マリーヌはアマンディーヌをフレンチレストランに招待し、ジョンとの結婚を告白する。一方、橋田正次は町全体でクラシック音楽を広める活動に尽力し、コンサートの成功へと繋げる。
マリーヌは、アマンディーヌを食事に誘いました。
先日、ジョンと食事したフレンチレストランでした。
「こういうところで食事するのは初めてだわ」
アマンディーヌは、周囲をきょろきょろと見渡しながら言いました。
「もう大人なんだから、こういう場所で食事するのも勉強ね」
「そうなの? もう私は大人なんだ。身体は大きいけどね」
「そういう皮肉は言わないで」
ピアノの生演奏が始まりました。
「私もピアノが弾ければいいなぁ。なぜ私にピアノをさせなかったの?」
「ごめんなさい。そのころは私に余裕がなかったわ。精神的にも経済的にもね」
「マムを責めてないわ。バスケットに出会ったし」
オードブルが出されました。
アマンディーヌは、その可愛さに驚いて、
「フランス料理ってこういうのなんだ。足りるかな」
とマリーヌに聞きました。
「心配しないで、次々料理が来るわ」
「日本の会席料理と似ているんだね。量がコンパクトで」
スタッフがマリーヌにワインを注ぎました。マリーヌは、ワインを口にしながら、いつアマンディーヌに切り出そうかと悩みました。ワインをひと口飲むと、とにかく料理を楽しもう、お腹が空いているときに重大な事を話すのはやめようと思いました。
「いまからでもピアノを練習したら? ペレシュ城にはピアノがたくさんあるって聞いたわ」
「エントランスに大きいのが1台。書斎に1台。VIPルームとSAルームに1台ずつ。あとはまるくんの部屋に電気ピアノがあるらしい。まるくんの部屋には入れないから聞いた話だけど」
「練習に使わせてもらったら?」
「言ってみただけよ。バスケがけっこう忙しいからピアノはやらないわ」
オードブルを瞬く間に平らげると、スープが出されました。
「この緑色のスープは何?」
「グリーンピースのスープよ」
「マムはなんでも知っているんだ」
「年の功よ。あなたも年齢を重ねれば色々経験するわ」
アマンディーヌはお皿を手で斜めにして、残り少なくなったスープをスプーンでこそぎ取ろうとしました。
「アマンディーヌ、お皿を触ってはだめよ」
「そうなの?」
「パンでスープを食べるの」
マリーヌは、パンをちぎってスープを拭い取り、口に持っていきました。
「こうしてスープをぜんぶ食べてお皿を綺麗にすると、シェフが喜ぶの。それだけ美味しかったということね」
「そういうルールがあるんだ」
「ルールではないわ。美味しくなければやらなくていいわ」
ウェイターがメインディッシュを運んできました。それをテーブルに置きながら説明しました。
「ラムチョップのグリルハーブ風味でございます。ラムチョップをローズマリーなどのハーブでマリネし、高温のグリルで焼き上げております。レモンを添えて絶妙なバランスをご堪能くださいませ」
ウェイターが退がると、
「美味しそうね」
とアマンディーヌは言い、ナイフとフォークを手にしました。
「ナイフで切るときは左端から切るといいわ。そうするとフォークでつかみ易いわ」
アマンディーヌは日本が長く、ペレシュ城での生活だったので、箸のほうが器用に使えました。パンを食べようとしてナイフを置こうとしたとき、それを床に落としてしまいました。ナイフは甲高い金属音と共に床に横たわりました。
彼女は、身を屈めてそのナイフを拾おうとしたとき、
「だめ! 拾わないで!」
とマリーヌに窘められました。
「すみませ~ん!」
マリーヌはウェイターを呼びました。ウェイターがやって来ると、「ナイフを落としたのでお願いします」と頼みました。しばらくしてウェイターがナイフを持って来ました。
「ナイフを落としたときは拾わないで。これはエチケットよ。拾わずにウェイターを呼べばいいわ」
「そうなんだ」
アマンディーヌは、パンを齧りながら言いました。
メインディッシュのソースも、アマンディーヌはパンで拭い取りました。マリーヌはフォークにパンを刺してソースを拭い取って食べていました。
「パンをナイフで突き刺すの?」
「このほうがお洒落だから、商談相手のときはこうするの。Ladyに見えるでしょ」
「なるほど、Ladyなのね」
デザートのケーキとコーヒーが出されました。
マリーヌは、ケーキをひと口ふた口食べ、コーヒーを飲むと、意を決したように言いました。
「アマンディーヌ、重要な話があるんだけど」
「なに?」
マリーヌは、ケーキを食べるのをやめ、フォークを皿の上に置きました。深く呼吸を整えて、用件を切り出しました。
「結婚するの」
「誰が?」
「私が結婚するの」
「ええ! 誰と? 私の知っている人?」
「もちろん、知ってるわ。ジョン先生よ」
「ええ! ジョン先生と? マムずるいわ。こんな美味しい料理食べさせておいて反対できないわ」
「ごめんなさい。急な話だったの」
「謝る事はないわ。私はペレシュ城に住んでいるし、邪魔することもないわ」
「では賛成?」
「わからない。でも反対はしないわ。マムの人生だから、私のことは考えずに好きなようにして」
「ありがとう」
「では、乾杯ね」
マリーヌはワインで、アマンディーヌはジュースで乾杯をしました。
橋田正次さんは、Townのテナントに入っているスーパーマーケットの店長室に居ました。
彼はCDを見せて、
「店長にお願いがあって来ました。このCDのことなのですが」
と手にしたCDを店長の前に差し出しました。
そのCDは、高井凛々子のバイオリンコンチェルトでした。
店長は、彼がこのCDを買え、と言ってくるのではないかと身構えました。店長は、飲み屋でカラオケを歌うくらいで、音楽にはあまり興味はありませんでした。ましてや、クラシックやジャズなどは退屈なだけで、自分から聞こうとは思いませんでした。もし彼が「買ってくれ」と言ってきたとき、どう断ろうかと頭を働かせていました。
「このCDがどうしたのですか?」
「今度、Townのホールで、このCDの高井凛々子さんのコンサートを行うのです。オーケストラは岡山市民交響楽団です」
店長は、「そら来た、来た。さてどうやって断るか」と言葉を探していました。飲み屋で何万円も払っても贅沢とは感じませんでしたが、3000円くらいの訳の分からないCDに無駄なお金は使いたくはありませんでした。
こういう場合、黙っておくことが最善だと思い、彼の次の出方を待っていました。なにかを要求してきたとき、こちらが沈黙していると、相手はどう対処していいか分からなくなってきます。下手に言うと、相手はその断り文句に対しての言葉を用意している事もあって、かえって術中に嵌まる事がありました。
店長は無表情になりました。
相手はこちらの反応を見ながら、次々と手を変え、品を変え、要求してきます。これに対処するには無表情になる事が一番でした。つまり反応しない事です。
だからと言って、お得意様でもあるし、大家の社員でもあるので無碍には出来ませんでした。
「このCDを店長に差し上げます」
店長は、相手が予想しない出方をしたので、軽く驚きました。
「その代りなんですが、このCDをコンサートがある日まで流して頂きたいのです。出来たらポスターの掲示とチケットの販売もお願いできますか」
「チケットはサービスカウンターで預かって販売という事でしたら承ります」
「ありがとうございます。音楽もお願いできますか?」
「店内で流すのですか?」
「クラシック音楽は日本人にはあまり馴染みがないのですが、いつも耳にしていると、実際にコンサートに行ったとき、その曲が面白く感じる事があります。せっかくコンサートに来てくれる小学生やクラシックが嫌いな方にすこしでも楽しんで帰って頂きたいのです」
意外な申し出に、店長は安心しました。
「分かりました。我が社にも店内の音楽に何を流すかマニュアルがあるのですが、コンサートまでという事でしたら、善処しましょう」
そう言って店長は、放送担当者を呼びだして、CDを渡して経緯を話しました。
「サービスカウンターで、ポスターとチケットを渡してください。電話を入れておきます」
店長室を出ると、橋田正次さんはTownのテナントのカフェテリアPink Fairyに行きました。
「やあ!」
彼は、妻の橋田詩織さんに声をかけました。
「正次さん、どうしたの?」
「このCDを店内で流してもらえないか?」
「いいわよ。高井凛々子、バイオリンコンチェルト?」
「今度ここのホールでコンサートをするんだ。ポスターも貼らせてくれ」
店内に2カ所、外にも1カ所、ポスターを貼りました。
「コーヒーでも飲んでいく?」
「ああ、頼むよ」
詩織は、コーヒーを淹れながら、
「忙しそうね」
「こんなもの忙しいうちに入らないよ。前の仕事から比べたら天国だ」
「でも楽しそうね」
「そうだね。前の仕事は嫌々ながらやっていたからね。ストレスだった」
詩織は、正次さんが前よりも生き生きとしている事に安堵感をおぼえました。
「お客が入ればいいね」
「そうだね。あちこちで宣伝しているんだけどね。日本人はクラシック音楽だと抵抗があるんだ」
「その日、カフェも臨時休業しようかしら。開演は何時から?」
「開場が6時30分で、開演は7時からだ」
「5時まで営業して、片付けをすれば余裕で間に合うわ。紘一にも行かせよう」
「そうしてくれると助かる」
「そうだわ、紘一にも聞かせたいからCDを余分にもらえる?」
「いいよ」
彼はCDを詩織さんに手渡し、コーヒーを急いで飲むと、「Town中にポスターを貼らなくては」と出て行きました。
橋田正次さんは、そうやって近隣の小学校や中学校、病院にもCDを流すように働きかけました。小学校では登下校や昼休みに、病院は昼食時にCDを流してくれることになりました。
彼は、岡山市にも行って、交響楽団や大学にも営業しました。
Pink Fairy High Schoolに行った正次さんは、スチュアート理事長に会いました。
さっそくCDを出して、
「これを学校で流してくれませんか?」
スチュアート理事長は、CDを手に取ってみました。
「バイオリンコンチェルトですか」
「今度Townのホールでコンサートをするんです。すこしでも耳に馴染ませようと考えました」
「その考えはいいですね。知らない音楽と知っている音楽では、知っている音楽のほうが、楽しみ方が深くなりますからね」
橋田正次さんは、さすがに彼は教育者だと感心しました。
「ぜひお願いできますか?」
「分かりました。お昼時間と下校時に流しましょう。ペレシュ城には行ったのですか?」
「夕方に行こうと思っています」
夕刻、ペレシュ城のキッチンでは、スチュアート理事長と橋田正次さんが、まるくんと話していました。
和歌子さんは、CDを見ると、
「私も聴いてみたいわ」
と正次さんに言いました。
「差し上げます」
「だめだよ。ぼくが買ってあげる」
まるくんは、財布からお金を出して、CDを20枚買い、1枚を和歌子さんに渡しました。
「まるくん、ありがとう」
「白鬼はどうする?」
白鬼は首を傾げました。
「音楽? あまり聞いたことがない」
スチュアート理事長が、
「毎日このCDを聞いていたら、そのうち音楽が好きになるよ」
と白鬼に説明しました。
「そうだ。ぼくが白鬼さんにCDをプレゼントしよう」
スチュアート理事長は財布からお金を出して、正次さんからCDを買いました。
「これを、毎日ひまを見つけて聞くといい」
白鬼は、手渡されたCDを眺めていました。
「毎日聴くって約束してくれたら、ぼくが君をコンサートに連れて行く」
まるくんは、スチュアートに、
「それはデートのお誘い?」
と聞きました。
「そうです。彼女を誘っていいですか?」
「ぼくに聞くことはないだろ。白鬼、スチュアートさんがデートに誘ってるよ。どうする?」
「デート?」
白鬼の雪より白い肌がピンク色に染まりました。スチュアートは、そのピンク色を見て、切なくなりました。これほど可愛い顔は、もう二度と見られないかもしれないと思いました。
「よかったね、白鬼さん。デートだって。初めてでしょ」
「デートってどうすればいいの?」
「何もする事はないわ。音楽を楽しめばいい」
「わかった。毎日CDを聴くわ」
「それから、高井凛々子さんとオーケストラのみなさんにはペレシュ城に泊まってもらうから、その連絡その他をお願いできますか?」
「ペレシュ城に泊めるのですか?」
「そのためにペレシュ城を増築したのです。高井凛々子さんにはVIPルームを、指揮者にはSAランクの部屋を当てるつもりです」
萌々香と紫鬼がキッチンに入って来ました。
「このCDはどうしたの?」
「萌々香に1枚あげる。今度このコンサートがあるんだ。その日まで毎日聴くといい。紫鬼ちゃんも聴くといい」
「私が? 音楽を?」
「紫鬼ちゃん、音楽も勉強だよ」
「ふ~ん。このバイオリンって三味線みたいなの?」
「似てるけどぜんぜん違うわ」
「萌々香ちゃん、紫鬼ちゃん、子犬に餌をあげて」
「そうだ、忘れてた。子犬に餌をやるために来たのに」
萌々香は、パントリーから犬の餌をとって来て、
「ユウキ、フジ、モモ」
と呼びました。
紫鬼が犬のエサ皿を取って来ました。
3匹が尻尾をふりふり飛ぶようにやって来ました。
佐々木唯、星愛麗の母子がキッチンに入って来ました。
「あなたたちもコンサートに来ませんか?」
「メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトですね。大好きな曲です。ぜひ行きたいですわ」
「星愛麗ちゃんもどうですか? このCDを差し上げます。これを聴いてコンサートに行って下さい」
「頂けるのですか、ありがとうございます」
「部屋にはオーディオが設置しています。それを使ってください」
「ただいま~~!」
と語尾を延ばして、明菜と若菜が帰って来ました。そのあとを桜花、沙織、アマンディーヌ、ジャクリーンとぞろぞろと帰って来ました。
「まるくん、ただいま。あれ、スチュアート理事長もいる」
桜花が目ざとく見つけました。
「すぐに食事にするから、みんな着替えて来て」
「はーい」
「ハイ、スチュアート」
ジャクリーンは彼にハイタッチして言いました。
「あっ、高井凛々子さんのCDだ。今度コンサートがあるんだよね。この人のコンサート行こうと思ってたんですよ」
沙織がCDを見つけて言いました。
「そのCDをあげるよ」
「やった~!」
「みんなCDを1枚ずつ持っていって。ひまを見つけて毎日聴くこと!」
「バイオリンコンチェルト?」
「毎日聴くの?」
明菜と若菜が面倒くさそうに言いました。
「ジャクリーンとアマンディーヌもCDを持っていって」
「はーい」
「毎日聴くんだよ」
「は~~~い」
「もう食事よ。早く着替えて」
和歌子さんが彼女たちを急かしました。
「正次さんとスチュアートも食べて行ったら?」
「いえ、私は女房がご飯を作っているので、もうお暇します」
正次さんは、そう言って人数分のチケットを置いて帰りました。
「スチュアートは食べていって」
「ありがとうございます。ご馳走になります」
コンサートの前日の昼過ぎに、高井凛々子さんと指揮者、楽団がペレシュ城にやって来ました。
交響楽団は、2台の貸切バスでやって来て、指揮者をペレシュ城に降ろすと、ほかの人たちはBランクのほうに向かいました。スタッフを含めると総勢60人でした。高井凛々子さんは、橋田正次さんが桃太郎空港まで迎えに行って、ペレシュ城にやって来ました。
まるくんは、指揮者をSAランクの部屋、高井凛々子さんをVIPルームに案内しました。
彼らは一旦、荷物を置いて、また貸切バスに乗って、Pink Fairy Townに向かいました。そこで前日リハーサルを行いました。
彼らは、夕刻の6時にペレシュ城に戻って来ました。
楽団たちは、Bランクの専用の食堂でビュッフェスタイルの食事してもらい、その隣の大浴場を利用してもらいました。Bランクの部屋にはバストイレは完備していませんでした。
高井凛々子と指揮者には、ペレシュ城の食堂で食事をしてもらいました。
「ここはホテルではないので、普通の家庭料理です。ご承知おき下さい」
みんなが席に着くと、和歌子さんが聞きました。
「お飲み物は何になさいますか? ビール、ワイン、ウィスキー、焼酎があります」
「私はビールをお願いします」
指揮者は、和歌子さんに言いました。
「では、私は焼酎で」
高井凛々子さんは続けて言いました。
「それでは明日のコンサートの成功を祝って、乾杯!」
まるくんは音頭を取りました。
子供たちはジュースで、まるくんはドクダミ茶で乾杯しました。
濃い茶褐色のドクダミ茶のむこうに、高井凛々子さんや指揮者、佐々木母子、子供たちの姿が透けて見えました。大牛蟹と乙牛蟹、和歌子さんや白鬼の姿も見えました。
翌日のコンサートは、橋田正次さんの活躍もあって、1500人収容のホールがすべて埋まりました。
「またここでコンサートをやりたいですね」
指揮者は、まるくんに喜びを伝えました。
「また、ここに来たいですわ。コンサートのお仕事でなくても、遊びに来てもいいですか?」
「どうぞ、ご遠慮なく」
楽団と指揮者は貸切バスで帰り、高井凛々子さんは橋田正次さんが空港まで送りました。




