表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/18

14話 絆

売れ線は、正しかった。


それが一番、厄介だった。


若くて、綺麗で、危ない匂いがして、何を売っているか一目で分かる。

水島が形を整え、俺が売り文句を通し、早乙女が描く。

その流れは、もう半ば作業として回り始めていた。


数字も出る。

反応も早い。

売上も前より目に見えていい。


だからこそ、止める理由が見つからなかった。


「次のネーム、今日中に頭だけでもくれ」


俺がそう言うと、早乙女は液タブの前で小さく頷いた。


「……はい」


返事はする。

だが、その声には前みたいな熱がない。


机に向かい、ペンを握り、線を引く。

その手は止まらない。

止まらないのに、どこか死んでいた。


水島は横で構成メモを見ながら、時々口を出す。


「そこ、顔が弱い」

「距離をもっと詰めろ」

「一ページ目で関係性が分かるようにしろ」


早乙女は黙って修正する。


俺は売上の推移を見ていた。

前作。

売れ線一本目。

売れ線二本目。

数字だけ見れば、答えは出ている。


このまま押せばいい。


そう思った時だった。


後ろで、椅子ががた、と鳴った。


振り返ると、早乙女が立ち上がっていた。


顔色が悪い。

いや、悪いなんてもんじゃない。

青い。


「おい」


声をかける前に、早乙女は口を押さえて流しへ走った。


次の瞬間、吐く音がした。


部屋の空気が一気に冷える。


俺は立ち上がった。

だが一歩遅れて、水島が先に動く。

流しの横へ行き、無言で髪を押さえ、背中をさする。


早乙女は細い肩を震わせながら、何度かえずいていた。


胃の中はもう空らしく、苦しそうな音だけが続く。


「……何やってんだ」


思わず口から出た。


早乙女は答えない。

答えられる状態じゃない。


水島が、振り返りもせずに言った。


「見て分からないか」


その声が、妙に冷たかった。


「限界だ」


短い一言だった。


「大げさだろ」


俺が言うと、水島はゆっくり立ち上がった。

顔色の悪い早乙女を流しにもたれさせたまま、こっちを見る。


「大げさじゃない」


「吐いただけだ」


「吐くまで無理させたんだよ」


その言い方が気に食わなかった。


「無理って何だ」

「こっちは仕事してるだけだろ」


「仕事?」


水島の目が細くなる。


「数字のために、好きでもないものを描かせ続けて、

顔色も見ずに締切だけ押して、それを仕事って呼ぶのか」


「呼ぶだろ」

「結果が出てる」


「結果が出てるから壊していいのか」


俺は一歩前へ出た。


「壊れる壊れないで済む話じゃねぇんだよ」

「こっちは組の金も、手術代も、上納もある」

「待ってくれるもんなんて一つもねぇ」


「分かってる」


水島も一歩も引かない。


「分かってるから言ってる」

「これ以上やらせたら、本当に壊れる」


「壊れねぇよ」

「描けてるだろ」


「描けることと壊れないことは別だ」


「同じだろ」


「違う!」


水島が初めて声を荒げた。


部屋が静まり返る。


流しの前で、早乙女が小さく肩を揺らした。


水島は低い声で続ける。


「描けるよ、作家は」

「嫌でも描ける。熱がなくても描ける。身体が動くうちは、形にできる」

「でも、それを続けた先で何が残る」

「数字だけだ」

「作家の中身は死ぬ」


「綺麗事だな」


「綺麗事じゃない」

「何人も見てきた」

「結局全部お前の都合を押し付けているだけだ!

いい加減にしろよ!」



その言い方が、妙に腹に障った。


だから何だ。

こっちは今まさに目の前の現実に追われている。


俺は水島の胸倉を掴んだ。


「だったらてめぇが何とかしろよ」


水島の身体は驚くほど軽かった。

細い。

こんな奴を掴んだところで、力任せに壊せてしまいそうなくらいに。


だが、水島は目を逸らさなかった。


「殴るなら殴れ」


静かな声だった。


「でも、その後でまだ“誰も殴らない商売”やってるつもりでいられるならな」


拳に力が入る。


このまま顔面を殴れば、きっと少しはすっきりする。

売れ線の話も、作家の機嫌も、上納の重さも、一瞬だけ忘れられるかもしれない。


だが、その言葉が妙に引っかかった。


誰も殴らない商売。


そのために始めたはずだった。


俺は水島を睨んだまま、ふと別の違和感に捕まった。


「……なあ」


「何だ」


「何でだ」


「は?」


「何で、早乙女は逃げねぇ」


水島の眉がわずかに動く。


「今の状況、嫌ならいくらでも逃げられただろ」

「売れ線やらされて、数字で急かされて、好きでもねぇもん描かされて」

「普通なら、とっくにどっか行っててもおかしくねぇ」


水島は答えなかった。


代わりに、流しの前の早乙女が、小さく笑った。


笑った、ように見えた。


「……逃げてもよかったんですけどね」


かすれた声だった。


俺は水島の胸倉から手を離した。

水島も何も言わず、ただその場に立っている。


早乙女は口元を拭いて、ゆっくりこちらを向いた。


顔色は悪い。

目元も赤い。

それでも、ちゃんと立っていた。


「嬉しかったんです」


「何がだ」


早乙女は少し考えるみたいに間を置いて、それから言った。


「ここにいるのが」


部屋が静かになる。


「私、こんな性格じゃないですか」


「自分で言うな」


「自覚ありますよ」

「変だし、面倒だし、BLの話すると止まんないし」

「だから友達もあんまりいなかったです」

「私の漫画、理解してくれる人も、そんなにいなかった」


俺は何も言わない。


早乙女は続けた。


「ずっと孤独でした」

「でも、どっかで信じてたんですよ」

「こんなどうしようもない漫画でも、見てくれる人はいるんじゃないかって」

「そう思って、ずっと描いてきた」


その声は弱いのに、不思議とまっすぐだった。


「真壁さんが、お金貸してくれたのも嬉しかったです」


「……は?」


「普通なら切り捨てられて終わりでしょ」

「売れないBL描いてる借金まみれの女なんて」

「でも、真壁さんは怒鳴って脅して、

最悪だとか言いながら、結局ちゃんと待ってくれたし、見捨てなかった」


それは、そんなたいしたことじゃない。

そう言い返しかけて、言葉が出なかった。


早乙女は少しだけ笑った。


「恩を返したかったんです」


その言い方に、胸の奥がわずかに軋む。


「それに」

「ここにいる間、みんな本気だったじゃないですか」


水島が目を伏せる。

俺は動けない。


「真壁さんは真壁さんで、本気で売ろうとしてたし」

「水島さんは水島さんで、本気で届く形を考えてたし」

「私も、そんな二人と本気で漫画の話してる時間、すごく嬉しかった」


早乙女はそこで一度言葉を切った。


「私、ああいう時間、あんまり知らなかったんです」


その一言が、一番きつかった。


真剣で、ひたむきに、漫画の展開を語り合う時間。

そんなもん、当たり前みたいにあると思っていたわけじゃない。

この女にとっては、それ自体が特別だった。


「だから、頑張りたかったんです」


早乙女は俺を見た。


「ちゃんと売りたかったし、真壁さんにも恩返ししたかった」

「ここにいる時間を、無駄にしたくなかった」


そこまで聞いて、ようやく拳の力が抜けた。


数字だの、上納だの、メンツだの。

確かに全部、現実だ。

重いし、待っちゃくれない。


だが、それだけじゃなかった。


俺も、楽しかったんだと思う。


液タブの前で、くだらねぇくらい真剣に一コマの意味を揉めて、

水島の嫌味を聞いて、

早乙女のBL論に呆れて、

そのくせ、少しずつ形になっていくのを見ている時間が。


嬉しかったのかもしれない。


「……そうか」


それしか出なかった。


早乙女は小さく頷いた。


俺は、水島を見た。


さっきまで殴ろうとしていた相手だ。

だが、水島は一歩も引いていない。

その目だけが、静かにこっちを見ていた。


俺は拳を下ろした。


「悪かった」


口にすると、思ったより軽かった。

だが、その軽さが逆に痛かった。


水島は少しだけ息を吐いた。


「分かればいい」


「偉そうだな」


「今のは偉そうに言っていい場面だろ」


それには、さすがに何も返せなかった。


少しの沈黙。


扇風機が、ぶぉんと安い音を立てる。


俺は机の上の売上メモを見た。

数字はまだそこにある。

消えたわけじゃない。

上納も消えない。

狐塚も、組も、待ってくれない。


だが、それでも。


「水島」


「あ?」


「いい案、ないか」


水島が眉を上げる。


「何の」


「数字も落としすぎず、早乙女も壊さねぇやり方だ」

「あるなら言え」


水島はしばらく黙っていた。

多分、俺が相談したこと自体が少し意外だったんだろう。


それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「ようやく会議になったな」


「うるせぇ」


「あるよ」


即答だった。


「あるのかよ」


「ただし、簡単じゃない」

「売れ線と、早乙女さんのBLを切り分ける」

「短い呼吸を入れる」

「同じ作家に一本化しない」

「あと、ラインを分ける」


早乙女が目を瞬かせる。


「ライン?」


「そう」

「一つの売れ線と、一つの好きなもの」

「どっちも同時に走らせる」

「そのために、今の売れ線は完全に早乙女さん一人で抱えない形にする」


俺は腕を組んだ。


「できるのか」


「やるしかない」

「じゃないと、このチームはここで終わる」


早乙女が、流しにもたれたまま小さく笑った。


「最悪」

「でも、ちょっとだけ希望ありますね」


その顔はまだ青い。

だが、さっきまでより少しだけ生きていた。


俺は短く息を吐いた。


「じゃあ詰めるぞ」


「鬼」


早乙女が言う。


「休ませろ」


「休め」

「でもその後は、三人で考える」


水島が少しだけ目を細めた。


「命令じゃなくなったな」


「相談にしただけだ」


「進歩だよ」


「偉そうだな」


「今日はそういう日だ」


そう言って、水島は机の紙を引き寄せた。


俺も椅子を引く。

早乙女はまだすぐには戻れないだろう。

だが、少なくとも、もう逃げる顔はしていなかった。


数字は欲しい。

上へも行きたい。

それでも、ここで壊したら意味がない。


やっと、その当たり前に辿り着いた気がした。

読んでいただいてありがとうございます!


もしかすると真壁はようやく人間としての第一歩を踏み出しているようにも感じます。

そもそも、見られなきゃ意味がないので名前が売れるまでは売れ線で良いのでは?

というのは一旦おいておきます。


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

リアクション、レビュー、感想、ブックマークよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ