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30話 本家



本家へ向かう車の中は、妙に静かだった。


運転席に座る俺の横で、組長は窓の外を見ている。

病み上がりの身体だ。

本来なら、こんな夜に動かしていい状態じゃない。


だが本人は、そんなこと一切気にしていない顔だった。


「……本当に行くんですか」


俺が訊くと、組長は前を見たまま言った。


「何度も言わせるな」


「いや、そうじゃなくて」

「本家ですよ」

「しかもいきなり乗り込んで、トップに会わせろなんて――」


「通る」


それだけだった。


妙な確信のある言い方だった。


だが俺には、さすがに無茶苦茶に思えた。

本家のトップだぞ。

三次団体の組長が、病み上がりで急に来て「会長に会わせろ」で通る話じゃない。


……普通なら。


本家の門をくぐる。

夜の空気は冷たく、建物の明かりだけがやけに白かった。


中へ通されると、見慣れない顔の若い衆がすぐに寄ってくる。


「どちら様で――」


「間下だ」


組長が短く言う。


それだけで、相手の顔色が少し変わる。


「……少々お待ちください」


若い衆はすぐに奥へ引っ込んだ。


俺は組長の横顔を見た。


「本当に通るんですか」


「黙って見てろ」


数分もしなかった。


戻ってきた若い衆が、頭を下げる。


「会長がお会いになるそうです」


思わずそっちを見た。


あっさり、通った。


組長は何でもないみたいに顎をしゃくった。


「行くぞ」


廊下を進む。

静かな建物だった。

音を立てるのが悪いみたいな空気だ。


通された部屋の一つに、その人はいた。


元道会長。


威厳はある。

若々しさすら残っている。

だが、よく見ればもう八十が近いのが分かる顔だった。


皺が深い。

多くの人間を見て、多くの修羅場を潜ってきた顔だ。


その顔を、くしゃりと歪ませて笑った。


「おお、兄弟」


会長が言う。


「生きてやがったか」


その一言で、俺は少しだけ目を見開いた。


組長が、静かに頭を下げる。


「へぇ」

「こいつが金を持ってきてくれたおかげで、くたばりぞこないました」


そう言って、組長が俺を指した。


会長はこっちを見て、それからまた組長を見た。


そのやり取りだけで分かった。


この二人、ただの本家と三次団体の関係じゃない。


俺の顔に出たのか、会長が少し笑った。


「不思議そうな面してるな」


「……少し」


正直に言うと、会長は頷いた。


「昔な」

「兄弟は、俺のボディーガードをしてた」


思わず組長を見る。


組長は何も言わない。


「何度も命を救われてる」

「命の恩人なんだよ」


会長の声は軽い。

だが、その中身は軽くなかった。


「本当は手術代も出してやりたかったんだがな」

「何かと邪魔が入ってよ」

「すまんかった」


その謝罪に、組長が小さく首を振る。


「気にしてませんよ」


「嘘つけ」


会長が笑う。


そのやり取りを聞きながら、俺は改めて組長を見た。


すごい人だったんだな、と今さら思う。


もちろん、昔からただ者じゃないとは分かっていた。

だが、こうして本家の会長が昔話みたいに言うと、重みが違った。


会長が、今度は俺の方を見た。


「そんで?」

「兄弟の話は、そこの真壁のことかい?」


その目は、年寄りのそれじゃなかった。

ちゃんと人を見る目だった。


「話してみな」


流石は会長だった。


現状は、ある程度把握しているらしい。

だが、全部じゃない。

だから直接聞くのだろう。


俺は息を吸って、包み隠さず話した。


狐塚のこと。

黒曜会のこと。

同人サークルを作っていたこと。

早乙女と久瀬が攫われたこと。

廃校でのこと。

俺が狐塚を殴ったこと。


全部だ。


会長は途中、一度も遮らなかった。

ただ黙って聞いていた。


話し終えると、しばらく部屋が静かになった。


やがて会長が、短く言った。


「わかった」


それから、目を細める。


「俺が聞いてた話と、随分違うな」


俺も組長も顔を上げる。


会長は続けた。


「真壁が狐塚の仕事の邪魔をした」

「狐塚は忠告のために真壁の仲間を攫った」

「そこへ真壁が奇襲をかけた」

「そう聞いてた」


あながち、完全な嘘じゃない。


だが、明らかに印象操作されていた。


狐塚らしい、と腹の奥で舌打ちする。


組長が、深く頭を下げた。


「この件、どうにか収めてもらえんでしょうか」


俺もすぐに頭を下げる。


「お願いします」


しばらく間があった。


その沈黙が嫌だった。

こういう時の沈黙は、妙に長く感じる。


やがて、会長が鼻で笑った。


「当たり前だ」


思わず顔を上げる。


会長は呆れたみたいに言った。


「詳しく聞けば、ガキの喧嘩じゃねぇか」


その一言で、少しだけ肩の力が抜ける。


「それに」

「兄弟に頭を下げられたんじゃ、断れねぇよ」


会長が組長を見る。


組長も、そこでようやく小さく息を吐いた。


俺も、心の底からほっとした。


これで、すべてが丸く収まるわけじゃない。

だが少なくとも、今この場で狐塚にすべてを持っていかれる形ではなくなった。


……そう思った時だった。


会長が、何でもない顔で言った。


「それよりな」

「真壁」


「はい」


「お前、本家にこねぇか?」


頭が真っ白になった。


言葉の意味は分かる。

だが、理解が追いつかなかった。


ついさっき、組長には「組を抜けろ」と言われたばかりだ。

それなのに今、目の前では本家の会長が、本家へ来いと言っている。


「……は?」


情けない声しか出なかった。


会長はにやりと笑う。


「まあ、金の件でお前は本家でも覚えがいい」

「優秀なのは認める」


それだけでも十分驚きなのに、会長はさらに続ける。


「それに、本家預かりになれば、俺が狐塚から守ってやれる」

「身分も用意しよう」


身分、という言葉が妙に重かった。


会長は楽しそうに笑う。


「どうだ?」

「悪い話じゃないだろう?」


悪くないどころの話じゃない。


出世だ。

保護だ。

狐塚からも守られる。

組の中での立場も、一気に変わる。


普通なら、飛びついてもおかしくない話だった。


だが、その横で組長が、また静かに頭を下げた。


「会長、すみません」


俺は息を止めた。


「真壁には、組を抜けさせるつもりです」


会長の眉がわずかに動く。


「こいつは、どうやら社会に自分の居場所を見つけたようでして」


組長の声は静かだった。

だが、まっすぐだった。


「ワシは、それを守ってやりてぇ」


会長は眉をしかめた。


「兄弟」

「アンタには聞いてねぇ」


その言い方に、部屋の空気が少し張る。


会長が、改めて俺を見る。


「どうだ真壁」

「本家にくれば、働き次第では兄弟を楽させてやれるかもしれねぇ」


その言葉は、ずるかった。


俺のため、だけじゃない。

組長のため、という形で差し出される。


断りにくいに決まってる。


「決めるのはオメェだ」


会長は静かに言った。


その声で、逃げ道がなくなった。


すぐ横には、自分のために頭を下げる組長がいる。

目の前には、出世の提案をする会長がいる。


どっちも本気だ。


そして、俺が答えを出さないことは許されない。


人生の岐路。


そんな安っぽい言い方は嫌いだった。

だが、今この瞬間だけは、本当にそうだった。


このまま本家へ行けば、立場は変わる。

狐塚からも守られる。

組長を楽にできる可能性もある。


だが、あの部屋はどうなる。

水島は。

早乙女は。

久瀬は。

俺がようやく見つけた、あのどうしようもない居場所は。


胸の奥で、いくつもの声がぶつかる。


本家か。

組長か。

創作か。

出世か。

義理か。

居場所か。


誰も何も言わない。


ただ、会長と組長だけが、俺の答えを待っていた。

読んでいただいてありがとうございます!


本編では触れていませんが会長が組長の手術代を出せなかったのは狐塚が邪魔していたからです。


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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