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18話 霧の向こう

黒曜会の作品を開いた瞬間、部屋の空気が少し変わった。


誰も軽口を叩かない。


表紙。

タイトル。

紹介文。

サンプル。

どこを見ても、“分かってる”顔をしていた。


若さや綺麗さだけで押しているわけじゃない。

だが重すぎもしない。

義理、裏切り、執着、裏社会。

こっちが今ようやく言葉にし始めたものを、向こうはもっと慣れた手つきで棚へ置いている。


「……腹立つな」


俺が言うと、久瀬が頷いた。


「うん」

「こういうの、一番腹立つ」

「自分と近い土俵で、自分より上手いの見る時が一番嫌」


早乙女は、サンプルページをじっと見ていた。


「上手い、ですね」


「上手い」


水島が言う。


「しかも、上手いだけじゃない」

「ちゃんと売り場で勝つ形にしてる」

「作家の熱もあるし、編集の目も入ってる」


「編集の目?」


俺が訊くと、水島はサンプルの一ページを指差した。


「ここ」

「本来ならもう少し湿っぽくなる題材なのに、読者が離れる一歩手前でちゃんと軽くしてる」

「たぶん、作家一人じゃこうはならない」


久瀬が腕を組んだ。


「つまり、向こうもチームってことか」


「その可能性が高い」


そこで俺は、画面のサークル名をもう一度見た。


黒曜会


気に食わねぇ。

そのくせ、目が離せない。


「読むぞ」


俺が言うと、早乙女が顔を上げた。


「全部ですか?」


「全部じゃなくていい」

「勝ってる理由が分かるとこだけ拾う」


水島が頷く。


「それでいい」

「分析は嫉妬しながらやるのが一番正確だ」


「嫌な言い方だなぁ」


早乙女が言う。


「でも分かります」


それから、四人で黒曜会の作品を読んだ。


誰がどう反応するか。

どこでページをめくらされるか。

どの台詞が残るか。

何が“裏社会っぽさ”として機能しているか。


早乙女は関係性の熱を拾った。

久瀬は見せ場の位置を見た。

水島は売り場で止まる理由を言語化した。

俺は、その全部を聞きながら、画面の向こうの連中の顔を想像していた。


どういう連中だ。

どんな顔で、こんなもんを作っている。


俺たちと同じように、誰かの傷を金に変えてるのか。

それとも、もっと綺麗な場所から泥を見下ろして書いてるのか。


「真壁」


水島が言う。


「あ?」


「聞いてるか」


「聞いてる」


「嘘つけ」

「今、完全に顔で喧嘩してたぞ」


「してねぇよ」


「してた」


早乙女が言う。


「完全に“この野郎”って顔でした」


「うるせぇ」


だが、自分でも分かっていた。

ただ競合作品を読んでいるだけじゃない。

順位で殴られた気がしていた。


十位に入った。

上納も入れた。

流れは悪くない。

それでも、もっと上に、同じ匂いの連中がいる。


だったら、意識しない方が無理だった。


分析が一段落したのは、夜が更けた頃だった。


水島がメモを整理する。


黒曜会は“裏社会感”を記号でなく生活感で出している

関係性は重いが、売り場では重く見せすぎていない

タイトルが強い

一作ごとの軸が明確

客の欲しい傷を分かって置いている


「要するに」


久瀬が言う。


「同じ土俵で、向こうの方が慣れてる」


「そうだな」


水島が返す。


「こっちはまだ、熱で走ってる部分が多い」

「向こうはたぶん、それを何本も積んできた手つきだ」


早乙女が机に顎を乗せた。


「勝てますかね」


「すぐには無理だな」


水島が即答する。


「でも、無理じゃない」


俺はその言葉を黙って聞いていた。


すぐには無理。

でも無理じゃない。


その曖昧さが、妙に良かった。


翌日、組へ顔を出すと、そっちの空気もまた変わっていた。


前よりも露骨に、人が寄ってくる。


若い衆は頭を下げる角度が深くなり、

山口は何かと声をかけてくる。

顔を知らない連中まで、

「今度ご挨拶を」とか

「何かあれば使ってください」とか、

そんなことを言い始めていた。


金が回ると、急に人は笑う。


「若頭補佐、最近すごいですね」


若いのが言う。


「何がだ」


「いや、景気いいって聞いてます」


「誰から」


「みんなですよ」


みんな。


便利な言葉だ。

責任の所在がない。


俺は愛想笑いもせずに流したが、胸のどこかで妙に冷めたものがあった。


応接間へ入ると、相良が帳簿を見ながら言った。


「真壁」


「はい」


「次の本家の寄り合い、お前も顔出せ」

「親父さんの件が落ち着いたら、立場を少し動かす話が出るかもしれん」


その一言に、部屋の空気が少しだけ止まる。


「……出世、ですか」


「まだ分からん」

「だが、今の流れなら名前は上がる」


相良の声は相変わらず冷たい。

だが、前よりほんの少しだけ、俺を“置き物”として見ていない感じがした。


「ありがとうございます」


「礼を言うな」

「結果があるから上がるだけだ」

「止まれば落ちる」


「分かってます」


「分かってる顔じゃないな」


「どういう顔です」


相良は煙草に火をつけながら言った。


「妙に静かだ」

「もっと浮かれてもいい場面だろ」


俺は少しだけ考えてから答えた。


「浮かれてる暇がねぇんです」


「それだけか」


「……人の心なんて、分からねぇですから」


相良の目が少しだけ細くなった。


「何だ急に」


「最近、やたら周りが寄ってくるんで」

「でも、今の調子が続いてる間だけだろうなって」


俺は前を見たまま言った。


「景気がよくて、金があって、上へ行きそうなら人は寄る」

「でも崩れたら、すぐ離れる」

「そういうの、今まで嫌ってほど見てきたんで」


相良はしばらく黙っていた。

それから、煙を吐いて小さく言った。


「賢くなったな」


「元からですよ」


「それを今さら言うのが遅いんだ」


その返しに、少しだけ笑った。


部屋を出たあとも、相良の言葉が妙に残っていた。


賢くなった、じゃない。

ただ、ようやく分かっただけだ。


人の心は霧だ。


誰が本当に何を考えてるかなんて分からない。

笑ってる顔も、頭を下げる角度も、結局は流れで変わる。


組だってそうだ。

学校だってそうだった。

社会なんて大体、そんなものなんだろう。


じゃあ、何が残る。


車に戻るまでの短い道で、ふと頭に浮かんだのは、あの部屋だった。


液タブの光。

紙の匂い。

久瀬の毒。

早乙女の面倒な熱。

水島の感じの悪い正論。


純粋に創作を楽しんで、

一コマの位置や台詞の重さで本気になって、

売り方も、傷の置き方も、作品の顔も、みんなで揉めているあの時間。


本当の意味での仲間って、もしかしたらあいつらなのかもしれない。


そう思った瞬間、少しだけ胸の奥が熱くなった。


俺は、組長に拾われた。


居場所をもらった。

どうしようもないガキだった俺に、

「ここにいろ」と言ってくれる場所があった。


だから今度は、自分が作る番なのかもしれない。


どうしようもない奴らに、

どうしようもないままでいられる場所を。


そして、その場所で作った作品で――

一位を取りたい。


ただ金のためじゃない。

ただ上納のためでもない。


このチームで、一位を取りたい。


その思いが、自分でも驚くくらい、はっきり形になっていた。


夜、部屋へ戻ると、三人がいつものように机を囲んでいた。


「遅い」


水島が言う。


「組だ」


「顔つき変わったな」


久瀬が言う。


「何が」


「なんか決めてきた顔」


早乙女が、にやっと笑う。


「分かります」

「真壁さん、今ちょっと主人公っぽいです」


「うるせぇ」


だが、否定もしなかった。


俺は椅子に座り、画面の中のランキングを見た。

十位以内にはまだうちがいる。

だが、その上に黒曜会もいる。


同じような泥を描いて、

俺たちより上にいる連中。


「なあ」


俺が言うと、三人がこっちを見る。


「一位、取りてぇ」


早乙女が目を丸くする。


久瀬が少しだけ笑う。


水島は、静かに言った。


「やっと言ったな」


「前から思ってたのか」


「顔に出てた」


「そうかよ」


早乙女が、少しだけ嬉しそうに笑った。


「いいですね」

「私も、そういうの好きです」


久瀬も頷く。


「負けたまま分析して終わるの、気持ち悪いしね」


水島はメモを閉じる。


「ただし、簡単じゃない」

「黒曜会は普通に強い」

「今の順位争いも、正直かなりきつい」


「分かってる」


俺は画面を見たまま答えた。


「でも、やる」


その言葉に、誰も笑わなかった。


部屋の空気が、ほんの少しだけ張る。


黒曜会は強い。

順位も上だ。

こっちはまだ積み上げの途中だ。

追いつける保証なんてどこにもない。


それでも、このチームならやりたいと思った。


金だけで寄ってくる霧みてぇな連中じゃない。

純粋に、面白いもんを作りたいと思ってるこいつらと。


「じゃあ」


水島が静かに言う。


「勝ち方を考えるか」


その声に、三人とも頷いた。


だが、その夜すぐに順位がひっくり返るわけじゃない。


黒曜会は、相変わらず上にいた。

うちの作品も伸びている。

それでも、抜けない。


追う。

届かない。

また少し追う。

それでも、まだ上にいる。


ランキングの数字は冷たかった。


画面の中のほんの数段の差が、

今の俺たちと、向こうの積み上げたものの差そのものみたいに見えた。


それが、やけに腹立たしかった。

読んでいただいてありがとうございます!


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

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