19話 黒曜会
ランキングは、思ったほど上がらなかった。
十位に入った時は、正直、もう少しこのまま行けると思った。
黒曜会を見つけた夜も、悔しさはあったが、手応えもあった。
分析した。
売り方も見直した。
表紙も、導線も、紹介文も、感想の拾い方も、水島と久瀬が容赦なく詰めた。
早乙女もBLラインを戻しながら、売れ線の方へちゃんと熱を残すようになった。
四人で回し始めてから、作品の死に方はしなくなった。
数字も安定していた。
落ちない。
ちゃんと売れる。
上納もまとめられる。
だからこそ、余計に腹が立った。
黒曜会は、まだ上にいた。
「……また止まってる」
早乙女が画面を見ながら言う。
「十位前後を行ったり来たりですね」
久瀬が缶コーヒーを傾ける。
「落ちないだけ偉いけどね」
「でも、抜けない」
「抜けないな」
水島が静かに言った。
俺は画面を睨んだまま、何も返さなかった。
上納は入った。
若頭の機嫌も悪くない。
オヤジの手術代も、入院費も、あと少しだ。
あと少し。
そこまで来ているのに、黒曜会だけが目の前にぶら下がったまま、どうしても抜けない。
「組長の方、どうですか」
早乙女が訊いた。
俺は机の上の封筒を見た。
「手術代そのものは、ほぼ見えた」
「ただ、入院費が馬鹿にならねぇ」
「保険、効かないんでしたっけ」
「暴力団だからな」
短く答える。
「まともな病気でも、まともに扱われねぇ」
「入れるだけでも、こっちは頭下げて金積んで、ようやくって感じだ」
久瀬が顔をしかめた。
「嫌な世界」
「今さらだろ」
だが本当に、嫌な話だった。
オヤジは組長だ。
それだけで、保険もまともに効かない。
手術だけじゃない。
入院させておくだけでも、毎日金が削れていく。
だから“あと少し”が、思ったより遠い。
それでも、目的の金額は見えてきていた。
上納も回せる。
組の方も静かだ。
気がかりは、もう一つだけになっていた。
ランキングだ。
黒曜会は何者なのか。
「なあ」
俺が言う。
「あ?」
水島が顔を上げる。
「やっぱり、ただの素人じゃねぇよな」
「黒曜会のことか」
「ああ」
水島は少しだけ考えた。
「可能性としては、同業だろうな」
「少なくとも“裏社会っぽい話が好きな人”が想像で書いてるだけの手つきじゃない」
「どこまで本物かは別として、変なところが妙に具体的だ」
久瀬も頷いた。
「生活感があるんだよね」
「記号でヤクザやってる感じじゃない」
「人の距離感とか、目上との会話の妙なねじれ方とか」
「そのへんが変にリアル」
早乙女が画面を見ながら言う。
「やっぱり、そうですよね」
「私も思ってました」
「同業というか、少なくとも近い空気吸ったことある人」
俺は、黒曜会のサークルページをもう一度開いた。
表紙。
紹介文。
サンプル。
そして、あの妙に腹立たしい“分かってる感じ”。
どこかで見た気もする。
だが、はっきりとは言えない。
そこへ、携帯が震えた。
画面を見る。
山口。
嫌なタイミングだった。
「何だ」
『補佐、若頭からです』
『今夜、本家に顔出せとのことです』
俺は小さく舌打ちした。
早乙女がすぐ反応する。
「またですか」
「ああ」
「何なんです、本家そんなに呼んで」
「上の連中は、調子いい時だけ寄ってくるんだよ」
それを言いながら、妙に冷めた気分になった。
最近、組の方も順調だった。
真下組の中でも、俺を見る目が少しずつ変わっている。
羽振りのいい補佐。
金を持ってくる奴。
上に行けるかもしれない男。
そういう目だ。
だが、俺は浮かれていなかった。
いい話が続いているように見える。
だが、そういう時ほど、人は簡単に寄ってきて、簡単に離れる。
人の心は霧だ。
笑っていても、頭を下げていても、何を考えているかなんて本当のところは分からない。
金がある間だけ寄る顔もある。
勢いがある間だけ“期待してる”と言う声もある。
そういうのは、もう嫌というほど見てきた。
本当の意味での仲間って、もしかしたら――
純粋に創作を楽しんでる、今この部屋にいるこいつらなのかもしれない。
水島。
早乙女。
久瀬。
どうしようもなくて、面倒で、傷だらけで。
でも、一コマの位置や台詞の匂いで本気になって、くだらねぇくらい真剣に作品を語り合える連中。
かつて俺が組長に居場所を与えられたみたいに、
今度は俺が、こいつらの居場所を作ってやりたい。
そして、このチームで作った作品で、一位を取りたい。
その思いは、もうかなりはっきりしていた。
「真壁さん」
早乙女が言う。
「あ?」
「今、ちょっと顔変わりました?」
「何だそれ」
「なんか、主人公っぽいです」
「うるせぇ」
「でも本当です」
「たぶん今、すごい面倒なこと考えてる顔してる」
久瀬が笑う。
「分かる」
「順位のことと、組のことと、ついでに人生のことまで一気に考えてる顔」
「お前ら、人の顔見過ぎだろ」
「編集と作家だからな」
水島が当然みたいに言う。
俺はため息を吐いた。
「本家行ってくる」
「狐塚、いるかもですね」
早乙女が小さく言う。
「ああ」
それだけ答えて、俺は立ち上がった。
本家の空気は、相変わらず嫌いだった。
無駄に広い玄関。
磨かれた床。
静かすぎる廊下。
金が残ってた頃の見栄だけが、今も骨みたいに残っている。
通された部屋には、何人かの幹部がいた。
真下組の若頭・相良もいる。
そして――
狐塚もいた。
相変わらず、上等なスーツが似合ってやがる。
細い指。
笑ってるくせに笑っていない目。
こっちを見た瞬間の、あの“また来たか”みたいな顔。
昔から変わらねぇ。
「真壁さん」
狐塚が穏やかに笑う。
「最近、景気が良さそうですね」
「そっちもな」
俺は短く返した。
狐塚の口元が、少しだけ歪む。
「見てくれてるんですか?」
その言い方に、何かが引っかかった。
見てくれてる。
普通なら、組の金回りとか、立場の話に聞こえる。
だが今の言葉は、妙に別の意味を含んでいる気がした。
会合そのものは、いつも通り退屈だった。
情勢。
上納。
シマ。
使える者、使えない者。
話半分に聞き流しながらも、俺の頭のどこかは、ずっと狐塚を見ていた。
こいつか。
そんな気がしてならなかった。
だが、根拠はまだない。
ただの勘だ。
昔から、こいつは人の上に立つ時だけ妙に顔がいい。
人を見下ろしながら、綺麗な理屈を喋る時だけ、やけに滑らかだ。
それが、黒曜会の“分かってる感じ”と、どこか重なって見えた。
会合が終わり、部屋を出る直前だった。
廊下の向こうで、狐塚が誰かと笑っていた。
その横顔を見た瞬間、俺の中で何かが繋がった。
サンプルで読んだ、あの一場面。
表向きは軽口。
だが片方だけが、昔の順位と、昔の殴り合いを、まだ腹の底で忘れていない。
それを、洒落た言葉へ変えて、男同士の執着として出している。
形は変えてある。
名前も、立場も、関係も、全部ズラしてある。
だが、芯が同じだった。
俺と狐塚だ。
進学校での順位。
取り巻き。
孤立させようとして失敗したこと。
殴り合い。
負けたくなかった方と、絶対に見下したかった方。
あの作品の中にある関係性そのものが、俺たちだった。
「……なるほどな」
思わず口から漏れた。
狐塚がこっちを見る。
「何がです?」
その笑い方で、確信した。
「黒曜会」
俺は低く言った。
「てめぇか」
一瞬だけ、狐塚の目が止まる。
それだけで十分だった。
次の瞬間には、また綺麗に笑っていたが、もう遅い。
「何のことです」
「とぼけんな」
「形は変えてるが、あの話、芯がこっちそのものじゃねぇか」
狐塚は、少しだけ顎を引いた。
「……ああ」
そこでようやく、肯定も否定もしない顔になる。
「気づきましたか」
「やっぱりてめぇか」
「やっぱり、って何です」
「同じようなことを考える人間が他にいても不思議じゃないでしょう」
「そういう逃げ方するのも、昔から変わんねぇな」
狐塚は肩をすくめた。
「では、そういうことにしておきましょう」
その言い方で、完全に確信へ変わった。
こいつだ。
黒曜会を率いてるのは、狐塚だ。
裏社会の話を描いて、順位で上にいて、
しかもその中身に、俺たちの関係性そのものを混ぜてきている。
腹の奥が、じわじわ熱くなる。
「趣味悪ぃな」
俺が言うと、狐塚は笑った。
「お互い様でしょう」
「でも、使えるものは使う」
「それだけですよ」
その返しは、妙に真壁めいていて、余計に腹が立った。
「気をつけてくださいね、真壁さん」
「順位で負けるのって、昔より痛いですよ」
「今度は、世界に見える形で負けるんですから」
俺は何も言わなかった。
言い返す言葉はいくらでもある。
だが今ここで吐いても、安っぽくなるだけだ。
だから、ただ狐塚を見た。
こいつが黒曜会。
こいつが、俺たちの上にいる。
しかも、俺との関係そのものを、作品の燃料にしている。
だったら――
もう、ただの順位争いじゃない。
廊下を歩いて外へ出るまで、ずっとその感覚が消えなかった。
車に乗り込む前、相良が短く言った。
「……何かあったか」
「ありました」
「狐塚か」
「ええ」
相良は煙草に火をつけながら言う。
「目が完全に昔の喧嘩前だな」
「そんな顔してますか」
「してる」
それ以上は言わなかった。
俺も言わなかった。
だが、もうはっきりしていた。
黒曜会。
狐塚。
裏社会。
ランキング。
全部、一本の線で繋がった。
そしてその線は、多分もう、どちらかが上を取るまで切れない。
読んでいただいてありがとうございます!
オッサン同士でなにやってんだか…
読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。
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