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29話 義理と人情

病室は静かだった。


機械の音と、点滴の落ちる小さな音だけが、妙に耳につく。

さっきまで舎弟が二人いた気配も消え、白い病室には俺とオヤジだけが残っていた。


一年ぶりだった。


倒れてから、意識のない顔しか見ていなかった。

もう二度と、こうして話すことはできないかもしれないと思ったこともある。


それが今、目の前にいる。


痩せた。

本当に、やせ細った。


昔はひと睨みで場を凍らせた男だ。

肩で風を切るなんて言葉が、そのまま服を着て歩いてるみたいな人だった。


今は点滴を打たれ、顔色もよくない。

枯れ木みたいな身体だ。


それでも、目だけは死んでいなかった。


「……で」


組長が、かすれた声で言った。


「金は、どうした」


単刀直入だった。


「はい」


俺は少しだけ背筋を伸ばした。


「お前、ここまでの大金を急に用意できるタマじゃなかっただろ」


そう言って、オヤジは薄く笑った。


「カツカツだったくせに、気づけば手術代の大半を持ってきやがる」

「不審に思わん方がおかしいわ」


俺は少しだけ黙った。


誤魔化すこともできた。

細かいことは伏せて、表の流れだとか、運がよかっただとか、そういう言い方もできた。


だが、オヤジ相手にそれは違う気がした。


「……同人サークルを作りました」


組長の眉が、ほんの少しだけ動く。


「同人?」


「漫画です」


「ほう」


それ以上は茶化さなかった。


俺は、包み隠さず話した。


早乙女と出会ったこと。

売れないBL漫画家だったこと。

電子で売れる仕組みを見て、これなら誰も殴らずに金が作れると思ったこと。


俺の経験や、知っているどうしようもない人間たちの人生を、ネタにしたこと。

早乙女がそれを食って、形にしていったこと。


水島が入ったこと。

久瀬が加わったこと。

ランキングを上がっていったこと。

黒曜会が現れたこと。


そして、狐塚の件も話した。


本家で正体に気づいたこと。

高校の頃からの因縁が、作品の形で目の前に現れたこと。

攫われた二人を助けに行ったこと。

廃校で、狐塚と殴り合ったこと。


全部だ。


さすがに、自分で喋りながら馬鹿みたいだなと思う部分もあった。


ヤクザが同人サークルを作って、

元編集やBL漫画家と組んで、

ランキングで競って、

最後は廃校で殴り合いだ。


まともな人間が聞いたら笑うだろう。


だが、オヤジは笑わなかった。


「……そうか」


ただ、それだけ言って、静かに聞いていた。


俺が喋り終えるまで、一度も遮らなかった。


病室の白い光の中で、オヤジはしばらく黙っていた。

目を閉じ、何かを噛みしめるみたいに、ゆっくり息を吐く。


やがて、静かに口を開いた。


「真壁」


「はい」


「お前、組を抜けろ」


一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……は?」


脅すような言い方じゃなかった。

怒っているわけでもない。

むしろ優しかった。


優しく諭すみたいな、そんな声だった。


「あの……俺は……」


言葉がうまく出てこない。


喉が詰まる。

何か言わなきゃと思うのに、口がしどろもどろになる。


組を抜けろ。


そんなこと、一度だってオヤジの口から聞くと思っていなかった。


「狐塚のことは関係ない」


組長が言った。


「お前、自分の居場所を見つけたんだろう?」


俺は何も言えなかった。


「だったら、もうこの死にぞこないに付き合う必要はない」


オヤジは、そこで少しだけ笑った。


「もともとワシが組を続けたのはな」

「行き場のない人間に、居場所を与えるためだ」


その声は弱っている。

だが、言葉だけはまっすぐだった。


「真壁、お前のようにな」


その一言で、視界が滲んだ。


俺は慌てて目を伏せる。

だがもう遅い。

涙が勝手に溢れてきた。


止まらない。


「そのお前が、自分で自分の居場所を作って」

「認めてくれる仲間がいるなら」

「悪いことは言わねぇ」


組長は、痩せた身体を少しだけ起こすようにして言った。


「組を抜けろ」


俺は唇を噛んだ。


「ワシは……」


組長が小さく息を吐く。


「お前が真面目で、責任感が強いことを利用し続けた」

「ずるい大人だ」


その言葉は、まるで刃物みたいだった。


違う、と言いたかった。

そんなふうに思ったことなんてない、と。


だが、言えなかった。


言えないくらいには、心当たりがあった。


俺はいつも、言われれば背負った。

義理だの、責任だのを理由に、自分で勝手に背負ってきた。

オヤジはそれを止めなかった。


止めないことで、組は回っていた。


だからこそ、否定できなかった。


「すまねぇな」


そう言って、組長は――頭を下げた。


俺は息を呑んだ。


初めてだった。


オヤジが、俺に頭を下げるなんて。


「やめてください」


思わずそう言った。


「やめてくださいよ……」


声が震える。


「オヤジ、狐塚のこともあります」

「事を起こした俺が、今ここで投げ出すわけには……」


そこまで言った時だった。


組長の目が、ぎょろりとこちらを睨んだ。


俺は思わず息を止めた。


懐かしい覇気だった。


枯れ木みたいな身体なのに、そこだけは昔のままだった。

人を威圧する何かは、まだ死んでいなかった。


「ワシを誰だと思っとるか!!」


病室に、一喝が響いた。


思わず背筋が伸びる。


「狐塚のガキの思うようにさせるかい!!」


その声に、胸の奥が熱くなる。


嬉しかった。


本当に、嬉しかった。


この人はまだ終わっていない。

まだ組長だ。

まだ俺のオヤジだ。


組長は荒く息を吐きながら、もう一度言った。


「行くぞ!」


「……どこへですか」


俺が聞くと、組長は当たり前みたいに言った。


「本家に決まっとろうが!」


思わず笑いそうになる。


こんな身体で何を言ってやがる、と。

だが、そんな言葉は飲み込んだ。


組長は続ける。


「車を回してこい!」


「いや、今この状態で……」


「うるさい!」


その一喝で、また黙るしかなくなる。


「真壁」


「はい」


「忘れとらんか」

「ワシがお前を引き込んだのはな」


組長の目が、真っ直ぐ俺を見る。


「義理と人情の世界だ!」


その一言が、病室の白い空気を切り裂いた。


「それを最後に、お前に教えてやる!」


最後。


その言葉が少し引っかかった。

だが今は、そこへ触れたくなかった。


俺は静かに頷いた。


「……はい」


それしか言えなかった。


だが、その一言で十分だった気もした。


オヤジが本気だ。

だったら、俺も行くしかない。


面倒なことになる。

きっとろくな話じゃない。


それでも、今だけは妙に胸が軽かった。


オヤジが、生きていて。

怒鳴っていて。

まだ終わっていない。


それだけで、十分だった。

読んでいただいてありがとうございます!



読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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