17話 順位
久瀬透子が入ってから、流れは目に見えて変わった。
早かった。
何もかもが、少しずつ早くなった。
売れ線のネームは、俺がネタを出し、水島が削り、久瀬が形にする。
早乙女はその横で、自分のBLラインを切りながら、時々こっちのラフにも口を出す。
四人になると、机の上の空気そのものが変わるらしい。
一人が詰まっても、別の誰かが前へ押す。
一人が死にそうな顔をしていても、別の誰かが「そこ弱い」「ここは止まる」「その台詞は浅い」と容赦なく刺してくる。
最悪だ。
だが、回る。
それが一番大きかった。
「ここ、見せ場早すぎる」
久瀬がラフを見ながら言う。
「最初の二ページは引きでいいけど、そのあと一回だけ落とした方が残る」
「読者って、ずっと煽られると逆に感情置けないから」
「それ、前に水島さんも言ってました」
早乙女が言う。
「じゃあ正しいんだろ」
水島が当然みたいな顔で返す。
「何その言い方」
「編集二人いると感じ悪さ二倍ですね」
「お前も大概だ」
俺が言うと、早乙女は舌を出した。
前みたいに真っ青な顔で机に張りついているだけじゃない。
相変わらず疲れてはいるが、少なくとも、もう吐く寸前の顔ではなかった。
それだけで十分だった。
「真壁」
水島が売上のメモをこっちへ寄こす。
「今月分、そろそろ固まる」
俺は紙を引き寄せた。
売れ線一本目、二本目。
久瀬が入ってから調整した一本。
早乙女の短いBL。
それぞれの数字が並んでいる。
前より明らかに安定していた。
一発の当たりじゃない。
ちゃんと継続して伸びている。
浮き沈みはあるが、死なない。
これが一番大きい。
「……いけるな」
俺が言うと、水島が頷く。
「上納はまとめられる」
その一言で、肩の奥の力が少しだけ抜けた。
やっとだ。
狐塚に増やされた分。
若頭の顔。
組の空気。
その全部に対して、ようやく「今月は払える」と言えるだけの数字が見えてきた。
早乙女が、コーヒーの缶を揺らしながら言う。
「そんなに違います?」
「違う」
俺は短く答えた。
「組の金ってのは、“足りるかどうか”が全てだ」
「足りるなら文句は減る」
「足りなきゃ、急にみんな正義面する」
「嫌な世界ですねぇ」
「お前らの世界も似たようなもんだろ」
「まあ、売れないと急に“作品性”がどうとか言われますね」
「一緒じゃねぇか」
久瀬が、ラフをめくりながら小さく笑った。
「だから合うのかもね」
「ヤクザと作家」
その言い方は、少しだけ気に入らなかったが、否定もしづらかった。
その夜、俺は相良のところへ上納を持っていった。
前より、紙袋が重い。
だが、気分は少し軽い。
相良は金額を確認し、煙草を灰皿へ押しつけて言った。
「……今回は、ちゃんと持ってきたな」
「はい」
「焦げつきそうな顔してたのに」
「まだ余裕はありません」
「余裕ある奴は最初からこんな場所にいない」
それはそうだ。
相良は少しだけ俺を見た。
「最近、組の中もお前を見始めてる」
「勘違いするなよ」
「してません」
「してる顔だ」
「してません」
相良は苦く笑った。
「まあいい」
「金を持ってくる間は、誰も文句を言わん」
その言葉が、ありがたくもあり、気持ち悪くもあった。
結局、そういう世界だ。
金が全てじゃないと言う奴ほど、最後は金で態度を変える。
だが今は、その分かりやすさがありがたかった。
帰り道、コンビニで缶コーヒーを買って、車の中で一息つく。
携帯を見ると、早乙女からメッセージが来ていた。
「上納いけそうですか」
俺は少し考えてから返信した。
「いけた」
すぐに返ってくる。
「やった」
それだけだった。
だが、その二文字が妙に胸に残った。
部屋へ戻ると、三人がまだ起きていた。
早乙女が真っ先に顔を上げる。
「どうでした?」
「問題ねぇよ」
「ほんとに!?」
「おう」
その瞬間、早乙女が机をばんっと叩いた。
「やったぁ!!」
久瀬がうるさそうに眉をひそめる。
「近所迷惑」
「でもやったじゃないですか!」
水島はそれより先に、売上表の端へ今日の日付を書き足した。
「これで一回、息ができるな」
「一回って何だよ」
俺が言うと、水島は当然みたいに返す。
「一回は一回だ」
「ずっとじゃない」
「夢がねぇな」
「現実だ」
だが、現実のくせに少しだけ嬉しかった。
上納が入った。
組長の手術代にもまた少し近づいた。
机の上の原稿も回っている。
四人とも、まだ逃げていない。
それだけで、今日は十分だった。
「なあ」
早乙女がパソコン画面を見ながら言った。
「あ?」
「ちょっと見てくださいよ」
「何だ」
「ランキング」
その言い方に、俺は少しだけ眉をひそめた。
「また見てんのか」
「見ますよそりゃ!」
「だって今どこにいるか気になるじゃないですか!」
「数字で壊れるタイプだな」
久瀬がぼそっと言う。
「久瀬さんに言われたくないです」
「私はもう壊れた後なんだよ」
「重っ」
俺はため息を吐きながら、早乙女の後ろへ回った。
画面には販売サイトのランキングが出ている。
一覧を下へ追いかけていくと――
「あ」
早乙女が小さく声を上げた。
「十位……」
俺もそこで止まった。
うちの作品のひとつが、ランキング十位以内に入っていた。
画面の中に並ぶ表紙の中で、
見覚えのあるタイトルと、見覚えのある顔が、ちゃんとそこにある。
一瞬、何も言えなかった。
「……入った」
早乙女が呟く。
「入ってる」
「おう」
「十位以内ですよ!?」
「見りゃ分かる」
「いやでも十位以内ですよ!?」
さっきまで近所迷惑とか言っていた久瀬まで、少しだけ身を乗り出してきた。
「ほんとだ」
「早」
水島は目を細める。
「悪くない」
「かなりいい」
その言い方は抑えていたが、口元は少しだけ緩んでいた。
早乙女は完全に浮かれている。
俺の腕を掴んで、画面をばんばん指差した。
「見てくださいよ真壁さん!」
「十位ですよ!」
「ちゃんと十位!!」
「落ち着け」
「無理です!!」
久瀬が少しだけ笑う。
「まあ、気持ちは分かる」
「最初に自分の名前が上の方にあると、脳が変な音するよね」
「しますよね!?」
「する」
「で、そこから壊れる」
「何でみんな最後嫌なこと言うんですか」
そのやり取りに、さすがに少し笑った。
俺も嬉しかった。
ランキング。
目に見える順位。
数字とはまた別の、生々しい上下だ。
組にも序列がある。
学校にもあった。
世の中は、結局どこへ行っても順位が好きなんだろう。
そして、多分――俺も嫌いじゃない。
「なあ」
俺は画面を見ながら言った。
「もっと上、見れるか」
早乙女が、にやっと笑う。
「見ます?」
「見ろ」
ランキングを上へスクロールする。
九位。
八位。
七位。
どれも売れている顔だった。
強い表紙。強いタイトル。強い煽り。
水島が昔言っていた、“一秒で何の快楽か伝わる”棚だ。
「上、やっぱ強いですね」
早乙女が感心したように言う。
「そりゃそうだ」
水島が返す。
「ここから先は、ちゃんと勝ち続けてるやつらだ」
さらに一つ、上へ。
そこで、久瀬の指が止まった。
「……あれ」
「あ?」
画面の一点を、久瀬がじっと見ている。
そこにあったのは、うちより上の順位にいるサークルだった。
表紙は暗い。
若い綺麗さで押すタイプじゃない。
少し年齢のある男たち。
スーツ。
煙草。
路地裏。
傷。
血じゃないが、血の匂いがする。
タイトルも、妙に引っかかった。
『泥の盃にくちづけを』
「何だこれ」
俺が言うと、早乙女が画面を開いた。
紹介文が出る。
義理と裏切り、盃と執着。
表では笑い、裏では喰い合う男たちの、どうしようもない共依存。
極道の底でしか育たない愛を描く、裏社会BL。
部屋が少し静まる。
「……モロじゃないですか」
早乙女が呟く。
「同じ匂いだな」
久瀬が言う。
「しかも、かなり上手い」
「売れ線じゃないのに、ちゃんと棚で止まる顔してる」
水島が、画面をじっと見ていた。
「ただの雰囲気ものじゃない」
「これ、かなり分かってる」
俺は紹介文をもう一度読んだ。
義理。
裏切り。
盃。
執着。
裏社会。
どれも、俺たちが今まさに使っている言葉だった。
こっちと同じように、いや、こっちより洗練された形で。
「サークル名は」
俺が訊くと、早乙女が画面を指差した。
『黒曜会』
その名前に、何となく嫌な感じがした。
「知らないですか?」
早乙女が訊く。
「いや」
俺は首を振る。
「ただ、気に食わねぇ名前だ」
久瀬が少し笑う。
「完全に因縁つけるヤクザの言い方」
「うるせぇ」
水島が作品ページを開き、表紙、サンプル、紹介文を流し見していく。
その目が、少しずつ鋭くなる。
「……真壁」
「あ?」
「これ、読むぞ」
「何でだ」
「勝つためだよ」
その言い方が、妙に静かだった。
「同じような傷を扱ってるのに、向こうの方が上にいる」
「だったら理由がある」
「見ないと分からない」
早乙女が、少しだけ嫌そうな顔をした。
「またランキング上位読むんですか」
「読む」
「嫉妬しても読む」
久瀬も頷く。
「むしろ嫉妬するから読まないと駄目だよね」
「うわ」
「この二人、創作者としてはまともだ……」
「どういう意味だ」
「私より」
その返しに、全員が少しだけ笑った。
だが、笑いながらも、画面の上のサークル名は消えなかった。
黒曜会
裏社会の話を描いて、
俺たちより上にいる連中。
偶然かもしれない。
ただの競合かもしれない。
それでも、胸の奥に小さな棘みたいなものが刺さった。
「……面白ぇな」
俺が言うと、水島がこっちを見る。
「何が」
「こっちだけじゃなかったってことだ」
「同じような泥水すすって、それを売り物にしてる連中が、上にいる」
早乙女が小さく息を呑む。
「勝ちたい、って顔してますね」
「してるか」
「してます」
久瀬が、コーヒーの缶を揺らしながら言う。
「まあ、分かる」
「十位入った直後に、同じ畑のもっと上手いの見せられたら、そりゃ燃える」
水島は画面から目を離さずに、静かに言った。
「次の敵だな」
その一言で、部屋の空気が少し変わった。
上納は入った。
一息つけた。
でも、もう次が見えてしまった。
順位。
上のサークル。
同じ匂い。
同じ泥。
でも、向こうの方が上。
だったら――
見に行くしかない。
俺は画面の中の表紙を、しばらく黙って睨んだ。
黒曜会。
泥の盃にくちづけを。
気に食わねぇ。
だが、多分それだけじゃない。
この気持ちはもっと単純だ。
抜きたい。
その感覚に気づいた時、胸の奥で何かが鳴った。
金のためだけじゃない。
メンツのためだけでもない。
もう少し別の、厄介な欲だった。
読んでいただいてありがとうございます!
順調にいくチーム。真壁たちは順位にも目をつけ始めます。
ですがそこには不穏なサークルの影が・・・・・
読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。
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