表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

11話 狐塚

本家の建物は、昔ながらの威圧感をまだ残していた。


表札は控えめなのに、門も玄関もやたらと広い。

金があった頃の見栄が、そのまま骨組みだけ残っているみてぇだった。


車を降りる。

間下組の若頭、相良が先に着いていた。


黒のセダンにもたれ、煙草を吸っている。


「遅ぇ」


「時間前です」


「本家で時間前は遅ぇんだよ」


理不尽だが、その通りでもある。

上の人間を待たせない。

それだけで飯を食ってる世界だ。


俺は黙って頭を下げた。


相良は俺を一瞥し、煙草を落として踏み潰す。


「今日は余計なこと喋るな」


「分かってます」


「分かってねぇ顔だ」


「そんな顔してますか」


「してる」


それ以上は言わなかった。

相良は先に歩き出し、俺は半歩遅れてついていく。


玄関をくぐる。

空気が違う。

磨かれた床、静かすぎる廊下、低い声で交わされる挨拶。

同じヤクザでも、三次団体の事務所とは別の生き物だ。


上へ行くほど、暴力は見えにくくなる。

代わりに、序列と空気が首を締めてくる。


通されたのは、やけに広い応接間だった。


もう何人か来ている。

各団体の幹部連中。

顔は見たことがあっても、まともに話したことのない奴らばかりだ。


視線だけがこっちへ向く。


間下組の若頭と、その補佐。

今月妙に金回りがいいらしい末端。


そんな値踏みが、部屋の中に満ちていた。


相良は慣れた顔で一礼し、俺も頭を下げる。

席に着く。

末席に近い。

当然だ。


だが、座って数秒で、その場にいる“最悪の顔”を見つけた。


狐塚だ。


部屋の奥。

俺より二つ上の席で、何食わぬ顔をして座っている。

細い指で湯呑みを持ち、周囲の幹部に穏やかな顔で何か話していた。


上等なスーツ。

乱れのない髪。

笑っているのに、目だけが少しも笑っていない。


あの顔だ。


高校の教室で、

俺を“ここにいてはいけない人間”みたいに見ていた目と、

根っこは何も変わっちゃいない。


狐塚も俺に気づいた。


ほんの一瞬だけ、目が合う。

すぐに微笑む。

その笑い方が、心底気に食わなかった。


会合そのものは退屈だった。


情勢。

取り締まり。

シマの空気。

表に出せない金の流れ。

時代が変わってどうの、若いのがどうの。

上の連中は、昔ながらの言葉で今の現実を包もうとする。

だが中身はどんどん細っている。


俺は黙って聞いていた。


相良も、必要な時しか口を開かない。


問題は、その後だった。


一通りの話が終わり、空気が少し緩んだところで、上座の一人が相良へ視線を向けた。


「そういや間下のところ、今月は頑張ったらしいな」


相良が軽く頭を下げる。


「なんとか工面しました」


「へえ」


軽い相槌。

だが、その場の何人かがこっちを見る。

俺は無言のまま、膝の上で手を組んでいた。


そこで、狐塚が口を開いた。


「驚きましたよ」


柔らかい声だった。

場に溶ける、聞き心地のいい声。


「このご時世に、三次団体であれだけ上納をまとめるとは」

「相良さんの手腕か、真壁さんの才覚か」


やめろ、と心のどこかで思った。

この男がこういう言い方をする時は、ろくなことにならない。


上座の幹部が少しだけ興味を示す。


「真壁?」


狐塚は、あくまで穏やかに続けた。


「ええ。間下組の若頭補佐です」

「昔から、妙にしぶとい男でしてね」

「形はどうあれ、金を作る勘だけは鋭い」


“形はどうあれ”。


その一言に、薄く毒が混ざる。

だがこの場でそれを拾えるのは、多分俺だけだ。


上の人間は、面白そうに俺を見る。


「ほう」


狐塚は笑う。


「三次でこれだけやれるなら、まだ余力もあるんでしょう」

「今後も少し期待できるんじゃないですか」


部屋の空気が、わずかに動いた。


相良の指先が、膝の上で僅かに止まる。


やっぱりそう来やがった。


一見すれば持ち上げている。

だが本質は違う。


こいつは今、この場で、

間下組はまだ搾れる

と上に印象づけている。


たったそれだけだ。

なのに、その一言で首が締まる。


上座の男が鼻を鳴らした。


「そうか」

「なら、次からはもう少し見てもいいな」


軽い調子だった。

だが、その軽さの方が厄介だ。

決定はいつも、こういう軽い顔で下される。


相良がすぐに頭を下げる。


「ご期待に沿えるよう尽力します」


俺も一緒に頭を下げた。

腹の底が焼けるようだった。


狐塚は、湯呑みを口元へ運ぶ。

その横顔は何食わぬ顔だ。


俺はそいつを睨みたい衝動を、喉の奥で噛み殺した。


ここで感情を出したら終わる。

終わるのは俺だけじゃない。

組ごとだ。


会合が終わり、各団体が順に部屋を出ていく。


相良は無言だった。

その沈黙が、さっきの場面よりずっと怖かった。


廊下へ出る。

玄関へ向かう途中で、後ろから声が飛んだ。


「真壁さん」


足が止まる。


振り返らなくても分かる。

狐塚だ。


相良も足を止めたが、振り向かない。

そのまま先へ歩いていく。

お前で片付けろ、ということだろう。


俺はゆっくり振り返った。


狐塚は廊下の灯りの下で、相変わらず綺麗な顔をして立っていた。


「何だ」


「そんな顔をしないでください」


「どんな顔だ」


「昔と同じ顔ですよ」

「自分が不利だと分かってるのに、意地だけで睨んでくる顔」


やっぱり気に食わねぇ。


「てめぇ、わざとだろ」


狐塚は笑みを深くした。


「何のことです?」


「上納の話だ」


「ああ」

「わざとですよ」


即答だった。


一瞬、言葉が詰まる。


狐塚は壁にもたれず、まっすぐ立ったまま続ける。


「だって、せっかく景気がいいんでしょう?」

「なら、それくらい耐えてもらわないと」


「てめぇ……」


「怒るなよ」

「褒めただけです」

「真壁さんなら、まだやれるって」


その“まだやれる”が、高校の頃と同じ響きを持っていた。


もっとやれる。

お前なら耐えられる。

お前みたいな奴は潰れるまで使っても平気だ。


そういう意味だ。


「昔から、そうだよな」


俺は低く言った。


「勝てねぇところは、場ごと動かしてくる」


狐塚の目が少しだけ細くなる。


「勝てない?」


「試験もそうだった」

「真正面じゃ、てめぇはオレに勝てなかった」


その一言で、狐塚の笑みがほんの僅かに薄れた。


やっとだ。

少しだけでも、あの綺麗な顔にヒビが入るのを見ると腹の奥が少し冷える。


狐塚はすぐに笑い直した。


「懐かしい話ですね」

「でも今は違う」

「今の君は、結局三次団体の若頭補佐」

「私は直参だ」

「順位なんて、随分前に決まってるでしょう」


俺は一歩だけ近づいた。


「そうかよ」


「ええ」


「じゃあ何で、わざわざオレのところまで来る」


狐塚の目が、初めて少しだけ揺れた。


一秒もなかった。

だが確かに、揺れた。


「気になるからですよ」


「何が」


「昔から、君は妙にしぶとい」

「下にいるはずの人間が、何度でも上を見上げてくる」

「その目障りさが、今も変わってない」


「そっくり返すぞ」


「返せないでしょう」

「今の君には、守るものが増えたみたいだから」


その言い方で分かった。


こいつ、やっぱり何か知ってやがる。

全部じゃねぇ。

だが俺が今、昔と違う何かに手を出してることを、薄々は嗅いでいる。


「何を知ってる」


俺が訊くと、狐塚は肩をすくめた。


「さあ」

「でも、昔の君より、今の君の方がずっと面白い」


「面白い?」


「ええ」

「何を背負ってるのかは知らないが、その顔は昔よりいい」

「ようやく、自分の意思で何かを欲しがってる顔だ」


腹が立つ。

だが、少しだけ刺さる言葉でもあった。


狐塚はそれを見抜いたのか、口元を歪めた。


「気をつけてくださいね、真壁さん」

「中途半端に夢を見ると、人はろくな死に方をしない」


「てめぇに言われたかねぇよ」


「でしょうね」


狐塚はそれだけ言うと、すれ違うように歩き出した。


「次は、別の機会に会いましょう」


俺は振り返らなかった。


今ここで掴みかかれば、全部終わる。

組も、作品も、まだ形にもなってない俺の居場所も。


だから、拳は握ったまま開かなかった。


外へ出ると、夜風が生ぬるかった。


相良は車の横で待っていた。

煙草を吸っていない。

その代わり、顔が冷たかった。


「乗れ」


「はい」


車に乗り込む。

ドアが閉まる。


発進して数分、相良は何も言わなかった。

それが逆に胃に悪い。


やがて、赤信号で止まったところで、ようやく口を開いた。


「……お前、狐塚と何がある」


「昔の知り合いです」


「そういう目じゃなかったな」


「向こうも同じです」


相良は前を向いたまま言う。


「嫌いな相手に見せる顔じゃない」

「潰したい相手に見せる顔だ」


さすがに、少しだけ驚いた。

この人、ちゃんと見てやがる。


「だったら何です」


「知らん」

「だが、今日のあれでうちの上納は増える」

「それだけは事実だ」


信号が青に変わる。

車が動き出す。


「作れます」


俺は低く言った。


相良が一瞬だけこちらを見る。


「来月分か」


「はい」


「本当にか」


「作るしかありません」


相良は少しだけ鼻で笑った。


「そうか」

「なら、作れ」


それだけだった。


信頼でも期待でもない。

ただの命令だ。

だが、その冷たさが逆にありがたかった。

下手に情を見せられるより、よほどやりやすい。


窓の外に、流れる夜の街が見える。


店の灯り。

コンビニ。

信号待ちの若い連中。

誰もこっちのことなんざ知らねぇ顔で歩いている。


俺はその光景を見ながら、さっき狐塚に言われた言葉を反芻していた。


ようやく、自分の意思で何かを欲しがってる顔だ。


気に食わねぇ。

だが、全部否定もできなかった。


昔はオヤジのためだった。

組のためだった。

恩義のためだった。


今は違うのかもしれない。


作品を売りたい。

順位を上げたい。

読ませたい。

届かせたい。


その先にあるものが何なのか、まだはっきりとは言えねぇ。

だが少なくとも、もうただの金だけじゃなかった。


車が、見慣れたアパートの前で止まる。


「行け」


相良が言う。


「明日から忙しくなる」

「お前のその金の作り方、俺は知らん」

「だが持ってくるなら口は出さん」

「その代わり、半端な額なら次はないと思え」


「分かってます」


「あと」


相良はハンドルに片手を置いたまま、淡々と言った。


「狐塚に煽られて、くだらん喧嘩をするな」

「お前が落ちたら、得するのは向こうだけだ」


俺は短く頷く。


「……はい」


車を降りる。

ドアが閉まる。

相良の車はそのまま走り去った。


アパートの二階を見る。

早乙女の部屋の灯りが、まだ点いている。


あの灯りを見て、少しだけ胸の奥が静かになった。


本家では、序列と金の話しかなかった。

だがこっちには、まだ出来上がっていない何かがある。


それを守りたいと思った。

腹立たしいくらい、はっきりと。


俺は階段を上がった。


さっき狐塚に増やされた上納の重さが、肩にのしかかっている。

だがその重さごと、今度はこっちの燃料にしてやる。


俺は早乙女のアパートの前まで歩く。


ドアの前に立ち、軽くノックする。


中から早乙女の声が飛んだ。


「誰ですか」


「オレだ」


「遅い!」


「うるせぇ。開けろ」


鍵が開く。


部屋に入ると、水島が机に向かったまま言った。


「どうだった」


俺は上着を脱ぎ、椅子に投げた。


「最悪だ」


「よかった」


早乙女が言う。


「じゃあ、ちゃんと話が動きますね」


「何でだよ」


「真壁さんの“最悪”は、だいたい次の展開が来る時なんで」


その言い方に、少しだけ笑った。


水島が振り返る。


「狐塚、いたか」


「ああ」


「何された」


「褒められた」


早乙女が嫌そうな顔をする。


「それ絶対、ろくでもない褒め方ですよね」


「当たりだ」

「おかげで来月から上納増額だ」


二人が一瞬黙った。


早乙女が口を開く。


「……え、重くないですかそれ」


「重い」


「それでもやるんですか」


「やる」


即答だった。


水島がしばらく俺を見ていたが、やがて小さく頷いた。


「じゃあ、こっちも急ぐか」


「何か進んだのか」


「表紙の方向性は固まった」

「紹介文も、あと少し」

「それと――」


水島が机の上の紙を俺に差し出した。


そこには、大きく一文だけ書かれていた。


かっこ悪いのに、最後までかっこつけてしまう男たちの話。


俺はその字を、しばらく黙って見た。


「……悪くねぇ」


早乙女が少し笑う。


「でしょ?」


俺は紙を机に戻した。


「じゃあ、やるぞ」


「何を」


水島が訊く。


「来月の上納ごと、ひっくり返せるくらい売る準備だ」


部屋の空気が、また少しだけ動いた。


もう戻れない。

戻る気もない。


だったら――

やれるだけやる。


俺は椅子を引き、机についた。


夜は、まだ長かった。

読んでいただいてありがとうございます!


世の中は思い通りにはいかないものです。

上手くいったはいいものの上納金を上げらてしまいました。

よって真壁たちは方針転換を迫られます。


読み終わりましたら上の☆マークを五つ分頂けますと幸いです。

リアクション、レビュー、感想、ブックマークよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ