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28話 別れ

久瀬と早乙女を連れて廃校を離れたあと、俺たちはそのまま元のアパートには戻らなかった。


戻れるわけがない。


狐塚が一度居場所を掴んだ以上、あそこはもう終わりだ。

仕事場としても、住処としても、使い物にならない。


早乙女のアパートは引き払った。

久瀬も、表向きの仕事先にはしばらく顔を出さないことにした。

水島が前に使っていたツテを頼り、名前の出にくい短期賃貸を押さえた。

都心から少し外れた、古いが管理の甘いマンションだ。


碌でもない連中を隠すには、そういう場所の方がいい。


「……ここ、なんか怖いですね」


新しい部屋へ荷物を運び込んだあと、早乙女がそう呟いた。


「文句言うな」

「前の部屋よりはマシだ」


「それはそうですけど」

「前の部屋は怖いっていうか、私の巣だったんで……」


久瀬が横で鼻を鳴らす。


「巣って言い方、自覚あるんだ」


「ありますよ」

「でも、あそこにもう帰れないのかと思うと、ちょっとだけ寂しいんです」


「攫われた場所に執着すんな」


「そこだけ聞くと語弊がある!」


そんなやり取りを聞きながら、俺は部屋の隅に置いたバッグを見た。


中には通帳と、現金が少し。

サークルの運営資金。

名前は俺のものじゃない。

当然だ。ヤクザにまともな口座なんざ作れない。

だから、他人名義を使って回してきた。


汚ぇ金の流れだ。

だが、その中身は少なくとも、今までみたいに誰かを殴って奪ったものじゃない。


「水島」


「あ?」


俺は通帳を取り出して、水島へ投げた。


水島は反射で受け取り、表紙を見て眉をひそめる。


「何だこれ」


「当分の運営資金だ」


「……は?」


「サークルの金」

「しばらく回せる分は入れてある」


水島が通帳を開く。


そして、数秒後、露骨に目を見開いた。


「……こんなにあるのか」


「上納と手術代で抜いても、まだ残した」

「最低限の家賃と、原稿料と、売り場を回す金くらいは持つ」


久瀬も横から覗き込んで、小さく口笛を吹いた。


「やるじゃん、ヤクザ」


「伊達に金のことだけ考えて生きてねぇよ」


だが、その言葉に少しだけ棘が混じる。

自分でも分かった。


早乙女が、その棘に気づいたらしい。


「……真壁さん」


「あ?」


「行っちゃうの?」


部屋が少し静かになる。


早乙女の声は、思ったよりまっすぐだった。

誤魔化しも、冗談もない。

その分、きつい。


「ヤクザなんてやめればいいじゃん!」


突然、早乙女が叫んだ。


「向いてないんだよ! もともと!」


久瀬が目を瞬かせる。

水島も黙った。


俺は、少しだけ笑った。


「ひでぇ言い方だな」


「ひどくないよ!」


早乙女は涙目のまま続ける。


「真壁さん、たしかに怖いし、口悪いし、やること物騒だけど」

「人を脅して奪うより、漫画の売り方考えてる時の方が絶対生きてたもん!」

「向いてないんだよ、そっち」

「最初から!」


痛いところを突きやがる。


だが、それでも首は振れなかった。


「世話になったオヤジを見捨てるわけにはいかねぇからな」


静かに言う。


「悪いな」


それが、今言える精一杯だった。


本当は分かっている。

あの廃校で狐塚を殴った時点で、もう色々と終わっている可能性が高い。

高校の時みたいに、場を握られて終わるかもしれない。

今度は学校じゃない。

組だ。

立場だ。

名前だ。


それでも、逃げるわけにはいかなかった。


ドアへ向かう。


「真壁さん!」


早乙女の声が背中へ刺さる。


振り返らない。


「ほとぼりが冷めたら、また一緒に漫画作ろ?」


喉の奥が少し詰まる。


「待ってるから!」


声が震えていた。


「ずっと、待ってるから!」


俺は何も言わなかった。


ただ、手だけを上げた。


馬鹿野郎が。


これ以上関わったら、お前らにだって悪影響があるかもしれない。

世間の目はいつだって厳しい。

ヤクザと関わってるだけで、人は簡単に汚れたことになる。


俺なんかが、一時でも夢を見れたんだから充分なんだよ。


そう思って、ドアを開けた。


外へ出た瞬間、自分が泣いているのに気づいた。


泣くなんざ、いつ以来だ。

高校の時か。

いや、もっと前かもしれない。


だが止まらなかった。


狐塚の件で独断で動いた。

直参に手を出した。

恐らく無事では済まない。


それでも、あの部屋だけは守りたかった。


車に乗り込み、組の事務所へ向かう。


夜の街は妙に静かだった。


事務所へ入ると、蛍光灯の白い光がやけに冷たかった。


玄関に山口はいない。

奥も静かだ。

妙な静けさだった。


「……戻りました」


そう言って襖を開けた瞬間だった。


目の前に、相良がいた。


若頭は座っていなかった。

立っていた。


それだけで、嫌な予感しかしなかった。


「若頭――」


言い終わる前に、相良は机の上のアルミ製の灰皿を手に取った。


そして、次の瞬間にはそれが俺の頭へ叩き込まれていた。


鈍い音。


視界が揺れる。

よろめく。


だが、その直後には容赦なく蹴りが飛んでいた。


腹。

脇。

太腿。

転びきる前に、もう一発。


「馬鹿野郎!!」


相良が怒鳴る。


珍しく、本気で怒鳴っていた。


「狐塚の挑発に乗るなといっただろうが!」


蹴りが入る。


「何考えてんだ!」

「オメェはよぉ!!」


さらに蹴り。


息が詰まる。

痛ぇ。

だが、不思議と反撃する気にはならなかった。


相良は息を切らしながら、それでも何発か蹴りを入れ続けた。

やがて本当に疲れたらしく、そこでようやく止まる。


荒い呼吸。

灰皿の転がる音。


相良は大きくため息を吐いた。


床に片膝をついたまま、俺は訊いた。


「……オヤジは、どうなりました」


相良が短く答える。


「手術は成功した」


その一言で、胸の奥がほどける。


「意識も取り戻してる」


思わず顔が緩んだ。

自分でも止められなかった。


相良はその顔を見て、また小さくため息を吐いた。


「お前に会いたがってる」


「……はい」


「行け」


それだけだった。


怒鳴りも、説教も、それ以上はなかった。


俺は床へ手をつき、立ち上がる。


頭は痛ぇし、身体も重い。

だが、足取りだけは妙に軽かった。


「ありがとうございます」


そう言って頭を下げる。


相良は背を向けたまま、煙草に火をつけた。


「礼はいい」

「ただ、次はもうねぇと思え」


「……はい」


それだけ答えて、俺は事務所を出た。


病院の廊下は、相変わらず妙に清潔な匂いがした。


白い壁。

白い床。

眠れないような明るさ。


昔から、こういう場所は苦手だ。


だが今夜だけは、その白さが少しだけ救いに見えた。


病室の前へ立つ。


一年ぶりだ。


倒れてから、意識が戻らなかった。

話すことも、目を合わせることも、もうできないかもしれないと思ったこともある。


それが今、ドア一枚向こうにいる。


深く息を吸い、ノックする。


「入ります」


ドアを開ける。


病室の中には、組長がいた。


痩せた。

やせ細った体に点滴が刺さっていて、顔色も決していいわけじゃない。

それでも、目は生きていた。


ベッドの横には舎弟が二人ついている。


組長は、俺を見るなり、掠れた声で呟いた。


「……真壁か」


その声を聞いた瞬間、喉の奥が熱くなる。


「はい」


組長はゆっくり息を吐いた。


「席を外してくれ」


舎弟たちが顔を見合わせる。


「真壁と、二人で話がしたい」


「……はい」


二人が静かに頭を下げ、病室を出ていく。


ドアが閉まる。


白い病室に、俺と組長だけが残った。


一年ぶりだった。


倒れてから、話すのは初めてだった。


何を言えばいいのか、一瞬だけ分からなくなる。


だが組長の方が先に、乾いた笑みを浮かべた。


「ひでぇ面してるな」


俺は少しだけ笑った。


「そっちもです」


「馬鹿言え」

「オレは病人だ」


「じゃあ、俺は馬鹿です」


「知ってる」


その返しに、少しだけ泣きそうになった。


組長は枯れた手を、ほんの少しだけ持ち上げた。


「座れ」


「はい」


俺はベッドの横へ椅子を引き、静かに腰を下ろした。


一年ぶりだった。


それでも、組長の前では不思議と、昔に戻ったみたいな気がした。

読んでいただいてありがとうございます!


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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