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27話 悔いはない

廃校の中庭に、拳のぶつかる乾いた音が何度も響いていた。


息はもうとっくに上がっている。

頬も、脇腹も、拳も痛ぇ。

足元は砂と雑草で滑りやすく、昔よりずっと荒れていた。


それでも、狐塚は立ち上がってきた。


正直、少し意外だった。


もっとすぐに引くと思っていた。

もっと言葉で逃げると思っていた。

昔みたいに、一歩引いたところから人を使い、最後だけ綺麗な顔をして残ると思っていた。


だが違った。


狐塚は歯を食いしばり、鼻血を垂らしながら、それでもこっちへ殴りかかってくる。


拳の筋は悪くない。

場数のない喧嘩じゃない。

だが、それでも喧嘩の数では圧倒的にこっちが上だった。


殴り合ったところで、狐塚に勝てるはずがない。


そんなことは、頭のいいあいつには最初から分かっていたはずだ。


それでも来る。


男の意地、なのかもしれなかった。


「……っ」


狐塚の拳が頬をかすめる。


俺はそれを肩で受け、そのまま腹へ叩き込む。

息が詰まった狐塚が膝を折る。

だが、そのまま地面に落ちる前に、あいつはまた立て直してきた。


「しぶてぇな」


俺が言うと、狐塚は血の混じった唾を吐いた。


「あなたに言われたくない」


その顔を見て、妙なことを思った。


もっと前に、ちゃんとした喧嘩をしていたら。

高校の時、あの教室の外で、取り巻きも空気も抜きにして、こうして真正面から殴り合っていたら。


もしかしたら、もう少し違う感じ方をしていたのかもしれない。


……いや。


そんな機会自体、最初からなかったのかもしれないが。


狐塚は昔から、真正面へ来る男じゃなかった。

俺もまた、そういう相手に真正面から殴り返せる場所を持っていなかった。


だから今、こんな廃校で、何年も遅れてこの喧嘩をしている。


つくづく馬鹿みたいな話だ。


だが、嫌いじゃなかった。


拳を振るうたびに、教室の空気とか、順位とか、見て見ぬふりをした顔とか、そういうものが少しずつ抜けていく気がしたからだ。


一方その頃、柱のそばでは、久瀬と早乙女が互いの拘束をほどいていた。


猿轡を外し、手首の縄を歯と指先で何とか緩めていく。


「……アホくさ」


久瀬が最初に吐き捨てた。


「急に攫われて、何が起こるかと思えば」

「オッサン同士の殴り合いに巻き込まれただけかよ」


「いや、でも」


早乙女は目をきらきらさせたまま、中庭の真ん中を見ている。


「あれ、ただの殴り合いじゃないよ」


久瀬が縄を引っ張りながら顔をしかめる。


「は?」


「SEXだよ」


久瀬が、露骨に嫌そうな顔をした。


「お前、何言ってんの?」

「頭おかしいんじゃないの」


だが早乙女は本気だった。


「だってだって!」

「互いの情念、長年の思いが抑えきれなくなって、私たちを攫ってまでこの場を作って

体をぶつけ合ってるんだよ!?」

「構造的にはそうじゃん!」


「知らねぇよ!」


久瀬は完全にドン引きしていた。


「お前ほんと、こういう時だけ異常に生き生きするな」


「だって美味しいじゃん!」


「美味しくねぇよ」

「状況見ろ」


久瀬はふう、と息を吐いて、それからまるで居酒屋で酔っぱらいを見てるみたいな気軽さで叫んだ。


「真壁さぁーん!」


中庭の真ん中で、俺と狐塚が同時に一瞬だけそっちを見る。


「こいつもう末期だわ!」

「さっさとそいつ沈めて帰ろうぜー!」


緊張感も何もあったもんじゃない。


だが、その声に、少しだけ笑いそうになった。


狐塚も、唇の端だけで笑った。


「……相変わらず、碌でもない人間を集めますね」


「お前も似たようなもんだろ」


俺が返した瞬間、狐塚が最後の一歩みたいに踏み込んできた。


拳が頬へ入る。

視界が少し揺れる。

だが、その揺れより先に、身体が動いていた。


一発。

もう一発。

最後に、真正面から顔面へ叩き込む。


狐塚の身体が、ぐらりと崩れた。


そのまま、今度こそ立ち上がれなかった。


中庭に、荒い呼吸だけが残る。


俺もその場へどさりと座り込んだ。

足が笑っている。

腕も重い。

視界の端がじんじんする。


しばらくしてから、狐塚が仰向けのまま言った。


「……満足ですか」


俺は息を整えながら、そっちを見た。


「お前はどうだ」


狐塚は少しだけ笑った。


「ええ」

「あなたはもう終わりだ」


その言い方は、昔と同じだった。

殴られて地面へ転がっているくせに、どこかでまだ上から物を言っている。


「直参に手を出したんだからな」


俺は静かに頷いた。


「覚悟はしてるよ」


狐塚は夜空を見たまま、掠れた声で続けた。


「殴り合いで勝って、全てが丸く収まるなんて、漫画の中だけの話だ」

「社会的には負けるんだよ」

「これからは組での戦争だ」

「結局最後は、持ってる奴が勝つ」


その言葉に、俺は何も返さなかった。


言ってることは半分本当だ。


たぶん、ここから先は面倒になる。

高校みたいに、単純な勝ち負けでは終わらない。

組も、立場も、金も、全部絡む。


それでも。


俺はゆっくり立ち上がった。


痛ぇ。

だが立てる。


早乙女と久瀬の方へ足を向ける。


「どうでもいい」


俺は言った。


「大事なもんを取り返すためだったからな」


そのまま歩き出す。


だが、二歩ほど進んだところで、足が止まった。


振り返る。


狐塚はまだ地面へ転がったまま、息をしている。


「なあ」


俺が言うと、狐塚が目だけでこっちを見た。


「何です」


「なんで、俺が同人サークルやってること、組の人間にばらさなかったんだ」

「そうすりゃ、もっと簡単に潰せただろ」


狐塚は数秒、黙っていた。

それから、皮肉げに笑った。


「正面切って、自分の才覚であなたを負かしてみたかったからですよ」


その答えに、俺は小さく笑った。


「やっぱお前、嫌いだわ」


狐塚も、血のついた口元で少しだけ笑う。


その顔を見て、妙にすっきりした。


昔から、根本ではこういう奴だったのだろう。

持っている側の理屈を信じて、他人を見下して、それでも最後は自分の才覚で勝ちたがる。


最低だ。

だが、最低なりに筋だけは通っていた。


「ありがとよ」


俺は言った。


狐塚の眉が、わずかに動く。


「おかげでもう、悔いはない」


それだけ言って、俺は今度こそ背を向けた。


狐塚の顔をもう振り返りはしなかった。


久瀬は縄をほどき終えた手首をさすりながら、俺を見ている。

早乙女はなぜか少し潤んだ目で、俺と狐塚を交互に見ていた。


「……終わった?」


久瀬が訊く。


「ああ」


「ほんとに?」


「たぶんな」


「たぶんって何だよ」


そう言いながらも、久瀬の口元は少しだけ緩んでいた。


早乙女はまだきらきらした顔のままだった。


「すごかった……」


「何がだよ」


「全部」


「ざっくりしすぎだろ」


「でも、すごかったんだもん!」


久瀬が横から冷たく言う。


「お前の感想、だいぶ気持ち悪かったぞ」


「えー?」

「だって良かったじゃん、情念が」


「知らねぇよ」

「ほんと、どういう脳してんだお前」


俺は二人のやり取りを聞きながら、小さく息を吐いた。


廃校の夜は相変わらず静かだった。

だが、さっきまでとは違う静けさだった。


昔、ここには誰もいなかった。

誰も助けなかった。

誰も手を差し伸べなかった。


でも今は違う。


面倒で、碌でもなくて、傷だらけの連中が、ちゃんとここにいる。


俺はそれだけで、少しだけ救われた気がした。


「帰るぞ」


俺が言うと、早乙女がすぐ反応する。


「はい!」


久瀬は立ち上がりながら、まだ少しだけ痛む手首を振った。


「今度から攫われるなら、もう少しマシな演出にしてほしいね」


「注文多いな」


「被害者だからな」


「お前、余裕あるなぁ……」


真壁が呆れたように言う。


「お前が一番余裕あっただろ」


久瀬のその一言に、早乙女は気まずそうに目を逸らした。


「……いや、まあ」

「ちょっとだけ興奮はしました」


「末期だな」


「うるさい!」


そんな声を背中で聞きながら、俺は校門の方へ歩き出した。


殴り合いで全部が解決するなんて、たしかに漫画の中だけの話かもしれない。

この先、面倒は残る。

組のことも、立場のことも、きっと何もかもが簡単じゃない。


それでも。


大事なものは取り返した。


今は、それで十分だった。

読んでいただいてありがとうございます!


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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