7話 厄介者
水島は薄く笑った。
「今さら気づいたのか」
その笑い方が、少しだけ気に食わなかった。
だが同時に、やっと面白くなってきやがったとも思った。
売れる話には、たいてい傷がいる。
売れる人間にも、たいてい業がある。
だったら――
使えるだけ使う。
それだけだ。
「元アシ、って何だ」
俺が訊くと、水島はすぐには答えなかった。
代わりに、机の上の権利確認のメッセージを指で弾く。
「先にこっち」
「逃げるな」
「逃げてない」
「順番を決めてるだけだ」
感じの悪い言い方だったが、理屈は通っている。
今は昼までの火急が先だ。
過去の恨みだの何だのは、こっちから首を突っ込まなきゃ後でも聞ける。
「早乙女」
「あ、はい」
「問題ページの差し替え候補、全部出せ」
「背景だけじゃなく、小物も」
「あと元画像に少しでも寄せたところは全部洗え」
「全部ですか」
「全部だ」
早乙女は渋い顔をしたが、すぐに液タブへ向き直った。
昨夜までの、ネームができて浮かれていた顔は消えている。
作家ってやつは、自分の作品にメスが入ると急に現実へ戻るらしい。
水島は返答文を打ち込みながら、俺に顎をしゃくった。
「真壁」
「あ?」
「販売ページの比較表、見たい」
「同ジャンルで上にいるやつを十本くらい」
「比較表?」
「売れてるページには共通点がある」
「表紙の色、タイトルの長さ、煽り文、タグ、サンプルの切り方」
「感覚だけでやってると死ぬ」
俺は少しだけ口元を歪めた。
「感覚だけで生きてる奴がよく言う」
「俺は感覚を言語化する側だ」
それは少しだけ、格好いい言い方だった。
腹立たしいが。
早乙女が画面を見たまま言う。
「真壁さん、販売ページは私のアカウントで見れます」
「ただ、ランキング上位って正直、あんまり読みたくないんですよね」
「何でだ」
「嫉妬するからです」
「健全だな」
「不健全ですよぉ!」
俺は早乙女の後ろへ回り込み、画面を覗き込んだ。
一覧に並ぶ表紙は、どれも分かりやすく強い。
色気、危うさ、関係性。
一発で何を売ってるか伝わる。
対して早乙女の前作は、悪く言えば文学気取りだった。
絵そのものは悪くない。
だが売り場で殴ってくる力が弱い。
「……なるほどな」
「分かる?」
水島がこっちを見ずに言う。
「こいつら、最初の一秒で“何の快楽か”を伝えてやがる」
水島が初めて、少しだけ満足そうに頷いた。
「そうだ」
「読者はまず、自分が何を買うかより、何を感じるかで止まる」
「感じる、か」
「色気、支配、逆転、痛み、救済、執着」
「言葉は何でもいい」
「でも入口で“これは自分向けだ”と思わせないと、スクロールで死ぬ」
早乙女が小さく舌打ちした。
「嫌な話ですねぇ」
「商売の話だからな」
「でも、そういう嫌な話、真壁さん好きそう」
「好きじゃねぇ」
「分かるだけだ」
その返しに、早乙女と水島が同時にこっちを見た。
妙に息が合っていて気持ち悪い。
「何だ」
「いえ別に」
「いや別に」
「気持ち悪ぃな」
作業はそれから一気に進んだ。
早乙女が危ないページを洗い出す。
水島が返答文を整える。
俺が売れてる同ジャンルのページを片っ端から比較する。
三人とも、やってることは違う。
だが妙に噛み合っていた。
それが少しだけ不気味だった。
まだ出会って一日も経っていない。
死にかけの元編集と、借金まみれのBL作家と、弱小組のヤクザ。
まともに考えりゃ、同じ机を囲んでること自体が狂ってる。
それでも、机の上ではちゃんと物事が進む。
「送るぞ」
水島が言った。
返答文の最終版が画面に出る。
必要以上にへりくだらない。
だが喧嘩も売っていない。
問題箇所の自主修正と差し替えを約束し、確認への感謝まで入っている。
「これでいいのか」
俺が訊くと、水島は短く答える。
「これ以上は譲らない」
「これ以下だと燃える」
「中途半端だな」
「中途半端が一番生き残るんだよ」
早乙女が送信ボタンの前で固まっていた。
「怖い」
「送れ」
「怖いって言ってるじゃないですか」
「送らない方がもっと怖ぇだろ」
「ううっ……」
数秒迷ったあと、早乙女は目をつぶって送信した。
「いっ……た……」
「そんな死刑執行みてぇに押すな」
「だって怖いんですもん!」
「もう送ったんだから切り替えろ」
水島が新作ネームを指で叩く。
「次」
「こっちの一話、組み直す」
そこからの水島は、本当に別人だった。
「ここはコマを減らす」
「この台詞は説明が重い」
「兄貴分の手、もっと寄れ」
「若い衆の舐めた感じを一コマで見せろ」
「主人公の視線を最初の三ページで二回上げるな、読者が疲れる」
「ここで一回だけ笑わせろ。ずっと湿ってると入口で読むのがしんどい」
早乙女が時々食ってかかる。
「でもそれだと情緒が」
「死なない」
「むしろ情緒が立つ」
「ここ、私は好きなんですけど」
「作者が好きなだけのコマは、だいたい削っていい」
「暴論!」
「売れる暴論だよ」
俺はそのやり取りを見ながら、妙な既視感を覚えていた。
これ、あれだ。
組で段取りを詰める時の空気に近い。
誰が前に出る。
どこで引く。
何を見せ、何を隠す。
相手がどう動くか先に読む。
暴力じゃないだけで、やってることの芯は戦だ。
「真壁」
「あ?」
「この兄貴分の台詞」
水島が一コマを指差した。
『てめぇは真面目すぎる。極道には向いてねぇ』
「これ、お前の実感か」
俺は数秒、答えなかった。
「……かもな」
「じゃあ活かせ」
「この一言をもっと効かせる」
「あとで回収できるように、主人公の芯にする」
早乙女がこちらを見る。
嫌な視線だった。
作家の目だ。
人の傷を見つけると、すぐそこへ針を刺したがる。
「真壁さんって、やっぱり“普通の人生”に未練あるんですか」
「あるわけねぇだろ」
即答した。
だが、水島は鼻で笑った。
「ある顔だよ」
「てめぇ」
「怒るな」
「真壁、お前のネタが生々しいのはそこだ」
「極道に染まり切れない男が、極道の中で恩に殉じようとする」
「そのねじれが面白い」
面白い、か。
人の人生をそんな言葉で片づけられると、腹が立つ。
だが同時に、それを“面白い”と切り出せる奴だから、この世界で食えていたのだろうとも思う。
昼前、返答が来た。
早乙女のスマホが震え、部屋の空気が張る。
「きた……」
「開けろ」
「怖い」
「三回目だぞそれ」
早乙女が文面を開く。
数秒後、その肩がゆるんだ。
「……大丈夫、っぽいです」
「何て来た」
「ご対応ありがとうございます、差し替え確認後に販売再開可能、って」
「今の時点では停止までは行かないみたいです」
早乙女がその場でへなへなと机に突っ伏した。
「ああああああよかったぁああ……」
俺は息を吐いた。
正直、少しだけ肩の力が抜けた。
水島は当然のように言う。
「想定通りだ」
「次」
「今の解放感を返してくださいよ!」
「返す価値がない」
「ひどい!」
「昼までに一話冒頭の直し」
「真壁は販売ページの参考をさらに二十本」
「俺はタイトル案を詰める」
「二十本!?」
「売るならそれくらい見る」
「死ぬ」
「死ぬ死ぬ詐欺はそこに転がってる奴だけで足りる」
「聞こえてるぞ」
部屋の空気がまた少し動く。
最悪だ。
面倒だ。
面倒の塊みてぇな奴らしかいない。
だが――机の上の紙は増え、ネームは直り、返答は通り、タイトル案は洗練されていく。
進んでいる。
ちゃんと、前へ。
その実感だけが妙に生々しかった。
昼過ぎ、ようやく一息ついた頃だった。
早乙女が修正した一話冒頭を見ながら、水島がぽつりと言う。
「これ、売れるかもしれないな」
その一言で、部屋が止まる。
早乙女が顔を上げる。
俺も紙から目を離す。
「……本当か」
俺が訊くと、水島は肩をすくめた。
「絶対とは言わない」
「でも、売れない原稿にある“自己満足の鈍さ”が減った」
「その代わり、ちゃんと人に届く入口ができた」
早乙女の顔が、少しだけ赤くなる。
怒ってるのか、嬉しいのか分からない顔だ。
「じゃあ……」
「ただし」
水島がその言葉を切る。
「これをどこで、どう出すかはまだ別問題だ」
「今のままだと売り場に埋もれる」
「誰か一人、最初に火をつける人間が要る」
「火?」
「初動だよ」
「レビューでも、SNSでも、固定客でも何でもいい」
「最初の熱源がないと、良い作品でも静かに死ぬ」
その言葉に、俺の頭の中で一つの顔が浮かんだ。
山口でも、組でもない。
もっと別の。
夜の店で、噂を撒くのが上手い連中。
金と欲望の匂いに敏い連中。
俺はゆっくりと口を開いた。
「……初動なら、作れるかもしれねぇ」
早乙女と水島が同時に俺を見る。
「どこでです?」
「人を集めるやり方なら、少しは知ってる」
水島の目が細くなった。
「嫌な予感しかしないな」
「安心しろ」
俺は笑った。
「オレもだ」
だが、次の一手は見え始めていた。
作品はできつつある。
編集もいる。
作家もいる。
売る形も見えてきた。
なら次に要るのは――
最初の客だ。
そして、人を最初に動かすやり方なら、俺は嫌というほど知っていた。
読んでいただいてありがとうございます!
作品は初動が大事。
この作品は10万字前後で終えるかとは思いますが皆さんの声でクオリティが変ってくるかと思います。
読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。
リアクション、レビュー、感想、ブックマークよろしくお願いします!




