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2話 編集

早乙女は力なく笑った。


「だから言ったじゃないですか」


「本当は編集が要るって」


「編集ってのは、権利確認までやんのか」


「やる人はやりますよ。というか、普通はその前に止めるんです。こういうの使ったら危ない、とか、これは差し替えた方がいい、とか」


「……お前、止められてねぇじゃねぇか」


「一人だったんで」


「胸張るな」


俺はスマホをひったくるように受け取り、文面を睨んだ。


丁寧な言葉だが、言っていることは簡単だった。

お前の作品、どっかから持ってきた資料をそのまま使ってねぇか。

そうなら証明しろ。

できねぇなら止めるぞ、ということだ。


「どこだ。何を使った」


「背景の写真を……その、ちょっと」


「ちょっと、何だ」


「ネットで拾って、上から描き起こしました」


「馬鹿か」


「だって時間なかったんですよ!!」


「知るか!!」


早乙女が頭を抱える。

さっきまでの“私は漫画のためなら死ねる”とかいう狂気はどこへやら、今はただの追い詰められた女だった。


「どうするんですかぁ……」

「これ、最悪、販売停止とかあり得ますぅ……」

「せっかく回り始めたのにぃ……」


俺は舌打ちした。


せっかく見えた金の流れに、いきなり泥を流し込まれた気分だった。

在庫がいらねぇ。

元手も軽い。

名義も切れる。

確かにそうだ。


だが、表に店がある以上、表のルールってやつがある。

そいつを知らなきゃ、どれだけ売れても首が飛ぶ。


見えにくいが、確かにある地雷。

それを踏んだら終わり。


「返答はいつまでだ」


「明日の昼まで……」


「早ぇな」


「普通はもっと早く確認しとけって話ですからね……」


「だから胸張るなっつってんだろ」


俺はスマホを投げ返した。

受け損ねた早乙女が、あわあわしながら両手で抱き留める。


「で、対処は」


「元データ提出とか、差し替えとか、場合によっては該当ページ修正とか……」


「できんのか」


「できます。できますけど、何が危ないか切り分ける目がないんです。一人だと」


早乙女は俯いたまま、ボソボソと言った。


「私、描くのは好きなんです」

「でも、売るために整えるとか、危ない橋を避けるとか、そういうの……」

「向いてないんですよね」


少しだけ、分かる気がした。


俺だって、脅す、回収する、顔を立てる、貸し借りを作る、そういうのは分かる。

だが今目の前にあるのは、もっとぬるりとした世界だ。

丁寧語で首を絞めてくる、表の連中のやり方だ。


ヤクザのシノギに向いてると思った。

その考えは間違っていない。

だが、“向いてる”の意味を、俺はまだ半分しか分かっていなかったらしい。


「つまり、お前一人じゃ無理だと」


「はい」


「お前とオレの二人でも無理だと」


「かなり怪しいです」


「使えねぇな」


「だから編集だって言ってるじゃないですか!!」


早乙女が半泣きで叫んだ。


「作家は描く! 営業は売る! でもその間で形を整えて、危ないとこ潰して、客に届くように見せる人間が要るんです!」

「漫画って描いて終わりじゃないんですよ!」

「世の中は、描いただけじゃ金にならないんです!!」


その言葉は、妙に腹に落ちた。


描いただけじゃ金にならない。

そりゃそうだ。

どんな商売だって同じだ。

モノがあるだけじゃ回らねぇ。

売り方、見せ方、通し方が要る。


それを知ってる奴が勝つ。


俺は黙って壁にもたれた。

扇風機が頼りなく回り、部屋の隅のカップ麺の匂いがぬるく漂う。

さっきまで、少しだけ夢みたいな気分だった。


この板きれが金を生んで、

俺の知ってる連中の人生が売り物になって、

誰かがそれを欲しがる。


悪くねぇ、と思った。


だが現実は、そんな綺麗なもんじゃない。


「じゃあ、その編集ってのはどこにいる」


早乙女が顔を上げた。


「……え?」


「いるんだろ、そういうのが」


「まぁ、いますけど」


「使えるのか」


「人によります。ピンキリです。商業でやってた人もいれば、同人しか知らない人もいるし……」


「で、お前の知ってる中で一番マシなのは誰だ」


早乙女はすぐには答えなかった。

代わりに、視線だけが宙を泳ぐ。


「いるには、いました」


「いました?」


「今は……表に出てこないっていうか」


「逃げたのか」


「潰れたんです」


その言い方が、少し引っかかった。


「何でだ」


「作家の面倒を見すぎたらしくて」


「は?」


「売れない人の原稿料を立て替えたり、生活費貸したり、印刷代をかぶったり、トラブルの火消しで自腹切ったり……」

「それで気づいたら、自分が借金まみれになって消えたって」


「……間抜けだな」


「はい。間抜けです」

「でも腕は本物です」

「タイトル、表紙、導入、読者層、売り場の空気。あの人、全部見えてた」


俺は腕を組んだ。


つまり、使える。

だが壊れてる。


別に珍しくもねぇ。

この世で使える人間なんて、大抵どこか壊れてる。


「名前は」


早乙女は少し迷って、それから小さく答えた。


「水島です」

「元編集の、水島誠」


「居場所は」


「知らないです」


「使えねぇな」


「だから昔の知り合い伝いに聞かないと――」


言いかけた早乙女の言葉を、俺の携帯の振動が遮った。


画面を見る。

山口だ。


「何だ」


『若頭補佐、若頭が戻られました。今夜、事務所で顔出せとのことです』


俺は舌打ちした。


現実が、ぬっと顔を出す。

そうだった。

こっちは漫画ごっこして遊んでる身分じゃねぇ。

組の金も、オヤジの手術代も、明日になれば待っちゃくれない。


「分かった。今から戻る」


通話を切る。


早乙女が不安げに俺を見る。


「……どうします?」


どうするも何もねぇ。


さっきまでなら、ここで終わっていたかもしれない。

“面白かったな”で終わって、また薬だの取り立てだのの現実に戻っていたかもしれない。


だが、もう駄目だった。


俺は見てしまった。

線の中に、人の人生が立ち上がる瞬間を。

金の匂いと一緒に、どうしようもなく生々しい何かが動き出す瞬間を。


それを、みすみす手放す気にはなれなかった。


「返答は明日の昼だな」


「はい」


「今夜中に、その水島ってのの足取り、洗えるだけ洗え」


「えっ、今からですか?」


「当たり前だろ。止まったら死ぬんじゃなかったのか」


早乙女はぽかんとした顔をしたあと、ふっと笑った。


「……ほんと、本気なんですね」


「オレは最初から本気だ」


「じゃあ、真壁さん」


「あ?」


「その編集、見つけたらどうするんです?」


俺は玄関に向かいながら、靴を引っかけた。


「決まってる」


ドアを開ける。

夜になっても、外気はまだぬるかった。


「使う」


それだけ言って、俺は振り返った。


液タブの青白い光の前で、早乙女はまだ少しだけ怯えた顔をしていた。

だが、その奥に、期待の火みてぇなもんが見えた。


俺はその火に背を向けて、階段を降りる。


下では、蝉の声に代わって、遠くの車の音がうなっていた。


事務所へ戻れば、またいつもの顔をしなきゃならねぇ。

ヤクザの顔だ。

金を作る顔だ。

組を回す顔だ。


だが、胸の奥では別の音が鳴っていた。


明日までに、編集を見つける。


そうしなけりゃ、この商売は始まる前に終わる。


そして、始める以上は――

中途半端では終わらせねぇ。


その夜、俺は初めて、

組の金とは別の理由で、誰かを探しに行くことになる。

読んでいただいてありがとうございます!


編集にも色々なタイプがいます。

誤字脱字と絵の中の間違い探しのダメだししかできず提案が出来ない人。

企画を作る能力がない人。そもそも人の深淵を見る事が出来ず自分で判断を下せない人。

そんな中で潰れるまで作家と関わり続けた水島とはどんな人物なのか


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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