21話 勝てない相手
部屋へ戻ると、三人ともまだ起きていた。
液タブの青白い光。
机の上に散ったメモ。
安い缶コーヒーの匂い。
もう何度も見た光景なのに、今夜は少しだけ遠く見えた。
「遅い」
水島が言った。
「本家だ」
俺は上着を脱いで椅子へ投げた。
早乙女が振り返る。
「どうでした?」
「最悪だ」
「それはいつもです」
久瀬が言う。
「今夜は何の最悪?」
俺はすぐには答えず、机の上のランキング画面を見た。
黒曜会は、相変わらず上にいた。
そこへ水島が、画面を指で軽く叩く。
「……やっぱり、ただ強いサークルってだけじゃない」
「あ?」
「黒曜会のことだ」
水島は珍しく、最初から嫌そうな顔をしていた。
「これ、人気作家か、ヒットを飛ばした編集が後ろにいる」
「たぶん、そのどっちかじゃない」
「両方だ」
早乙女が目を丸くする。
「そこまで分かるんですか?」
「分かるよ」
「話の癖で分かる」
「選ぶ作家で分かる」
「どこを“捨てて”、どこを“残す”かの判断が、素人の手つきじゃない」
久瀬も頷いた。
「作家一人の暴走じゃないんだよね」
「重くしようと思えばいくらでも重くなる題材なのに、ちゃんと棚に置ける顔で止めてる」
「商業で一回勝ってる人の整理の仕方っぽい」
「で、編集も強い」
水島が続ける。
「ページの温度管理が上手すぎる」
「作家の熱を殺さずに、読者が離れる手前で軽くしてる」
「こういうのは、ヒットを飛ばした編集の仕事だ」
その言い方に、妙な重さがあった。
俺はそっちを見た。
「心当たりでもあるのか」
水島は少しだけ黙った。
「……ある」
それを聞いて、早乙女も久瀬も静かになる。
「同期だ」
水島は目を画面から逸らさないまま言った。
「商業にいた頃の」
「一度も、漫画で勝てなかった編集がいる」
部屋の空気が少しだけ止まる。
「勝てなかった?」
俺が聞くと、水島は小さく笑った。
乾いた、嫌な笑いだった。
「俺が拾った作家より、あいつが拾った作家の方が売れた」
「俺が“刺さる”と思った企画より、あいつが通した方が広く取った」
「俺は作家を抱え込みすぎて潰れた」
「あいつはちゃんと勝つ形にして、ヒットを積んだ」
久瀬が、小さく息を吐く。
「……そういう顔してると思った」
「どんな顔だよ」
「自分より一段上の仕事を見つけた時の顔」
水島は何も返さなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
勝てない。
そう思っている顔だった。
「話の癖も似てる」
「選ぶ作家も似てる」
「熱のある題材を、売り場に置ける温度まで整えるやり方も」
「正直、嫌なくらいに心当たりがある」
早乙女が、不安そうに言う。
「じゃあ……勝てないんですか」
水島は、少しだけ言葉に詰まった。
それが初めてだった。
こいつが、売り方の話で迷うのは。
「今のままなら、きつい」
やがて出た言葉は、あまりにも正直だった。
「向こうは、勝ち方を知ってる」
「しかも、こっちと同じ泥も見てる」
「一番面倒な相手だ」
「珍しいですね」
久瀬が言う。
「何が」
「水島が“きつい”って言うの」
「うるせぇ」
「でも、分かるよ」
久瀬はランキング画面を見ながら言う。
「私も、なんか嫌な感じしてた」
「このサークル、たぶん“たまたま当たった”んじゃない」
「勝つべくして勝ってる感じがある」
早乙女が小さく肩を落とす。
「じゃあ、どうするんですか……」
「その前に」
俺はそこで口を開いた。
三人の視線がこっちへ向く。
「黒曜会の正体、分かった」
水島が目を細める。
「誰だ」
「狐塚だ」
その名前を出した瞬間、水島の顔から少しだけ色が引いた。
早乙女は「え」と声を漏らし、久瀬は黙ったまま俺を見る。
「やっぱり、って顔だな」
俺が水島に言うと、水島は数秒黙ってから答えた。
「可能性は見てた」
「でも、確信はなかった」
「オレはした」
「何で」
俺は、椅子に浅く腰掛けた。
「作品の中に使われてるエピソードの一つが、形は変えてあるが、オレと狐塚の関係そのものだった」
早乙女が息を呑む。
「……そんなことあるんですか」
「ある」
「昔からあいつは、自分じゃ手を出さずに、他人を使って場を支配する奴だった」
「あの作品にある、上から見てくる奴と、下から睨み返す奴の関係」
「順位も、空気も、軽口の裏にある執着も、全部あいつとオレだ」
久瀬が、小さく呟く。
「うわ」
「それは、かなり最悪」
「だろ」
「でも、逆に言えば」
水島が静かに言った。
「向こうも、真壁を燃料にしてるってことか」
「そうだ」
俺は短く頷く。
「ただの競合じゃない」
「狐塚には狐塚の因縁がある」
「こっちを見下ろして、順位でも上に立って、それを作品にまでしてる」
早乙女が、少しずつ表情を変える。
不安だけじゃない。
怒りに近い色が混ざり始めていた。
「……嫌ですね、それ」
「嫌だよ」
俺は画面の中の黒曜会を見た。
「でも、だったら話は早い」
水島がこちらを見る。
「何がだ」
「勝つ理由が、はっきりした」
俺は机の上の紙を指で叩いた。
「今のままじゃ、向こうの方が上手いんだろう」
「人気作家か、ヒット飛ばした編集が後ろにいる可能性も高い」
「お前が昔勝てなかった同期の影まで見えるってんなら、なおさら面倒だ」
水島は何も言わない。
だが、否定もしなかった。
「それでも、やるしかねぇ」
俺は三人を見た。
「狐塚には、オレも因縁がある」
少しだけ間を置く。
「高校からだ」
「見下されて、空気を握られて、最後は一人だけ綺麗な顔して残る」
「そういう奴だった」
「今も変わっちゃいない」
久瀬が、静かに言う。
「だから一位を取りたいのか」
「違う」
俺は首を振った。
「狐塚に勝ちたいのは本当だ」
「でも、それだけじゃない」
水島と目が合う。
その顔には、さっきまでの自信の無さがまだ少し残っていた。
俺はそいつに向かって言った。
「最高の一作を作ろう」
部屋が、少しだけ静まる。
「勝てるかどうかじゃねぇ」
「まず、俺たちが今持ってるもん全部ぶち込んだ一作を作る」
「オレの因縁も、早乙女の傷も、久瀬の目も、水島の売り方も」
「全部使って、それで届かねぇなら仕方ねぇ」
「でも、まだそこまでやってねぇだろ」
早乙女が、ゆっくり顔を上げる。
久瀬も、黙ってこっちを見ている。
水島だけが、少しだけ険しい顔のままだった。
「……綺麗事に聞こえるな」
そう言ったのは水島だった。
「そうかもな」
俺は認めた。
「でも、お前、今自信なくしてんだろ」
水島の目が、わずかに動く。
「昔勝てなかった相手の影が見えたからって、そこで止まるのか」
「それで、また“勝てなかった”で終わるのか」
「真壁」
早乙女が小さく止めるような声を出す。
だが、俺は続けた。
「お前、今まで散々オレらに言ってきただろ」
「入口が要る」
「本質だけじゃ届かない」
「でも、本質がなきゃ意味がねぇって」
水島は黙っている。
「だったら今度は、お前が逃げるな」
「相手が誰だろうが関係ねぇ」
「昔勝てなかった編集だろうが、現役でヒット飛ばしてる奴だろうが、狐塚だろうが」
「こっちはこっちで、最高の一作を作るしかねぇだろ」
久瀬が、小さく笑った。
「熱いな、ヤクザ」
「うるせぇ」
「でも、嫌いじゃない」
早乙女も、少しだけ口元を上げる。
「私も」
「なんか、やっと“勝つ”って言葉の中身が見えた気がします」
水島はまだ黙っていた。
だが、やがて机の上の黒曜会のメモをひっくり返した。
「……最高の一作、ね」
「そうだ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃねぇよ」
「だからお前が要る」
水島はそこで、少しだけ乾いた笑いを漏らした。
「勝てない相手の影見ただけで弱るなってことか」
「オレはそういうの嫌いだ」
「知ってる」
それから、水島はメモ用紙を一枚引き寄せた。
真ん中に、大きく一本、線を引く。
「じゃあ、やるか」
「何を」
早乙女が訊く。
「最高の一作の設計だよ」
その声には、さっきまでの自信のなさが少し薄れていた。
まだ完全じゃない。
でも、死んでいた目ではなかった。
「まず、黒曜会を真似しない」
「対抗意識で相手の強みをなぞったら負ける」
「うちは、うちの“どうしようもなさ”を一番濃い形で出す」
久瀬が頷く。
「いいね」
「綺麗にまとまった裏社会じゃなく、もっと見苦しいやつ」
「そう」
早乙女も身を乗り出す。
「人生の酸いも甘いも知って、社会に必要とされなくなった」
「長い」
三人同時に言った。
「何でですか!」
そのやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。
俺は、机の上に広がる紙を見た。
黒曜会。
狐塚。
昔の順位。
今の順位。
因縁。
傷。
売り方。
全部ある。
だったら、もうやるしかない。
「一位、取るぞ」
俺が言うと、今度は誰も笑わなかった。
水島が、小さく頷く。
久瀬が、缶コーヒーを持ち上げる。
早乙女が、液タブの電源を入れた。
黒曜会はまだ上にいる。
勝てない相手の影も、まだちらつく。
それでも、もう止まる理由はなかった。
最高の一作を作る。
まずは、そこからだ。
読んでいただいてありがとうございます!
という訳で因縁のぶつかり合いです。
あんまりランキングにこだわる必要ないのかもしれませんが真壁にはどうしても譲れない思いが
あるのかもしれないですね。
読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。
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