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6話 傷

水島は初めて、ほんの少しだけ嫌な笑みを浮かべた。


「世の中全部とだよ」


その言い方が気に食わなかった。


だが、机の上の紙を揃える指先は震えていない。

さっきまで床に転がっていた男とは思えねぇ落ち着きだった。


俺は携帯をポケットに戻した。


「山口がもう少し掘る」

「お前を探してる連中が何者か、分かるまで外は不用意に出るな」


「監禁宣言?」


「保護だ」


「ヤクザの言う保護ほど信用ならない言葉もないな」


「だったら逃げるか?」


「逃げる体力があればな」


水島は肩をすくめ、それから早乙女の机を指でとんとん叩いた。


「そんなことより、今はこっちだ」

「昼までに権利確認へ返答。午後までに新作の叩き直し。できれば今夜中に販売ページの仮組み」

「時間がない」


早乙女が目を丸くする。


「そんなに一気に!?」


「一気にやるんだよ」

「締切ってのは、たいてい向こうから優しく待ってくれない」


「うっ……」


「まず、前作」

「問題箇所、全部洗う。資料元が曖昧な背景、トレス気味の構図、似すぎてる小物」

「該当ページ出して」


早乙女が渋々フォルダを開く。

液タブの画面に、例のBL作品が並んだ。


男同士が煙草の煙越しに見つめ合い、

薄暗いバーで肩を寄せ、

線路沿いの夜道で無言のまま立っている。


テーマはやっぱり分かりやすい。

人生にくたびれた男たちが、他人に見せられない顔で寄りかかっている。

妙に胸の奥に残る画だった。


だが水島は情緒なんざ見ちゃいねぇ。

次々とページを送らせて、問題箇所を機械みてぇに炙り出していく。


「これ、駅のホーム写真そのまま寄せすぎ」

「これは雑誌のグラビア参考にしてるだろ。影の落ち方が不自然」

「この背景、ネットの無料素材でも加工が甘い」

「ここ、看板のロゴが微妙に生きてる。アウト寄り」


早乙女の顔色がどんどん悪くなった。


「そんなに……?」


「思ったより多いな」


「うそぉ……」


「うそじゃない」

「でも逆に言えば、直せばまだ助かる」


水島はすぐに返答文の下書きを作り始めた。


丁寧で、低姿勢で、でも必要以上にこちらの非を広げない文章。

自主的に修正する意思を見せつつ、故意性は匂わせない。

逃げ道を作りながら頭を下げる文面だった。


俺は横から見ていて、少し感心した。


「頭下げながら、首は出してねぇな」


水島がペンを止めずに答える。


「当たり前だ」

「謝罪文ってのは、謝るためだけに書くんじゃない」

「次を続けるために書くんだよ」


その言葉は、どこか妙に俺の仕事にも近かった。


若い衆が揉め事を起こした時。

取引先が機嫌を損ねた時。

下手に詫びすぎると、そこからどこまでも削られる。

だが頭を下げないと、次がない。


表と裏で作法は違うが、芯は似てやがる。


「で、新作だ」


水島が前作のファイルを閉じた。

空気が少しだけ変わる。


早乙女も背筋を伸ばした。

さっきまでの青ざめた顔じゃない。

こっちは自分の“これから”だからだろう。


水島は昨夜のネームを開き、一ページ目で止めた。


「重い」


「またそれですか」


「重いのは悪くない」

「でも最初の重さには、読者が“ついていく理由”が要る」


「理由って」


「気持ちよさだよ」


早乙女がむっとする。


「この話に気持ちよさなんて要ります?」


「要る」

「少なくとも入口には」


俺も口を挟んだ。


「具体的には何だ」


水島はネームを二枚並べた。

現行の一ページ目と、真っ白な新規ページ。


「今の一ページ目は、病院から始まる」

「悪くない。でも静かすぎる」

「だから、病院のあとに“落ちぶれた現実”を一発入れる」


「若い衆に舐められる場面か」


俺が言うと、水島は頷いた。


「そう」

「昔は名のあった男が、今はコンビニの前で若い半グレみたいなのに笑われる」

「でも、その場では何もできない」

「読者はそこで“こいつ、今こんな位置にいるのか”を理解する」


早乙女の目が少しずつ光ってくる。


「で、その直後に兄貴分の病室に戻る……?」

「外では何も言えなかったのに、病室では静かに手を握る」


「そう」

「そこではじめて感情が入る」

「外の屈辱と、中の恩義を並べる」


「……いい」


早乙女が小さく呟いた。


俺も、少しだけ腹が立った。

いいと思ったからだ。

こいつ、俺の頭の中の散らばったものを、勝手に並べ替えて見せてきやがる。


「タイトルも変える」


水島が言う。


「仮題は全部弱い」

「渋すぎるか、長すぎるかのどっちかだ」


「じゃあ何にするんですか」


早乙女が身を乗り出す。


水島は少し考え、紙にいくつか書きつけた。


寝たきりの兄貴に恩を返すまで、俺は極道をやめられない

落ちぶれヤクザ、寝たきりの兄貴のために金を作る

兄貴分の手術代を稼ぐため、四十歳ヤクザが人生を売る話


「うわ、俗」


早乙女が顔をしかめる。


「俗でいいんだよ」

「売り場で拾われるには、まず分かることが大事だ」


「でもダサい」


「ダサいのと弱いのは違う」

「強くてダサい方が、弱くて綺麗より売れることも多い」


俺はその紙を見下ろした。


たしかにダサい。

だが、何の話かは一発で分かる。


寝たきりの兄貴。

金が必要な中年ヤクザ。

恩義。

落ちぶれ。


綺麗じゃねぇ。

だが、それでいい気がした。


俺たちの人生なんざ、そもそも綺麗じゃねぇ。


「紹介文もいるな」


水島は次の紙にざっと書く。


暴対法で落ちぶれた四十歳のヤクザが、寝たきりの兄貴分の手術代を稼ぐため、人生そのものを漫画のネタにして売る。

これは、終わりかけた男が終わりかけた男に恩を返そうともがく話。


早乙女が、じっとその文を見る。


「……悔しいけど、読まれそう」


「だろ」


「悔しい」


「作家は悔しがってるくらいがちょうどいい」


俺は紙を一枚手に取り、指で弾いた。


「じゃあこれで行くのか」


「まだ仮だ」

「でも方向はこれでいい」

「作品の本質は殺さず、入口だけ整える」


そこで早乙女が、少しだけ真面目な顔になった。


「ねえ」


「あ?」


「これって結局、読者を騙してることにならないですか」


水島が目を細める。


「何が」


「もっとディープで、もっと湿っぽくて、もっとどうしようもない話なのに」

「入口を分かりやすくしたら、違うものを期待して来る人もいるじゃないですか」


水島は少し考えたあと、淡々と言った。


「それでも入ってくる人に、中身を見せるんだよ」

「入口が扉で、中身が部屋だ」

「扉だけ立派で中が空っぽなら詐欺だけど、中にちゃんとお前の描きたいものがあるなら、それは設計だ」


早乙女は黙る。


その横顔を見ながら、俺は妙なことを思った。


こいつら、似てるのかもしれねぇ。

どっちも“本物”にこだわるくせに、見せ方の必要性を分かっていないか、分かりすぎているかの違いしかない。


俺は机を指で二度叩いた。


「いい。新作はその方針で直す」

「前作の返答はお前が作る」

「で、販売ページも今日組む」


水島が俺を見た。


「お前、決断だけは早いな」


「決めるのが仕事だ」


「じゃあ言っとくが」

「決めたら次は、作業量で死ぬぞ」


「慣れてる」


「俺は慣れてない」


「昨日まで死んでたからな」


「うるさい」


少しだけ、部屋の空気が緩む。


その瞬間、また俺の携帯が震えた。


今度は山口じゃない。

見慣れない番号だった。


俺は眉をひそめて通話に出る。


「誰だ」


数秒、無言。

それから、若い男の声がした。


『……真壁さん?』


知らねぇ声だ。


『水島誠の件で、話したいことがある』


部屋の空気が一気に冷える。


俺は水島を見る。

水島の顔色が変わった。

こいつも心当たりがあるらしい。


『あんた、今あの人と一緒にいるだろ』


俺の目が細くなる。


「てめぇ、誰だ」


相手は一瞬黙り、それから低く笑った。


『元アシだよ』

『あの人に人生ぶっ壊された側のな』


通話が切れる。


沈黙。


扇風機の音だけが、ぶぉんぶぉんと安っぽく回っている。


早乙女が恐る恐る口を開いた。


「……何ですか、それ」


水島は机の上に落ちた視線を上げなかった。


「言っただろ」


声が少しだけ乾いている。


「多すぎて、絞れないって」


そう言った水島の顔は、昨夜よりもずっと厄介な人間の顔をしていた。


俺はゆっくり携帯を置いた。


「なるほどな」


「何がです?」


早乙女が訊く。


「こいつ、ただの死にかけ元編集じゃねぇ」


俺は水島を見下ろした。


「思ったより、ずっと面倒くせぇ」


水島は薄く笑った。


「今さら気づいたのか」


その笑い方が、少しだけ気に食わなかった。


だが同時に、やっと面白くなってきやがったとも思った。


売れる話には、たいてい傷がいる。

売れる人間にも、たいてい業がある。


だったら――

使えるだけ使う。


それだけだ。

読んでいただいてありがとうございます!


水島は傷がある人物ではありますが真壁はむしろ人生に傷がある人物を好んでいます。

現代社会では能力があっても問題がありそうな人物は切り離されます。

それをすくいあげている真壁の運命やいかに


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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