帰宅
ここは、移動中の車内、前席には木之本夫妻が座り、後席にはわたしとミカさんが並んで箱座りしています。
先程から夫妻の会話が賑やか過ぎるほどに盛り上がっています。
まぁ、話しの大半は、わたしのお作法がSNSでバカ受けし、動画サイトでも順調に『いいね』を稼ぎまくっているという、極々平凡?なものでしょう。
寄せられるコメントも増加の一途を辿り、おしゃべりも自然と熱を帯びているように見えます。
ミカさんは車の揺れに慣れていないようですね、少々不調のようにみえます。
そっと体を寄せると、彼女はわたしにもたれかかってきました。
幸い、道程は平坦そのもので、カーブなども至って緩やかなモノでした。
午前中に草原を出発し、今は窓から差し込む夕陽に目を開けるのが少々辛いところです。
その夕陽も、遠くの山々に顔を隠す頃、ようやく自宅に到着しました。
久々に見る我が家は…草木に包まれて『魔境』になっていました。
足元を覆うのは群生したタイムの団体さま。
門柱として植え付けたチェリーセージとローズマリーは、門柱どころか、後ろに控える玄関をも覆い隠しています。
庭木として植えられたオリーブや月桂樹は隣家にかかる部分は、ちゃっかり伐採されていましたが、それ以外は伸び放題のやりたい放題です。
庭の大半を占めるラベンダーさんも『我が世の春を謳歌しております!』と言わんばかりに、どっしりとのさばっています。
取り敢えず家の外周一面を確認した限りでは、窓や勝手口を壊された形跡はありません。
空き巣の心配はまず無さそうなのですが、外周を回るうちに露呈するのは、我が家の庭が荒れ放題で捨て置かれていたという事実です。
全員からの冷たい視線をたっぷりと満喫した後、玄関に向かいキーロックを開錠するわたし。
キー操作の状態を見るに、何人かが解錠を試みた形跡が有りました。
…が、尽く失敗したであろうことは、容易に想像できました。
カチャンという、軽やかな音を立て、キーロックは開場されます。
ガラス製の観音扉を開くと…湿気が溜まった嫌な臭いが漏れてきます。
「わんっ!わんっ!」
ミカさんが玄関に向かって幾度か吠えると、幾分臭いは改善した気がします。
ふと玄関から門柱の方に視線を向けると、ボロ布を纏った白髪の老人が慌てて出ていくさまが見えてきます。
「ママ、あれって?」
「疫病神さんよ!
ここって、だいぶん放置していたんでしょ?
居座っていたものだから、ご退場頂いたのよ。」
サラリと、とんでもない事を答えてくれるミカさん。
彼女は『アヤカシ退治犬』なのかもしれません…may be。
わたしたちが玄関口で話しているなか、木之本夫妻も玄関をくぐり、家探しを始めました。
「変わったリビングね…。
なんだか喫茶店みたいなんだけど…。」
カスミさんがわたしの方に振り返り、スマホを差し出してきました。
キッチンとリビングの間に設置されたカウンターに座り直し、わたしはスマホを操作します。
『わたしは知らないが、母がここで喫茶店を営んでいたらしい。』
「なるほどね…。」
タケシも相づちをうちながら、台所周りや食器棚を眺めています。
「それにしては…台所は綺麗なのね。
あまりにも綺麗すぎて、生活感が感じられないんだけど…。」
カスミさんはキッチンを覗きながらわたしに話しかけてきます。
『そうですね。
わたしは、自宅でご飯は食べていませんでしたから。』
不思議そうな顔をする夫婦に、隣に座っていたミカさんまで、わたしの顔をのぞき込んできます。
父は忙しい人で、早朝出勤に帰宅は午前様という状態、母も居なければ、必然的に『ご飯は一人で食べる』生活になります。
社会人になると、同僚とともに食事兼飲み会に出かける機会がどっと増えました。
接待でお客様と『食事を伴にする』という日々が続くこともあり、気づけば『自宅でご飯を食べる』事が無くなってしまったのです。
そういった事を、とつとつとスマホで語っていたわたしに対して、何故か皆さん涙目状態で、語り終わった途端に、みんなに抱きしめられオオゴトになってしまいました。
さて、二階へ上がり、わたしの寝室を覗き込んだ全員が一様に驚愕の顔になり、わたしの方にドギツイ眼差しを向けてきます。
わたしの寝室はシンプルなものです、畳の敷き詰められた六畳の部屋に衣装棚と押し入れが一つずつあるだけです。
そして、全員を驚愕させたのは、部屋の中央に敷かれたわたしの布団でした。
そう、わたしの万年床は、キノコとカビが蔓延る真万年床になっていたのです。
木之本夫妻からの突き刺さるような冷たい視線と、ミカお母様からのお叱り+噛みつきが骨身に染みました。
さて、衣装棚から通帳も無事見つかりましたところで、とりあえずネグラの準備に取り掛かる木之本夫婦。
早々に撤去される『真万年床』。
そして、わたしの寝室はわたしとミカさんの寝所に変わりました。
次に木之本夫妻の寝所ですが、こちらはわたしの部屋の隣りにあった父の書斎が充てがわれることとなりました。
幸いな事に、父の書斎にはキングサイズのベッドがありましたので、父の書斎は光の速さで夫婦の寝所へと変化したのです。
いよいよ、わたしたちの生活が変化する瞬間を迎えましたが、本日は日も暮れてしまいました。
早々にご飯を食べて、さっさと寝てしまいたいものです。




