03 開始だね
03 開始だね
筋肉をつけるために足踏みをしている。部屋で出来るしな。
最初はすぐに息が上がった。だが、今はそれなりに長く続けられるようになってきた。
目標は、走れる体。
この体は、戦場にいた俺の体じゃない。胸の奥に残っている「戦えるはずの感覚」が、現実の貧弱さを余計に浮き彫りにする。
足踏みをすればするほど、すねの奥がじわじわ熱くなる。呼吸は浅くなり、心臓だけがやたらと存在を主張してくる。
それでもやる。
ひまさえあれば動く。やらなきゃ越えられない。
俺は侍従に頼んだ。
「自分を勘当する書類を作ってくれ」
笑われると思った。だが、口から出たのは本音だった。
「どうせ死ぬかもしれない。でも、希望が欲しい。生き残ったら自由に旅に出たい。そう思える理由が欲しい」
侍従は少しだけ目を細め、それ以上は何も聞かなかった。
そして翌朝。
本当に書類が届いた。
形式ばった文面。署名欄。印章を押す余白。
薄い紙なのに、妙に重かった。
俺は迷わず署名した。
闘技大会が終わったあとに提出すれば、正式に勘当手続きが完了するらしい。
つまり――生きていれば提出できる。
俺は賭けで得た金を持って、この世界を見て回る。
そう考えた瞬間、胃の奥に張りついていた冷たさが、少しだけ溶けた気がした。
「ありがとう」
侍従は静かに頭を下げただけだった。
それから、俺は出来ることを増やした。
魔法の手。
腕を作り、手の代わりにする魔法だ。
これが、この体で唯一まともに扱える武器だった。
細い腕より、見えない魔法の腕のほうが、よほど思い通りに動く。
透明化も試した。
こっちは拍子抜けするほど簡単に成功した。
たぶん、この世界の魔法は理屈を積み上げれば発動まで持っていける類だ。
逆に、火球や水球みたいな飛ばす魔法は、訓練量がそのまま精度に出る。
照準、速度、制御。
そういう積み重ねが必要なのだろう。
なら、それは後でいい。
自由になってから鍛えればいい。
石でも投げれば、そのうち上達する。
そして当日。
馬車は断った。
歩いて行く。
最後の行軍だと思えばいい。
門を出るとき、ふと口から言葉が漏れた。
「これでお別れですね」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
屋敷か。
侍従か。
それとも、この体の持ち主だったジョナサンか。
街は妙に明るかった。
人が、闘技場へ吸い寄せられていく。
派手な服。浮ついた笑い声。香辛料の匂い。
露店は普段より多く、肉を焼く煙が風に乗って流れてくる。
途中で肉野菜包みを買った。
熱い脂と、刻んだ野菜の甘み。
口に入れた瞬間、妙に生きている感じがした。
飲み込む時、喉がちゃんと動く。
美味い。
わざとゆっくり歩く。
足を動かすだけでも大仕事なのだ。
焦れば転ぶ。
闘技場が見えた瞬間、空気が変わった。
石造りの巨大な輪。
外壁には紋章と、貴族家かスポンサーの名らしい金文字が並んでいる。
入口には兵士が立ち、規格化された動きで人を流していた。
そこで確信する。
この世界で魔法は珍しい力じゃない。
少なくとも上層階級では、教育として組み込まれている。
大会が制度として成立し、名簿が整備され、賭けが行政で管理されている。
魔法は秘術じゃない。
国家運営に組み込まれた技術だ。
手続きは拍子抜けするほど事務的だった。
名前。
参加番号。
本人確認。
紙が重なり、印が押され、係員が淡々と説明を続ける。
俺が自分に賭けた時も同じだった。
ただ、担当者は露骨に馬鹿を見る目を隠さなかった。
賭け窓口には長蛇の列が出来ている。
担当者は無表情で札をさばき、計算だけは異様に速い。
ここは娯楽場だ。
同時に商売場で、処刑場でもある。
控室へ通された。
薄暗い廊下。
石の床。
汗と油の匂い。
扉の向こうには、うつむいた人影が並んでいた。
十五人。
俺が入っても、誰も顔を上げない。
泣いているやつ。
黙って涙を流すやつ。
声を押し殺して肩を震わせているやつ。
天井を見つめたまま動かないやつ。
その中で、俺は足踏みするやつになった。
筋肉が欲しい。
短時間で増えるわけがない。
それでも、動いている間だけは、自分が生き残る努力をしていると思えた。
やがて、外から歓声が響いた。
「開会式が終わったぞ」
誰かがそう呟いた。
壁が震える。
そして名前を呼ばれた。
だが、特別なことはない。
全員まとめて外へ出される。
扉の向こうは、まぶしすぎた。
一歩出ただけで熱気が肌にまとわりつく。
歓声が耳の奥を殴ってくる。
観客席は円形に高く積み上がり、顔なんて見えない距離なのに、視線だけが突き刺さる。
会場には三十人。
十五人が生き残れば終了。
つまり半分は確実に死ぬ。
最初からそういう設計だ。
そして武器が配られた。
剣。
全員同じ作りの剣。
なるほど、と俺は思った。
闘技大会なのに武器が無いのは不自然だった。
少なくとも、丸腰を殺すのは見栄えが悪いと思う程度の体裁はあるらしい。
杖を持っている者が十五人。
剣を渡された者が十五人。
あまりにもわかりやすい。
杖持ちは攻撃役。
剣持ちは的だ。
剣は全員同じだが、杖は違う。
長さも装飾も素材も違う。
自前だ。
つまり、子供の頃から訓練してきた証拠でもある。
観客も意味を理解していた。
剣側を見て笑っている。
「勇敢に死ねぇ!」
「その剣、飾りだろ!」
「失禁するなよぉ!」
「は……」
剣が重い。
指が支えきれない。
持つだけで精一杯だ。
振るなんて無理だろ。
この体には筋力が足りない。
剣術の基礎も入っていない。
武器を渡された瞬間、この体に欠けているものを突きつけられた。
だが。
俺は生き残る。
勝って金を持ち帰る。
透明な魔法の腕を出した。
右腕が剣を掴む。
外からは見えない。
本物の手は添えるだけ。
重さは全部、魔法の腕に持たせる。
手首の震えが止まった。
重心が安定する。
さらに左腕。
こっちは防御用。
飛んでくる魔法を受け止める。
よし。
これなら「剣を持っているように見せながら」、本体の体力を消耗しない。
そこで改めて考える。
この世界の魔法は、どんな戦い方をする?
まだ見たことがない。
だから少しだけ楽しみだった。
俺には、この国の魔法知識がない。
だが、戦場の経験はある。
魔法が飛び交うなら、正面から撃ち合わない。
剣は囮。
見えない手が本命。
観客の歓声が波みたいに押し寄せる。
空は明るいのに、背筋だけが冷たい。
大丈夫だ。
透明だから見えない。
俺の手札は、まだ割れていない。
問題は位置取りだ。
バトルロワイヤルで、どこに立つのが正解か。
だが、俺はすぐ結論を出した。
どこでもいい。
動くと疲れる。
俺は鈍い。
なら、無理に主導権を取りに行かない。
魔法の手で防御する。
時間を稼ぐ。
砂時計を見上げる。
あれが落ち切るまでが競技時間らしい。
壊したくなった。
ああいう「決められた終わり」を見せつけられると、無性に叩き割りたくなる。
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