1話 才能
「オウよ」と言ったのはいいものの。
三十分後、俺は早乙女の部屋の前に立っていた。
築年数の古そうなボロアパート。
階段は錆び、廊下には見たこともない植物の鉢や、空き缶や、謎のぬいぐるみが雑に並べられている。
「……本当にここで売れてんのか?」
「失礼ですねぇ。創作者の部屋なんてこんなもんですよ」
早乙女が胸を張る。
「いや汚ぇだけだろ」
「汚いのと創造性は紙一重なんです!」
「紙は原稿にだけ使え」
ガチャリ、と鍵を開けて中に入る。
瞬間、俺は顔をしかめた。
狭い。
暑い。
本棚という本棚に、男同士がやたら近い距離で見つめ合っている本がぎっしり詰まっている。
床には資料だかゴミだか分からない紙の束。机の上には液晶タブレット。安っぽい椅子。食いかけのカップ麺。空の栄養ドリンク。
その全部が、妙に生々しかった。
「お前、ほんとにこれで生きてんだな」
「生きてますよぉ。ギリギリで」
「ギリギリ過ぎんだろ」
早乙女は靴下のまま床をぺたぺた歩き、机の前に座ると、液タブの電源を入れた。
画面が光る。
妙に胸がざわついた。
俺の知ってる商売道具は、車、帳簿、封筒、携帯、包丁。
そんなもんだった。
だが今、目の前でこの薄い板きれが金を生むらしい。
「で、何からやる」
「え?」
「え?じゃねぇだろ。作るんだろ」
早乙女はきょとんとした顔をして、それから少しだけ口元を歪めた。
「真壁さん、案外本気なんですね」
「なめてんのか」
「いえ。普通、こういうのって“儲かるらしいな”で終わるんで」
「オレは終わらせねぇ。やると言ったらやる」
少しの沈黙。
早乙女は俺を見て、何かを測るように目を細めた。
さっきまで借金取りに泣きついていたクズ女の顔じゃない。
作家の顔だった。
「じゃあ、まずは題材です」
「題材?」
「当たり前でしょう。何描くんですか」
俺は腕を組んだ。
何を描くか。
そんなもん、こっちが聞きてぇ。
だが早乙女は、俺が口を開くのを待っている。
俺は部屋を見回した。
薄汚れたアパート。散らばる資料。壁に貼られた男のイラスト。
そのどれもが俺には縁遠い。
だが、縁遠くないものもあった。
裏路地。
酒と煙草の匂い。
見栄を張る男。
落ちていく女。
金に群がる連中。
強がって、傷ついて、それでも引けない連中。
気づけば俺は口を開いていた。
「やくざ者がな」
「はい」
「もう四十過ぎてんのに、いまだに下っ端みたいな扱いでよ。
組にしがみついてんだ。若い衆にもなめられてる。
「けど、昔はそいつにも輝いてた時代があった」
早乙女の目つきが変わる。
「続けてください」
「そいつには昔、兄貴分がいた。
強くて、でかくて、誰より怖ぇ男だ。
そいつに拾われて、そいつの背中だけ見て生きてきた。」
「だが時代が変わって、組は落ちぶれ、兄貴分も病気で寝たきりだ」
早乙女はいつの間にか、メモも取らずに頬杖をついて聞いていた。
「で?」
「で……そのやくざ者は、兄貴分に恩を返したくて、泥水すすってでも金を作ろうとする。
みっともなくても、ダサくても、最後までしがみつく」
「いい」
早乙女がぽつりと言った。
「は?」
「いいじゃないですか、それ……!」
目が怖い。
さっきから何度目だその顔は。
「それで、その兄貴分とはどういう関係なんです?
親子? 主従? 敬愛? 依存? 憧れ? 執着? 恩義の名を借りた愛ですか?」
「お前、なんでもそっちに持ってくな」
「だって本質じゃないですか!」
早乙女は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「それです! そういうのでいいんです! 」
「しょうもない若いイケメンじゃなくて、人生が終わりかけた男が、
終わりかけた男にしがみついてるような話!
そこに情も義理もプライドも未練も全部入ってるやつ!」
「お、おう……」
「最高じゃないですか……! 何だ、描けるんじゃないですか、真壁さん!」
「まだ何も描いてねぇだろ」
「ネタがある人は強いんですよ!!
人の人生を見てきた人間は、漫画が描けるんです!!」
その言葉に、妙に心臓が鳴った。
人の人生を見てきた。
確かに見てきた。
嫌というほど。
だがそれは、誇れることじゃなかった。
人を壊して、泣かせて、沈めてきた。
そんなもんだ。
それが漫画になる?
売り物になる?
誰かの心を動かす?
馬鹿げてる。
だが――。
「やってみるか」
「だからさっきからそう言ってるじゃないですか」
早乙女は椅子に座り直し、ペンを握った。
「まず主人公の顔です
。どんな面か、言ってください」
「面って……」
「顔ですよ顔。傷は?
目つきは? 髪型は? 体つきは? 声が聞こえるように喋ってください」
俺は少し考えた。
「顔は……疲れてるな。」
「ずっと疲れてる。
若い頃はそれなりに整ってたかもしれねぇが、今は酒と煙草と寝不足で削れてる。
目は鋭いが、どこか諦めてる。けど兄貴分のことになると、急に昔の目に戻る」
早乙女の手が、画面の上を走る。
「髪は?」
「短ぇ。整える気もねぇ。スーツは一応着てるが、いいもんじゃねぇ。
安物だ。けど、着崩し方だけは妙に板についてる」
「体つき」
「昔は鍛えてたが、今は少し落ちた。けど一般人よりはずっと厚い」
「最高……」
早乙女の目に見た事がないような
輝きがあった。
「何がだよ」
「最高です
……そういう“今は落ちたけど、身体に昔の名残がある男”……」
「お前の好きなもんは分かりやすいな」
「うるさい」
画面を覗き込む。
そこには、まだ線の荒いラフだったが、見覚えのない男がいた。
見覚えがないはずなのに、なぜか少しだけ知っている気がした。
こいつは俺じゃない。
だが、まるで俺の知っている誰かの残骸みたいな顔をしていた。
「……すげぇな」
「でしょ?」
「いや、お前じゃなくて、この板」
「そこ?」
早乙女が頬を膨らませる。
だが本当に驚いていた。
たった今、俺が頭の中で口にしただけの男が、形になっている。
あっという間に、だ。
「これに台詞やら話やら乗せていくんですよ。
で、表紙を強くして、タイトルで引いて、紹介文で刺す」
「なるほどな」
「まあ、そこまで含めると本当は編集が欲しいんですけど」
「また編集か」
「いるんですよ、そういうの整える人が」
俺は煙草を取り出しかけて、部屋の中だと思い出しやめた。
なんとなく、あの線の上に煙を吐きかけたくなかった。
代わりに壁にもたれて腕を組む。
「タイトルはどうする」
「まだ早いですけど……そうですね」
早乙女は顎に指を当てた。
「たとえば――『最後まで下っ端の俺が、寝たきりの兄貴に恩を返す話』」
「長ぇよ」
「じゃあ、『落日極道、恩に死す』」
「古くせぇ」
「文句多いな!!」
「売るんだろ。分かりやすくしろ」
その時だった。
早乙女が、ぴたりと手を止めた。
「……真壁さん」
「あ?」
「もしかして、向いてるかもしれません」
「何がだ」
「商売として見る感覚」
俺は鼻で笑った。
「そりゃあな。今までそうやって食ってきた」
「でも、さっきの男の設定は、ただの計算じゃ出てこないですよ」
「……」
「人を見てきたんですね」
その言葉に、また妙に胸がざわついた。
見てきた。
見させられてきた。
忘れたくても忘れられねぇ顔ばかりだ。
みんな怨念がこもってやがる。
だが、それが今こうして、絵の中に移っていく。
気味が悪いような。
救われるような。
よく分からなかった。
「とにかく今日は、一本分のネーム叩き台までやります」
「今日中にか?」
「当たり前でしょう。ナマモノなんですから、熱があるうちに形にしないと死にます」
「へぇ」
「あと、真壁さんは帰さないんで」
「なんでだよ」
「ネタが尽きたら困るからです」
「オレは便利な取材源か」
「はい!」
言い切りやがった。
俺はため息を吐いた。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
夕方になっても、部屋の中は暑かった。
扇風機が情けなく回り、外では蝉が狂ったように鳴いている。
その中で、早乙女のペン先だけが止まらなかった。
俺は机の横に座り、ぽつりぽつりと、昔の話をした。
兄貴分の背中。
金の重み。
男の見栄。
引けなくなった奴の末路。
馬鹿みてぇに義理を通そうとして、全部失った男の話。
早乙女は何も茶化さなかった。
ただ、ときどき、
「それです」
とか
「今の使います」
とか
「最悪、好き」
とか、
気持ち悪い感想を挟みながら、ひたすら描き続けた。
夜の十時を回った頃。
早乙女がようやく、ペンを置いた。
「……できた」
「何が」
「一話のネームです」
画面を見せられる。
荒い。
完成にはほど遠い。
だが確かにそこには、さっきまで存在しなかった人生があった。
くたびれた中年ヤクザ。
病院の白い天井。
無骨な手。
言えない言葉。
恩義と執着。
落ちぶれた男の、みっともないくらい必死な顔。
俺はしばらく何も言えなかった。
早乙女がニヤつく。
「どうです?」
「……気に食わねぇな」
「はぁ!?」
「オレの知ってる連中の顔を、勝手に剥いで貼り付けたみてぇでよ」
「最高の褒め言葉ですね、それ」
「褒めてねぇ」
だが、本当は少しだけ分かっていた。
これは売れるかもしれない。
いや、それだけじゃない。
もしかすると、誰かに届くかもしれない。
俺たちみてぇな、どうしようもねぇ連中の生き様が。
その時、早乙女の安物スマホが震えた。
画面を見るなり、早乙女の顔色が変わる。
「……やば」
「どうした」
「サイトの担当からメッセージです」
「何だよ」
早乙女は引きつった顔で、画面を俺に向けた。
先月作品の一部について、権利確認のご連絡があります。
至急ご対応ください。
俺は眉をひそめた。
「権利確認?」
早乙女が青ざめたまま、小さく呟く。
「……もしかして、前の作品、資料の使い方がまずかったかも」
さっきまでの熱が、一気に冷える。
俺は立ち上がった。
「おい」
「はい」
「同人ってのは、売れりゃそれで終わりじゃねぇのか」
早乙女は力なく笑った。
「だから言ったじゃないですか」
「本当は編集が要るって」
読んでいただいてありがとうございます!
人生経験豊富な真壁は経験を武器に漫画を作ろうとします。
早乙女に勝手にかかせて金だけもらえばいいのにそうしないという事は真壁がどこかで真っ当な人間でありたいと願っている証明でもあります
読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。
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