第二章 涙と怒り
クリスが外に出ると、雪はさらに激しくなっていた。
歩きながら、こらえきれなかった涙がこぼれていた。
「私は……邪魔なの……?」
そのとき、前方から大股で歩いてくる影があった。
ベルント・ホルンボエ。
ニルスの親友であり、先輩であり、師でもある。三十代前半の彼は、クリスにとっても頼れる存在だった。
「クリス?」
ベルントは彼女の涙に気づき、眉をひそめた。
「どうしたんだ。何があった」
クリスは首を振り、短い言葉だけをベルントに告げた。
ベルントは、彼女の肩にそっと手を置き、ニルスの家の方へと視線を向けた。その目には、怒りと心配が入り混じっていた。
◇ ◇ ◇
ニルスの家の扉が勢いよく開いた。
「クリスが泣いていた。お前、何をした」
ベルントの声は低く抑えられていたが、家に中に強く響いた。
「……何も」
ニルスの返事に、ベルントが声を荒げた。
「何も、だと? それで、あんな顔になるか!」
ニルスは咳き込み、ハンカチで口を押さえた。その布に滲む赤を見て、ベルントは息を詰まらせた。
「ニルス……お前……」
「僕はもう長くない。だが、この論文が完成すれば……僕が生きた証になる」
ベルントは言葉を失った。
ニルスの声は、あまりにも静かで、あまりにも確かな芯が通っていた。
「だからって、どうして彼女を突き放すんだ」
ベルントの問いに、ニルスが答えた。
「突き放しているんじゃない。僕は……」
また咳がこみ上げ、ハンカチを口に当てる。
「僕は、自分がつまらない男じゃなかった証を、どうしても残したいんだ」
そして、絞り出すように声を出した。
「頼む。まだ、クリスには言わないでくれ」
ベルントは、拳を握りしめた。それは怒りではなく、友を救えない自分への悔しさだった。
「お前は……どうしてそう、不器用なんだ」
友の運命を前にした無力さに、彼は小さく独り言をもらしていた。




