第12話 胸騒ぎ
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階段を下るにつれ、湖のどす黒さがはっきり見えてきた。
本来なら澄んでいるであろう湖水は湖面こそ透明ではあるものの、水の膜のすぐ下には黒いもやのような澱みが広がっており、遮るものなどないのに日の光を一切通していない。足もとに転がっていた小石をルイドラが蹴り落とすが、飛沫が上がった直後、もやに呑まれて見えなくなった。
「この水を飲んだ奴っているのか?」
ルイドラが尋ねれば、
「家畜が既に飲んでしまっています。湖から直接牧場に水を引いているので。それと、水田の作物にも被害が出てしまいました。町民たちは今のところ大丈夫そうです。穢れを確認してすぐ水門を閉じて、備蓄している水を使うよう指示を出しましたから」
町長は答えた。
『英断じゃったな。少しでも判断が遅れれば死者が出ていたじゃろう』
階段の上から見下ろしてくるエルカナルに褒められ、ビクリと肩を震わせた町長がおずおずと頭を下げる。湖に沿って設けられた遊歩道に下りた一行は、揃って湖面を覗き込んだ。
「ほんとに真っ黒だな」
「魚生きてるかしら……」
「死滅こそしていないだろうが、時間の問題だろう。カエ、やれるか?」
目線を寄越してくる白虎に少女は頷き、藍竜の肩から降りて湖の縁に膝をついた。
掌を湖面に添え、瞼を閉じる。頭の花が銀色に輝き、花粉が舞った。銀粉が触れた湖水が花開くように透明度を取り戻していくが、町1つの生活を支えてもまだ余るセムダ湖に行き渡るには至らない。
「チチーーーッ!」
突然空から聞こえてきた声に振り返ると、こちらに向かって飛んでくるドンの姿が見えた。ユキムシたちを率いているが、その数にヴェルナードとルイドラは驚いて目を丸くする。
多い時でも30匹ほどしか見かけなかったユキムシの数が、100匹を優に超えていた。まるで小さな雲のような群れが滑らかな動きで降下してカエの銀粉を拾い、全身にまとって湖の上に散開していく。
湖面に描かれた銀色の線が黒を透明に変えた。子どもの落書きにも見えるユキムシたちの軌跡が重なり合い、澱みは徐々に、しかし確実に晴れていく。その様子を見た町民たちが歓声を上げ、そこかしこから指笛までもが高く鳴り響いた。
「チッ!」
「あんたたち、今までどこに行ってたの? それにしてもずいぶん増えたわねぇ」
一足先に戻ってきたドンに微笑んだカエは両手の水気を裾で拭い、器を作って差し出す。何を思ったのか、ドンは空中ででんぐり返しをして背中側を下に向け、いわゆるヘソ天状態でぽふりとそこに収まった。
「あら?」
「それは?」
ドンが6本の脚を全て使い、何かをひしっと抱き込んでいる。細長い星のような形をしたそれは、どうやら枯れ草を編んで作られているらしい。
「なんだこれ」
ルイドラがそれを取ろうと手を伸ばす。指が触れそうになった瞬間、カエがサッと腕を逸らし、素早くドンを遠ざけた。
「ルイ君、これは駄目。触っちゃ駄目よ」
いつになく険しい表情をしている少女の花が黄色く染まる。穏やかなカエしか知らないヴェルナードたちは、二の句を継げずに固まった。
『なんじゃそれは?』
ふわりと飛んで遊歩道に立ったエルカナルが少女の掌を見下ろす。
「エルさんも知らないみたいね。町長さんは見たことあるかしら?」
「いえ、初めて見ますね」
「そう……」
幼い顔立ちに似合わないしわを眉間に刻むカエに、藍竜の腕から降りたイメルとウルマがぴたりと寄り添う。ふう、と小さく息を吐いて、少女はドンを腕に抱き直し、それを抓み上げた。
「あたしが知ってる物と同じなら、これは藁人形と呼ばれる道具よ。何に使うかは……。……今は教えないでおくわ」
途中、沈黙を挟んで少女は横に首を振る。聞き覚えのない道具名に、ヴェルナードは記憶を遡った。しかし脳内のどこを探っても、藁人形という名前は出てこない。
一碧万頃の景色を取り戻した湖に、町民たちの興奮が増していく。湖の隅々まで瘴気を払い終えたユキムシたちが一斉に帰ってきた。遠目でも、白い腹が薄茶色に染まっているのがわかる。
100匹を超える全てのユキムシたちが、それぞれ藁人形を抱えている。ちいちいと鳴きながら、何周も、何周も、一行の頭上を旋回した。
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「えーっと、この本だったかな……。それともこっち? うーん、これだっけ……?」
〈銀の嘴〉の裏手、所属する冒険者たちの休憩所として整備されている裏庭のベンチで、カイオネルは積み上げられたの本の目次に目を走らせた。
「どれもこれも、読んだのは数十年も前だもんなぁ……。あー、言うだけで知りたい情報がぱっと出てくるようになれば楽なのに……」
「そんなのあるわけないだろ」
「地道に探すしかないな」
「あたしが前世で生きてた世界にはあったわよ? 音声入力ってやつだったかしら」
「凄い魔術だね! 羨ましい……!」
「魔術じゃないわ。技術って言うのかしら。まああたしは使いこなせなかったけど」
灰梟が確認し終えて乱雑に置いた本を、少女は丁寧に積み上げていく。白虎と藍竜は最近めっきり出番のない武器の手入れをしながら、少し離れたところで腹這いになっている聖獣の体によじ登って遊ぶ白猫と白竜を眺めつつ、会話に加わっていた。
「ああ、やっと見つけた。これだよ、身代わり人形」
何冊目になるかわからない本の目次を翼の先で指し、カイオネルは記されているページを開く。少々形は異なるものの、ユキムシたちが持ってきた藁人形に似た物が説明文と共に描かれていた。
「大昔、カエちゃんと同じように前世の記憶を持って生まれた亜人がいたんだって。干ばつが続いた年に神様に生贄を捧げるかって話が出たらしいんだけど、その亜人がこの身代わり人形を住民たちに教えて、数人の子どもが難を逃れたって書いてあるよ」
「前例があったのか?」
「前例っていうのはちょっと違うかな。その亜人はこっちの世界で生まれて、前世の記憶を持ってた感じ。カエちゃんは人格そのものを今の体に引き継いでるでしょ?」
似たようなものではあるけども、とカイオネルはページをめくる。
「つーか、身代わり人形なら別に触ってもよくね? 悪いもんじゃねえんだろ?」
そう言って、ルイドラはカエが座っているベンチの端で小山を作っている藁人形を指差した。
「あたしもね、これが身代わり人形として使われていたのは知ってるの。だけど、もう1つの使い方の方が有名だったからつい……」
「もう1つの使い方?」
「そうそう。呪いの人形よ」
カエから飛び出してきた思いがけない言葉に全員がぎょっとする。
「手順は省くけど、これを使って特定の人を呪い殺す方法があるの。だから触ってほしくなかったのよ」
「だがお前は触っていただろう? 平気なのか?」
「それはほら、自己責任よ」
ほほほ、と笑う少女に、白虎が呆れ顔になる。カイオネルが直角に首を傾けて藁人形を眺めた。
「仮にこれが呪いの人形だったとして、どうしたらいいんだろう? 処分していいのかい?」
「お焚き上げって言ってね、決まった場所で燃やして供養してもらうの。神社とお寺、どっちだったっけ……。こっちの世界で言う神殿みたいなところかしら」
「そうかい。それじゃあ厳重に箱に入れて、神殿に送ろうかな。呪具かどうかも調べてもらおう」
「あ、それじゃあこれも伝えてくださる?」
カエが続ける。
「ドンちゃんたちが言うにはね? この藁人形、レントウェル町を囲うように円形に置かれてたんですって。その内の1つはサラマンドラのすぐ側だったらしいわ」
「……何者かが意図を持って置いているようだな」
「そうだね。それも、身代わり人形としてではなく、だ」
ヴェルナードとカイオネルは顔を寄せ合ってぼそぼそと話し始めた。会話に混ざりづらいのか、ルイドラは手入れが終わった鉤爪をオブシディアンに戻し、掌で転がして暇を持て余している。
(あの藁人形、釘を打った痕がなかった……。あたしが知ってる方法以外で使われてるのかしら……? それとも本当に誰かの身代わりに……?)
呪具として知られていない以上、やり方を口にはできない。カエは胸騒ぎを覚えつつ、何も起こらないことを八百万の神に祈った。




