第三章 手紙と予感
クリスが家に戻ると、暖かく美味しそうな匂いが迎えてくれた。台所では、母のインゲが夕食のシチューを煮込んでいた。
「どうだった? 彼は」
インゲの問いに、クリスは目を伏せた。
「夢中だったわ、論文に」
「そう。身体を壊しちゃいけないね」
インゲは淡々と言ったが、その声にはどこか影があった。
「母さん。明日、そのシチュー、彼のところに持って行っていい?」
「もちろんだよ。あの子は食べなきゃ……」
そのとき、玄関の扉が激しく叩かれた。
「インゲさん! 速達です!」
郵便局員の声。
インゲは手を拭きながら玄関へ向かい、雪の吹き込む扉を開けて封書を受け取った。
開封して手紙に目を走らせたまま、インゲの表情が曇った。そのまま、しばらく玄関に立ち尽くした。
「どうしたの? 体が冷えるわ」
クリスが玄関に歩いて来て、上着を母の肩にかける。インゲは目を伏せ、手紙を封筒に戻した。
「友達が亡くなったの。やっぱり……」
インゲは、ゆっくりと振り向き、静かに廊下を歩いて台所へと戻った。
「やっぱりって?」
母を追って台所に戻ったクリスが皿を渡しながら問う。インゲはシチューを皿にすくいながら淡々と話した。
「結核はね、亡くなる前にほんの一時だけ元気になることがあるんだよ」
インゲは目を伏せたまま続けた。
「先週『元気に快復しました』って手紙が来て……もしやって思っていたの」
クリスは皿を食卓に運んだ。
「今日の片づけ、私がするわね」
「頼むわ」
インゲは深く息をつき、静かに椅子に腰を下ろした。
その言葉は、クリスの胸に小さな不安の種を落とした。
◇ ◇ ◇
翌日の早暁。
ニルスの家では、薄い光が窓から差し込んでいた。
ニルスは机に向かい、二通の封書をとじていた。
一つはアカデミーへ送る論文。
もう一つは、宛先のよく見えない、誰かへの手紙だった。
「終わった……」
その言葉は、達成の喜びというより、安堵に近かった。
彼は椅子にもたれ、静かに目を閉じた。




