05.包帯少女 その1
真横に来た人型は、僕の手や足に乗せられた布を替えてくれた。
濡れた布のヒンヤリとした感触に、苦痛が溶け出していく。
僕は布を替えてくれる人型を凝視したが、人型の方は僕の視線などお構いなしに作業を続けている。
人型は、その頭部の巨大な眼とは対照的に、小さな子供サイズの手をしていた。
この人型は目が悪いのか、僕の身体を両手で探りながら布の交換をしている。
また、オオサンショウウオ風の魔物は、人型の横で僕を睨んでいる。
巨大な一つ目をギョロリと動かし、明らかに僕を威嚇していた。
闇の中に浮かぶ巨大な赤い眼は、ひどく気味が悪い。
・・・やっぱり治療してくれているのか?・・・
そう感じたところで緊張の糸が切れた。
魔物に喰われる恐怖が薄れ、癒やされる感覚が僕を深い眠りへと誘っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
穏やかで幸せな眠りだった。
この異世界に召喚されてから感じたことのない安らかな眠りだ。
何かが僕の顔をペタペタと触ってくる。
柔らかな肌触りだ。
・・・スライムかな?・・・
そう思ってみたものの、僕は深い眠りから目覚めなかった。
その小さなペタペタは、僕の顔をいっぱい触ってきた。
心地よい眠りを邪魔された僕は、完全に寝ぼけたまま薄目を開けた。
闇に何か白い物が浮かんでいる。
あの魔物かと思ったが、思考は続かなかった。
・・・み、水だ・・・
触れていたペタペタが僕の口まで移動すると、そこから水分が流れ込んできた。
僕は、それを飲んだ。水が喉に染み渡り身体が楽になっていく。
そして、僕の意識は再び心地よい眠りに包まれた。
次に意識が戻った時、僕の横に人型の一つ目がいた。
魔物が手の届く位置に居るのに、なぜかホッとした。
横にチョコンと座った一つ目が、僕の左手に触れてきた。
驚いたことに痛みは消え、多少の痺れが残るだけだ。
そして、その左手に魔物の手が重ねられた。
小さくて柔らかな手だ・・・
僕は、その時になって、少しギョッとした。
この一つ目は、本当に魔物なのか?
人の子ではないのか? そんな疑念が浮かんだのだ。
暗闇に目が慣れたといっても、全てを視認できている訳ではなかった。
闇に浮かぶ巨大目玉に気が向いてしまい、一つ目の全体が見えてなかった。
僕は目をこらして、この人型の姿を凝視した。
小さな手足が、粗末なワンピースのような服からのぞいている。人間で言えば3~5歳児くらいだろうか? 幼女といった雰囲気だが・・・
小さな顎に小さな口が確認出来た。そして、その可愛い口の上に、いきなり巨大な白目が乗っかっている。そして、その白目の真ん中には目玉のような黒い●があるのだが、この一つ目はピクリとも動かない。
オオサンショウウオ風バケモノとの違いは、この辺にあった。
そう思考している間も、左手の痺れが少しずつ楽になっていくのが分かる。
明らかに、この一つ目が僕を治癒してくれているのだ。
・・・こんな小さな治療師がいるのか?・・・魔物のヒーラー?・・・
僕は口に溜まった唾を飲み込んだ。声を出せそうな気がする。
話しかけたいという衝動を抑えられなかった。
「あ、あっ・・・あり、が、どぉう・・・」
僕が声を絞り出すと、一つ目は僕の手を離し慌てて立ち上がった。
「ぴぇっ・・・」
変な声をもらした一つ目は、クルリと背を向け駆け出した。後頭部も真っ白だ。本当に、目玉が乗っかっているのか?
「うきゃっ!」
駆け出した一つ目はすぐにつまずき倒れ込む。羽織っていた服が大きくめくれ、真っ白な足とお尻があらわになった。
どうも、服の下は裸らしい。
ていうか、人なのか!?
「お、おいっ・・・きぃっ、君ぃっ・・・」
僕は寝たままで固まっていた身体を何とか起こし、闇に消えてしまいそうな一つ目に声を掛けた。
しかし、それで余計に驚いたのか、一つ目は起き上がると弱々しい悲鳴を上げ、暗闇に消えてしまった。
「やあぁぁぁっ」
・・・何なんだ? あれは・・・
逃げる後ろ姿と発する声が幼女に思え、僕は少し呆然としてしまった。
数秒呆気にとられていると、ザブンという大きな水音と共に、バシャバシャと水面を叩く音が闇の先から聞こえてきた。
正確には分からないが、明らかにヤバい音だ。
・・・えええっ!・・・
直感では、僕を介抱した一つ目が、川か池に落ち溺れていると推測できた。
僕は慌てて飛び起きようとしたが、身体が付いてこなかった。
特に左足の痺れは酷く、思うように動かない。
「うおっ!・・・」
・・・動けっ、ポンコツっ・・・
身体が動くとか動かないとか、そういうことを考えている場合ではなかった。
あのサイズの子供が川に落ちれば、確実に死が待っている。
僕が不用意に声を掛け驚かせてしまったから・・・
曲がらない左足を突っ張らせたまま、僕は両手を地面に突き身体を起こしていく。起き上がれなければ、這ってでも行かなければならない。
「せーのっ!」
震える両手に反動をつけ、勢いで立ち上がる。右足は何とか動いたので、立ち上がることに成功した。
「待っててっ。いっ、いま行くからっ・・・」
声を絞り出し、水音の方向へと進む。左足は鉛が入ったように動かない。
暗闇の中で久しぶりに立ち上がり、平衡感覚が滅茶苦茶だ。頭がふらふらする。
それでも、早く助けなければと気が焦る。
数メートル歩くと、闇の先に水面が広がっていた。
地底に広がる鍾乳洞の地底湖みたいなものかもしれない。
その真っ暗な水面で、一つ目がバシャバシャともがいている。
どう見ても、子供が溺れているようにしか見えない。
・・・ま、マジか・・・
駆け寄ろうとするが、足が動かない。引きずるようにして進んでいると、水面に大きな目玉が現れた。暗闇に赤く光る巨大目玉。巨大オオサンショウウオ風魔物だ。
ゆっくりと泳ぎながら近づいたソイツは、その大きな口で溺れる目玉をパクリと咥えてしまった。
「ええぇぇぇっ!」
・・・くっ、喰ったあぁぁぁっ!・・・
闇の中で僕にはそう見えた。心臓がキュッと締めつけられる。
だが、それは誤解だった。
人型の身体半分を咥えた魔物は、そのまま岩場に上がると人型を吐き出した。
画像的には恐ろしいシーンだが、単純に助けてくれたということらしい。
僕がそばに寄ると、人型は小さな身体をブルブルと震わせていた。
「ごめんよ。驚かせて、ごめんね・・・」
「ひゃあっ・・・」
手を伸ばすと、震える人型は身体をビクリとさせ逃げようとした。
「怖がらないで。僕は、ただ君にお礼が言いたいだけなんだ」
僕は人型の柔らかな身体を離さなかった。
手触りは完全に人間の子供だ。
そして、両手で捕まえたズブ濡れの大きな目が、僕の手の中で崩れ落ちていく。
・・・え、えええぇぇぇっ!・・・
最初、僕は白目が溶け落ちたと思った。
目は慣れていたが闇の中なのだ。単純にそう見えた。
そして、溶け落ちていった目の中から、女の子の顔が現れた。
びしょ濡れの髪が現れたところで、僕は一つ目の正体をやっと理解した。
それまで僕が一つ目と思っていたのは、顔全体に包帯をグルグル巻きにした幼女だったのだ。
そして、さらに僕を驚愕させたのは少女の顔だ。
輪郭や口元を見れば可愛い子であるのは間違いない。
しかし、この女の子の両目は、引き裂かれたような大きな傷で潰されていた。それも、たった今、大ナタで複数回切られたような傷から、鮮血が流れ出している。
その痛々しさマックスの姿に、僕は息を呑んだ。
黒目と思っていた部分は、血がにじんだ跡だったのだ。
ずぶ濡れの水滴に血が混じり流れ落ちている。
「そ、その怪我は・・・」
僕の声に、女の子は腕の中でもがき始めた。
「みっ、見ちゃダメっ・・・リリ汚いからっ・・・リリ呪われてるからっ、近づいちゃらめっ・・・」
小さな手を突っ張らせ、嫌々と顔を振る。それだけで鮮血が傷口からあふれ出してくる。
女の子の言っている意味が、あまりピンとこない。
僕はどうしていいかも分からず、それでも女の子を両手で抱いていた。
そんな僕に彼女は言ったのだ。
「リリっ、ば、バケモノだからっ・・・」
僕の心臓がキュッと締め付けられた。
血の気が引いていく。うなされた状態で「バケモノ」と言った事を思いだした。
こんな幼女に向かって、僕は「バケモノ」と言ってしまったのだ。
僕の思考は一気にパニクった。
悪気は無かったにしても、こんな小さな子を酷く傷つけたのは事実で、それでもこの子は僕を介抱してくれていたのだ。
こんな小さくて、大怪我をしているのに・・・
自分の情けなさを隠すように、僕は女の子をギュッと抱き寄せ、その小さな胸に顔を押しつけた。
「ごめんねっ、ごめんねっ。僕は、僕はっ、熱にうなされて怯えてたんだ。傷つけてごめんっ! 酷いことを言って、ごめんっ!」
僕が強く抱きしめたためか、贖罪の言葉を受け入れてくれたのか、女の子は暴れなくなった。
そして、少しの沈黙の後、彼女は小さな手で僕の頭を撫でてくれた。
優しい子だ。そして、この子は大怪我をしているのだ。
僕は、そのことを思い出し顔を上げ、女の子の顔を覗き込んだ。
幾重にも切り裂かれた傷がむごたらしい。
「い、痛いよね。誰か、治療してくれる大人はいないのかな?」
僕の質問に、女の子はプルプルと顔を横に振った。
そうやって動いただけで傷口から血が流れ出す。
僕は、自分がどうすればいいのか分からなかった。
元の世界なら、スマホを出して救急車を呼ぶ一手だが、ここは異世界で自分がどこにいるかも分からない状況なのだ。
勇者パーティーメンバーと一緒ならヒーラーを呼べばいい。しかし、僕はもはや勇者ではない。仲間もいない。
目の前に大怪我をした子供がいるのに、何も出来ない自分が酷く情け無い。
勇者様と呼ばれ、世界の平和と正義と民草の幸せのためとおだてられ、3年も戦ってきたのに、小さな女の子を助けたいという願いさえ、一ミリも叶えられない自分が嫌になっていく。
そして、僕の中に恐怖が広がっていく。
こんなに出血していては、この子は死んでしまうのではないだろうか?
そんな僕の心配を察したかのように
「だ、だいじょぶですぅ。痛いの慣れてるから・・・大丈夫ぅっ」
リリと名乗った女の子は、僕の腕の中で可愛く笑った。
口元に笑みがあっても、その両目は無残な傷口をさらしたままだ。
「・・・・・・・」
言葉が出なかった。
何も出来ない自分が嫌になる。そして、その自己嫌悪は、どんどん加速したが、その感情を飲み込みつつ僕は話しかけた。
「ぼ、僕の名前はカズキ。旅をしてたんだけど、病気になって気づいたらココに居たんだ・・・」
僕は真実を話さなかった。元勇者でドラゴンを倒してという話をしても、無意味に思えたからだ。
「か、かじゅ、きっ、しゃまっ? りっ、リリですっ。リリ、呪いで眼が汚れたから、ココに捨てられ・・・たの・・・かも・・・かな?・・・」
そう話したリリの表情が暗くなる。
幼女にはヘビー過ぎる話しだ。
この子に色々と聞いていいのかと悩む。
「カズキって呼んでくれる? リリのこともリリって呼んでもいいかな? あ、カズキって呼びにくかったら、お兄ちゃんでもいいよ」
僕は少し照れながら言った。
すると
「お、お兄ちゃんっ・・・」
そう呟いたリリは、僕の腕を両手でつかみギュッとしがみついてきた。
その幼い仕草というか雰囲気は、守ってあげたいという本能を刺激した。
僕の腕に抱きついている間も、両目の傷からあふれ出す鮮血は止まらない。
どうしていいか分からず戸惑う僕に、リリは顔を上げニコリと笑った。
「り、リリっ、お着替えと包帯巻いてきますぅ・・・」
「えっ、ああ、そうだね。濡れちゃったから風邪引くといけないよね。包帯は1人で巻ける? 手伝おうか?」
「リリっ、もう1人でお着替えできるんですよっ」
小さな女の子は、少し自慢げに言った。
包帯は無理だろと、僕は心の中で突っ込んでみたが、とりあえず見守ることにした。僕は現状何も出来ないだろうし、何も理解していなかった。
濡れ落ちた包帯を両手で抱え、リリが歩き出す。すると、すぐにオオサンショウウオ風一つ目の魔物が彼女の横に寄り添い歩き始めた。
・・・ど、どういうことだよ?
・・・ここは、どこなんだ?
・・・この子は誰なんだ? この魔物は?
そんなことを考えながら、僕は闇の中に消えてしまいそうなリリの後ろ姿を、眼で追った。
・・・あれはベッドだよな?
・・・包帯が、いっぱい干してある。ここで暮らしてるのか?
リリの姿は闇に埋もれてしまったが、彼女たちの歩いた先にベッドと干された包帯がボンヤリと浮かび上がっていた。
僕の立つ場所から、7.8メートル先にベッドはあった。
なぜ、こんな洞窟にベッドがと思っていると、暗闇に真っ白なリリが現れた。服を脱いでマッパになったみたいだ。幼女だが、とりあえず視線を外して周囲や天井に視線を向けてみた。
・・・ここって、ただの洞窟なのかな?・・・
暗闇に目が慣れても、少し距離があるとただの闇にしか見えない。
唯一分かったことは、ここに光は差し込んでないということだ。
洞窟なら、どこかに出入り口がありそうなものだが? 周りを見回しただけでは、何も分からなかった。
僕が寝かされていた場所の横には壁があって、行き止まりのように見えた。
そもそも、僕を誰がどうやって運んできたんだ?
そんなことを考えていると、リリが僕を呼んだ。
「お兄ちゃんっ・・・」
少し不安そうなトーンで呼ぶリリの姿が見えた。リリは顔を包帯でグルグル巻きにした大きな白目に変身していた。
「ここに居るよ」
返事を返し、僕は左足を引きずりながらリリの元に向かった。
真っ白な包帯の下で、リリの小さな口が少し嬉しそうに緩んでいるのが見えた。
さて、勇者紋を奪われた僕でも、この女の子を救い出し幸せにしてあげることができるのだろうか?
この時、僕はこの異世界に来て初めて、自主的に何かを成そうと考えていたのかもしれない。




