26話 廃校
高校は、驚くほど静かだった。
校門は錆びつき、コンクリートのひび割れから雑草が伸びている。
夜風が吹くたび、どこかで金網がかすかに鳴った。
人の気配はある。
見えない。
だが、いる。
まあ、十中八九、罠だろう。
狐塚がわざわざここを選んだ時点で、趣味の悪さは十分すぎるほど分かっていた。
高校の頃、俺があいつをぶん殴った場所。
俺の居場所が削られた場所。
そんなところへ、早乙女と久瀬を連れてくる。
俺がここへ来る確証なんてないのに、だ。
……いや。
あいつは分かっていたんだろうな。
俺が来ると。
昇降口へ回る。
扉には鎖と南京錠。
校舎の中は真っ暗だ。
入れない、ということは――中じゃない。
屋外にいる。
だったら、中庭だ。
校舎と校舎に囲まれた、逃げ場の少ない場所。
あの頃も、誰かを追い詰めるにはちょうどいい場所だった。
俺は靴音を殺しながら、建物の影を伝って進んだ。
すぐに、見張りを見つけた。
中庭へ続く渡り廊下の手前。
煙草も吸わず、ただ突っ立っている。
素人じゃない。
だが、油断している。
こんな場所まで一人で来る奴はいないと思っている顔だった。
俺は息を殺し、背後まで詰めた。
次の瞬間、腕を首へ回し、そのまま一気に引いた。
男が短く息を呑む。
暴れようとしたが、もう遅い。
数秒もかからず、膝が折れた。
「悪く思うな」
誰に聞かせるでもなく呟き、男を物陰へ引きずる。
中庭が見えた。
月明かりの薄い光の中、狐塚が立っていた。
その後ろに四人。
そして――さらにその奥。
縛られている。
猿轡を噛まされ、柱に座らされるように固定された久瀬と早乙女の姿があった。
「久瀬! 早乙女!」
思わず声が出る。
二人が顔を上げる。
早乙女の目が見開かれ、久瀬が何か言おうとして猿轡に阻まれる。
その瞬間、狐塚の部下が一斉に前へ出た。
「真壁さん」
狐塚が、昔と同じよく通る声で言う。
「本当に来るとは思いませんでしたよ」
「抜かせ」
俺はそのまま駆けた。
久瀬たちのところまで、十数メートル。
その間に四人。
普通なら止まる距離だ。
だが、止まる気はなかった。
最初の一人が腕を伸ばしてくる。
それを弾き、懐へ潜り、腹へ叩き込む。
息が詰まった男が折れたところで、二人目の肩を掴んで投げる。
横から来た三人目の拳を頬で受け、逆に顎へ打ち返す。
「目がついてないのか」
狐塚が毒づく。
「人数差くらい見ろよ」
うるせぇ。
そんなもん、高校の時から見飽きてる。
一人で来る。
周りで囲む。
空気ごと押し潰す。
そういうやり方を、あいつは昔から好んだ。
だから、俺は止まらない。
最後の一人が背後から掴みにくる。
肩を切って振りほどき、そのまま肘を叩き込む。
短い悲鳴。
地面へ崩れる音。
数秒後、中庭に立っていたのは、俺と狐塚だけだった。
縛られた早乙女と久瀬の荒い呼吸が、夜気の中に混じる。
俺は一歩、前へ出た。
「次はお前だ」
狐塚が、わずかに口元を吊り上げる。
「相変わらずですね」
「本当に、そういうところが嫌いでした」
「あ?」
狐塚は月明かりの下で、まるで講義でもするみたいに続けた。
「真壁さん、私はね、あなたが嫌いでした」
静かな声だった。
「努力だけで成り上がれると思ってる」
「実力を見せつければ、誰も認めてくれると思っている」
「いかにも、“持っていない”人間の考え方だ」
腹の奥がじわりと熱くなる。
狐塚は笑った。
「そんなのはなぁ、漫画の世界だけだ」
「現実は違う」
一歩、近づいてくる。
「生まれた時から、何もかも持ってる人間が一番強いんだよ」
「家も、金も、人脈も、空気も、全部だ」
「あなたみたいに、努力だけで這い上がろうとする人間を見ると、反吐が出る」
俺は黙って聞いていた。
狐塚は、昔と何も変わっていない。
見下ろす側の理屈。
最初から持っている側の余裕。
そして、自分が勝つのは当然だと信じきっている顔。
「お前の弱点、知ってるか」
俺が言うと、狐塚の眉がわずかに動いた。
「何です?」
「持ってるくせに、いつも怯えてることだ」
狐塚の笑みが、少しだけ薄くなる。
「何を」
「自分より下だと思ってる奴が、立ち上がるのが怖ぇんだろ」
「だから空気を握る」
「だから人を使う」
「だから、自分じゃ手を出さねぇ」
一歩、また一歩と詰める。
「お前は最初から持ってる側だった」
「なのに、何も持ってない奴が結果を出すと我慢できねぇ」
「順位でも、作品でも、金でも」
「いつもそうだ」
「お前は、下に見てた相手が上がってくるのが何より怖いんだよ」
狐塚の頬が、ぴくりと引きつった。
図星だ。
「黙れ」
「黙らねぇよ」
「高校の時もそうだった」
「今もそうだ」
「お前は一度も、自分の足で勝負してねぇ」
そこまで言った瞬間、狐塚が踏み込んできた。
意外だった。
もっと言葉を重ねると思っていた。
もっと綺麗に構えると思っていた。
だが、あいつの拳はまっすぐだった。
頬へ一発、入る。
痛みより先に、少しだけ笑いそうになった。
「ああ、やっぱそうかよ」
「ようやく一歩踏み出せたじゃないかよ、坊ちゃん」
俺は血の味を舌の上で転がしながら言う。
「最後は手ェ出すんじゃねぇか」
狐塚は息を乱しながら、低く吐く。
「うるさい」
次の瞬間、俺も踏み込んだ。
拳が頬へめり込む。
狐塚の身体がよろける。
だが倒れない。
月明かりの下で、俺たちは真正面から向き合った。
高校の時の因縁。
作品でも、順位でも、奪った奪われたでもなく、
もっと根っこの、くだらなくて、どうしようもない勝負。
二人同時に地を蹴る。
廃校の中庭に、乾いた打撃音が響いた。
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