25話 奪還
水島の血が、床に細く伸びていた。
割れた液タブ。
踏み荒らされた紙。
机の脚に引っかかったまま破れたネーム。
その全部が、少し前までここに早乙女と久瀬がいたことを、逆にはっきり証明していた。
「くそっ」
思わず低く吐く。
水島は壁にもたれたまま、額の血を手の甲で拭った。
「怒るのは後にしろ」
「どうやって二人を探すつもりだ」
その言い方が妙に冷静で、逆に腹が立つ。
「決まってるだろ」
「狐塚を引きずり出す」
「それで?」
「どこにいるか分からない相手を気合いで探すのか」
「うるせぇ」
そう言いながら、俺は部屋を見回した。
早乙女の荷物。
床に転がったタブレット。
そして――
「……ない」
「何が」
水島が訊く。
「携帯だ」
「誰の」
「早乙女の」
俺は机の上にいつも置いてあったはずの場所を見た。
充電ケーブルだけが、だらりと垂れている。
「早乙女が持ったままなんだろ」
水島が言う。
「早乙女は元は俺の債務者だ」
「昔、逃げられねぇように、携帯に位置が分かるアプリ入れた」
部屋が、一瞬だけ静かになる。
水島が、初めて本気で呆れた顔をした。
「……思ったより周到だな、お前」
「褒めてんのか」
「褒めてない」
「でも今は助かる」
それで十分だった。
自分の携帯で画面を確認する。
まだ反応はある。
早乙女の端末は生きている。
「お前を病院に連れて行った後に
すぐに追う」
俺は水島の腕を肩に回した。
「立てるか」
「痛い」
「立てるな」
「最低だな」
「知ってる」
アパートの階段を降りる。
水島は見た目以上に軽かった。
だが、その軽さが逆に嫌だった。
こんな細い体で、あいつはずっとこっちのチームを支えていたのかと思うと、妙に腹の奥がざらついた。
車へ押し込み、俺はエンジンをかける。
深夜の道は空いていた。
信号だけが、やけに長く感じる。
「……真壁」
助手席で水島が言う。
「あ?」
「もし、場所が分かっても」
「本当に一人で行く気か」
「行く」
「迷わないな」
「迷ってる暇がねぇ」
水島は少しだけ窓の外を見た。
「組は使えないのか」
「使えねぇ」
「狐塚は直参だ」
「こっちが勝手に手を出せば、組ごとひっくり返される。
事情を話したところで俺を全力で止めに来るだろう。」
「高校の時みたいに、場ごと握られて終わる」
その言葉が口から出た瞬間、自分でも少しだけ嫌だった。
だが、事実だった。
相手は狐塚だ。
金も、人脈も、立場もある。
こっちが感情で動いた瞬間、全部失う可能性がある。
……それでも、構わなかった。
病院の前へ着く。
水島がシートに沈んだまま言う。
「救急車でよかったんじゃないか」
「駄目だ」
「あの場で救急車を呼べば最悪警察沙汰になる。
そうなれば変に刺激して二人を殺す可能性がある。」
俺は車を停め、そっちを見る。
「医者には、突然殴打されて、何があったか分からないってだけ言え」
「警察には連絡しなくていいことも言え」
「病院も面倒は嫌うだろうからな」
水島が、小さく笑った。
「そういう勘だけは鋭いな」
「ヤクザだからな」
「褒めてない」
「知ってる」
ドアを開ける。
水島を降ろし、肩を貸して入口まで連れていく。
「……二人を助けろよ」
その声は、珍しく水島らしくなかった。
俺は短く頷いた。
「当たり前だ」
水島を入口の椅子へ座らせる。
看護師がすぐ寄ってきた。
俺は一歩だけ引いて、視線だけで水島に伝える。
余計なことは言うな。
水島は、わずかに頷いた。
それを見てから、俺は踵を返した。
再び車へ戻る。
深く息を吐き、携帯のアプリを開く。
位置情報の一覧。
早乙女の端末。
まだ動いていない。
いや、止まっている。
「どこだ……」
地図が開く。
見覚えがあった。
その瞬間、背中の奥が冷たくなる。
「……そういうことか」
そこは、俺と狐塚がかつて通っていた高校だった。
今はもう移転して、使われていない。
古くなって、廃校になった場所だ。
暗い校舎。
誰もいない教室。
誰も助けなかった廊下。
空気だけが人を殺す場所。
狐塚がそこを選んだ理由なんて、考えるまでもなかった。
車の中で、俺は小さく笑った。
「趣味悪ぃな」
高校の時みたいに、またあの場所で潰す気か。
俺の人生を奪った場所で、今度は俺の仲間を人質に取る気か。
ハンドルを握る手に、自然と力が入る。
あの頃とは違う。
誰も助けてくれなかった教室で終わった話を、
今度は自分で終わらせに行く。
俺はアクセルを踏み込んだ。
廃校へ向かう道は、妙に静かだった。
街灯は少なく、古い住宅地を抜けると、急に闇が深くなる。
昔は通学路だった道だ。
今は、もうほとんど人も通らない。
それでも、覚えていた。
あの坂。
あの曲がり角。
校門へ向かう最後の細い道。
嫌でも、身体が覚えている。
狐塚。
今度こそ、終わらせる。
車の窓の向こう、古い校舎の影が見え始めた。
俺はブレーキを踏まず、そのまま前を睨んだ。
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