と魔族の戦争により裂けたと伝わる谷がある、いわゆる異世界の森なのだが、それを花枝に教える者はいない。






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