第四章 訪問と散歩
雪の止んだその朝。
雲の間に青空がのぞく雪道を、クリスは鍋を抱えて歩いていた。
元気な子供たちが雪道を走ってくる。
最後の子供が転んだ。
クリスは鍋を下ろし、泣きそうな顔の子供を起こしてやった。泣きながら笑う子供の頭を、そっと撫でる。
子供たちと別れ、鍋を抱え直して、クリスはニルスの家へ向かった。
クリスは、扉をノックするが、返事はない。
取っ手を引くと、鍵はかかっていなかった。
「ニルス?」
中に入ると、ニルスは椅子にもたれ、眠っているように見えた。
「ニルス!」
鍋を置き、クリスは駆け寄った。
ニルスはゆっくりと目を開けた。
「やあ……おはよう」
クリスは安堵の息をついたが、すぐに声を荒げた。
「何が『やあ、おはよう』よ! またストーブの火を絶やして!」
「もう大丈夫。論文は、できたんだ」
「え……?」
ニルスは微笑んだが、すぐに顔を背けて咳をした。ハンカチにはまた赤い染み。
彼はクリスに見えないようにポケットへしまった。
「少しだけ、ベッドで休むよ」
ニルスはベッドにもぐりこむ。
クリスは、胸の奥がざわつくのを感じた。
◇ ◇ ◇
その頃、ベルントは雪道を早足で歩いていた。昨夜のニルスの様子が脳裏に焼きついていた。
「ダメだ、ニルス。やっぱり……せめてクリスには知らせるべきだ」
彼はクリスの家の扉を叩いた。
「彼の所に出かけたねえ」
インゲが答える。
ベルントは礼を言い、すぐに踵を返した。
◇ ◇ ◇
ニルスの家では、クリスが備えの少ない材料をかき集め、レフセを作っていた。シチューも温め直している。
ニルスはその匂いに目を覚まし、ベッドから起き上がった。
「クリス、ありがとう」
「あら……もうお目覚め?」
ニルスは伸びをした。
「ああ、なんか今日は身体の具合がいいんだ。クリス、散歩しないか」
「ええ。行きましょう」
その声は、久しぶりに明るかった。
「でも、これを食べてからよ」
クリスは、シチューをよそい、レフセを皿に並べた。久しぶりの二人きりの食事に、彼女は、嬉しさを隠せなかった。
◇ ◇ ◇
朝食と昼食が一緒になった楽しい食事のあと、二人は手を取り、雪の積もる中央公園へ向かった。
ニルスは、昨日までの静かな声が嘘のように活き活きと話した。
「今回の論文は、楕円に関することだったんだ」
「楕円って、いびつな丸のことよね」
「そう、二つの焦点をもつ変形の円」
クリスはふと笑った。
「……私みたいね。若い時から男性が寄ってくれなくて、それは、私が美しくなかったから……」
ニルスは、そっと彼女の肩を抱いた。
「クリス……君は、楕円を誤解しているよ」
「え?」
「楕円は円に比べると、たしかに整ってはいないし、複雑だ。でも……だから優しい。君みたいに」
「私みたいに……?」
「そうさ。楕円は、色々なものに寄り添うことができる図形なんだ……君のようだと思わないか?」
クリスは頬を赤らめた。
「ふふ……あなたは本当に、数学でしか愛を語れないのね」
ニルスは目を見開き、照れたように目をそらした。
「……ごめん」
「謝らなくていいのよ。あなたにしか言えない言葉だもの……私は、そこに惹かれたんだから」
その瞬間だった。
ニルスの身体が、ふっと力を失った。
「ニルス!?」
雪の上に崩れ落ちる彼を、クリスは必死に抱きとめた。
クリスは、ニルスのコートのポケットからハンカチを取り出し、開いた瞬間、息を呑んだ。
ハンカチは真っ赤に染まっていた。




