前鬼と後鬼の娘である紫鬼が、ペレシュ城に住み込み、萌々香と交流を深めながら、人間社会での生活を始める。紫鬼が小学校に通うための準備と家族の温かい支援が描かれ、鬼と人間の共存がテーマとなっている章です。
「きゃあー!」
さっき学校から帰って来た萌々香の部屋から、悲鳴が聞こえました。凜が、「出ていけ!」と何者かに吠えていました。
まるくんが、エレベーターで3階まで行き、4階の屋根裏部屋の萌々香の部屋に駆けつけました。
その部屋の前で、前鬼が後鬼に怒られていました。前鬼が男、後鬼が女、ふたりは夫婦でした。彼らは、役行者様の従者で、最近ちょくちょくとペレシュ城にやって来ました。
「萌々香は女の子なんだから、勝手に入ったらだめ、と言ったでしょ」
「まさか俺の姿が見えるとは思わなかったんだ」
「萌々香は、私たちの姿が見えるのよ」
「この家で俺たちの姿が見えるのは、まるくんと凜だけだと思っていた」
「あんた、まさかほかの女の子の部屋も覗いているじゃないでしょうね」
「あっ、いや、あの」
「やっぱり覗いてたんだ。まったくもう!」
後鬼が前鬼の頭を叩きました。
「痛い!」
前鬼は頭を押さえました。
「ペレシュ城に来るのは構わないけど、女の子の部屋には入らないように」
まるくんは、前鬼を叱りました。
「萌々香、入ってもいいかな?」
ドアをノックして、まるくんが言いました。
「いいよ」
萌々香は、ドアを開けると、前鬼にむかって、
「今度、着替えているときに入ってきたら、許しませんからね!」
と、きつい口調で嗜めました。
まるくんが部屋に入って来ると、
「ペレシュ城には、なぜこんな不気味な生物がいるのよ! 他にもちょくちょく見掛けるわ。なんだか化け物がうろうろしてるの」
と萌々香は文句を言いました。
「式神の事だね。ここにいる式神は害を加える事はない。安心していい」
式神は、低俗な霊で、前鬼や後鬼は彼らを使いこなしていました。自然とペレシュ城に式神が出入りするようになっていました。
「怖くはないけど、見た目が不気味なの」
「分かった、彼らに人間の格好をするように言おう」
「人間に化けるの?」
「ほかの人には見えないから、萌々香の前だけは人間の姿に見えるようにするだけだ。前鬼と後鬼にも人間らしい格好をさせよう」
式神たちが、少なくとも萌々香の前で、人間らしい格好になると、彼女はひとりの鬼の女の子と仲良くなりました。
名前を紫鬼と言いました。人間の少女のような姿に変えていました。彼女は、鬼の子供のために、前鬼や後鬼のような高い位ではありません。まだ身分の低い式神でしたが、これからの修行次第で、前鬼や後鬼のような身分になる事は出来ました。
「私は紫鬼。萌々香様をお守りするように、父親の前鬼から言いつけられました。私なら萌々香様と気が合いそうだと言ってました」
「守ってくれるの? 凜がいるから大丈夫だと思うけど」
「萌々香を守ってくれる人は多いほうがいいよ」
凜が紫鬼に賛意を示しました。
「私なんか守っても意味ないんじゃない?」
「前鬼様が仰っていましたが、萌々香様はこれから大事な使命を言い渡されるとのことです」
「分かったわ、でもその敬語はやめて! それから萌々香と呼んで。様はいらない」
萌々香は、鬼や式神の姿が見えたり、凜やスズメたちと話せたりする事に、薄々なにか意味があるのでは、と思い始めていました。
紫鬼は、萌々香が小学校から帰って来ると、凛と一緒に出迎え、部屋に入っていきました。
萌々香が鞄から教科書を出して算数の宿題を始めると、その様子を覗き込んでいました。
「算数に興味があるの?」
「人間ってなにを勉強するのかな、と思って」
「鬼はなにを勉強するの?」
「人間のことをよく知るために勉強するんだよ。特に嘘や悪さを学ぶの」
「嘘や悪さ?」
「人間はよく嘘をついて胡麻化す。それに邪鬼に支配されて悪い事をする」
「人間が悪さをするのは、邪鬼に支配されているの?」
「たまに狐に憑かれて、悪い事をする人もいる。私たちは専門用語で『狐憑き』と呼んでる」
「それってどんなこと?」
「狐の霊がその人の守護霊のように取り憑くことだよ。急に訳の分からないことを喋り始めたりする。高級な狐の霊だとその人に神通力を与えることもある」
「高級な狐の霊とかいるんだ。どんなの?」
「たいていはその人よりも家に取り憑いて、その家を反映させる。商売がうまくいったり、レベルの高い大学や高校に合格できたりする」
「物事が何でもうまくいくんだね」
「でも、ここにも落とし穴がある。自分がうまくいくために相手を貶めたりする。たとえば、商売敵を呪って自分の商売を反映させたり、ライバルを病気にさせて志望校に合格させたりする」
「お稲荷さんはどうなの?」
「稲荷神社は、宇迦之御魂大神を祀っていて穀物の神様です。稲荷というのは、『稲が成る』という意味なのです。狐が穀物を食べるネズミを退治していたので、神様の使いになりました。狐の中では高級な霊です。けど、たいていは低俗な霊なので、その人を惑わすことが多い」
「人間を惑わすの?」
「低俗な狐の霊は、飲み屋街とかにいる。人間の心の隙間に入り込み、取り憑いて、酒に溺れさせ、飲み屋に入り浸りになる。それとかパチンコ店の入り口で待ち伏せして、ギャンブル狂いにさせ、その人を破産させる。競馬場とか競艇場の前にもいる」
「人間の裏の部分を勉強するんだね。飲み屋街とか、パチンコ店の前を歩くときは気をつけないといけないね」
「人間が夢中になるときは、狐や邪鬼が取り憑いている事が多いよ。女遊びや、最近ではゲームに取り憑かれる人が多い。淋しさに囚われたりすると、狐はその隙間に入り込んで来る」
「そんな勉強をなぜするの?」
「人間がまともな生活が出来るように、狐や邪鬼を退治してあげるの」
「いい事してるんだね」
「退治してあげて、私たちのステータスが上がるの」
「面白そうね」
「面白くないよ。人間の嫌な面ばかりみてしまう。そんな勉強より、萌々香のしている勉強のほうが面白そうだよ」
「一緒に勉強してみる?」
「教えて、教えて」
「萌々香、凜にも勉強を教えて!」
凜が萌々香にせがみました。
「では、みんなで勉強しましょう」
夕食前に、桜花が、
「最近、小学生くらいの女の子が萌々香の部屋に出入りしているね。あるときなど、振り返ったら急に女の子がいた」
と、まるくんに言いました。
「えっ、桜花はその子が見えるの?」
「どういう意味?」
「あの子は式神で、鬼っ子だ。萌々香の友達で、普通の人には見えない」
「鬼っ子? 可愛い女の子にしか見えない」
「人間の姿に変えているんだ。桜花は上野自衛隊員の娘だから、見えるのかもしれない。ちょうどいい機会だから桜花にも紹介しよう。シズカ、萌々香を呼んできてくれる?」
「萌々香なら、庭で凜や紫鬼ちゃんと遊んでいるよ。呼んで来ようか?」
ハト時計の屋根に止まっているシズカが答えました。
「いや、庭に出よう。桜花もおいで」
まるくんは、桜花を連れて庭で遊んでいる萌々香のところに行きました。
「萌々香、桜花も紫鬼ちゃんが見えるそうだ」
「へぇぇ! お姉ちゃんも紫鬼ちゃんが見えるんだ」
「可愛い子が萌々香の部屋に出入りしているから、まるくんに聞いてみた」
「紫鬼ちゃんって言うんだ。こっちはお姉ちゃんだよ。桜花って言うんだよ」
「お姉ちゃんだって知ってたよ」
紫鬼は、桜花にむかって言いました。
「ところで、桜花は彼らも見える?」
まるくんは、そう言って、庭で草取りをしている式神たちを指示している前鬼と後鬼のほうを指さしました。
「見える」
「紫鬼ちゃんのお父さんとお母さんだ。式神たちも見える?」
「みんな見えるよ」
彼らは、みんな人間の姿に変身していました。それでも、普通の人間には見えませんでした。彼らは、前鬼と後鬼の配下で、ペレシュ城の庭の管理や清掃をさせていました。
ペレシュ城を再建してから、まるくんは新たにNPO法人Pink Fairy を立ち上げ、この建物と敷地のすべてをその法人の所有に変えました。まるくんは、NPO法人Pink Fairy にペレシュ城を借りて住んでいるのです。
NPO法人Pink Fairy は、ペレシュ城、病院、高校、商業施設、スポーツ施設などを所有管理するようになりました。それに際して、名前もペレシュ城以外は変えました。いまではPink Fairy 病院、Pink Fairy High School、Pink Fairy Town、Pink Fairy Sports Parkと言うようになりました。法人の理事長はまるくんでしたが、実質的な運営は、雉原弁護士事務所に任せてました。
高校は、ピンク・フェアリー・ハイスクールで登録し、制服もピンクを差しに入れたチェック柄で、ワイシャツは淡いピンクにしました。ネクタイもピンクの差しを入れて着用させました。
この制服は生徒の評判だけでなく、近隣からも憧れるようになりました。
まるくんは、この制服を作るとき、生徒全員の寸法を測って、各自の体型に合うようにしました。その制服を生徒に渡すとき、まるくんは「制服授与式」という厳かな式典の中で行いました。さらにビュッフェスタイルで立食パーティを行い、その開始のとき、まるくんは、
「この制服は正直に言うとたいへんなお金が掛かっています。でも生徒や父兄にその負担はさせません。すべて無料で支給します。この高校では、校則はありません。髪を染めても構いません。スカート丈が短くても構いません。私服で通学しても構いません。でもせっかく制服があるのだから、制服を着ていただきたい。これは私からのお願いです」
と深々と頭を下げて演説しました。
生徒もそれに感動したのか、私服で登校する子は皆無でした。
「ご飯が出来ましたよ!」
和歌子が玄関で叫んでいました。
「さあ、ご飯を食べよう」
みんながペレシュ城に戻ろうとすると、紫鬼がつまらなさそうにしていました。
「紫鬼ちゃん、どうしたの?」
萌々香が紫鬼に聞きました。
「私は食事することが出来ない。つまらない!」
「では、人間に見られるように変身したらどう?」
「人間になっていいの?」
まるくんは、前鬼を呼びました。
「ヘイ、まるくん殿、なにか御用で」
「紫鬼ちゃんを、普通の人間でも見えるようにして欲しいんだけど」
「おやすい御用ですが、それでいいんですか? 問題は起こりませんか?」
「ペレシュ城に住み込みさせる」
「わかりやした」
前鬼は、呪文を唱えると、紫鬼のあやふやだった姿が鮮明に見えました。
「これで紫鬼は、人間にも見えます」
紫鬼は、自分の身体を見まわしたり、擦ったりしていました。
「ご飯ですよ!」
また和歌子の叫び声がしました。
食卓では、みんなが待っていました。
「今日から、ひとり増える。紫鬼ちゃんって言うんだ。萌々香の友達だ」
「よろしく!」、「ハイ、紫鬼!」とみんなが挨拶しました。
「萌々香の部屋に住まわせる。萌々香の部屋に2段ベッドを入れて改造する」
和歌子は、紫鬼が自分でご飯をよそっているのを見て、不思議そうな顔をしました。
「教えてもないのに、自分でご飯をよそっている」
紫鬼は、ペロッと舌を出しました。彼女は、みんなに見えないだけで、キッチンのルールを見ていたのでした。
あくる日、まるくんは2段ベッドと机を買ってきました。
それらが配達されてくると、まるくんは前鬼に手伝ってもらって、萌々香の部屋に運びました。
梱包からベッドを取り出して組み立てるとき、
「まるくん殿、ほんとにいいんですか? 紫鬼は子供とはいえ、鬼っ子ですよ」
「構わないさ。萌々香の話し相手になる」
「萌々香ちゃんに悪い影響がなければいいけど」
「萌々香なら大丈夫だ。悪い影響どころか、いい影響になる」
「まるくん殿にこの際だから、お願いしてもいいかな?」
「なに? お願いって」
「紫鬼にも学問をさせてもらえませんか? これからは鬼も学問が必要だと感じているんです」
「そのつもりだ。だから机も買って来た」
「ああ、そうだったんですね」
「小学校にも通わせようと思っているんだ」
「そこまでしてくださるんですか?」
「それなんだけど、最近、カラスがペレシュ城の森に増えたと思わないか?」
「ヘイ、それは感じていました。前鬼のほうからカラス天狗様に聞いてもらえないか? カラス大王の手下だと萌々香が心配なんだ」
「おやすい御用です。あっ! だから紫鬼を小学校に通わせるんですね。それだと、いつも紫鬼が萌々香ちゃんの護衛につける」
「そうなんだ、それで一石二鳥になる。萌々香の護衛も出来て、紫鬼ちゃんも学問ができる」
「それはいい考えです」
「そうなるとランドセルも買わないといけないなぁ」
まるくんは、Fairy Townでランドセルを買いに行ったついでに、雉原弁護士事務所にも寄りました。
雉原静香が応対に出て来て、
「今日はなにかご用事ですか?」
と尋ねてきました。
「実は、ペレシュ城に女の子が増えたんだけど、小学校に通わせたいんだ」
「また養子縁組ですか?」
「それでもいいんだけど、出生証明書がないんだ」
「出生届をしてないんですね」
「そうなんだ。親もいない」
「親権はまるくんが持つのですね。特例措置で小学校への就学は可能となる場合があります。まず、まるくんがその少女を知った経緯とかを知らないといけません」
「彼女は鬼っ子だ」
「捨て子という意味? よく親に似ていない子供の事を鬼っ子と言いますが、その意味から捨て子という場合がありますけど」
「そういう意味でなく、ほんとうに鬼っ子です」
「鬼の子供?」
「そうです。だから出生届がない」
「冗談でいってますよね」
「冗談ではないんだ。ほんとの事を言う。鬼の子供だ。秘密にして欲しいんです」
「そんな信じられませんわ。鬼なんてこの世にいるんですか? あれは架空の生物ですよね」
「架空じゃないんだ。ほんとに鬼の子供だ。静香さん、今までだって、信じられない事があっただろう」
静香は、思い当たる節がないでもなかった。アマンディーヌを探していたとき、偶然が重なって彼女の居所が判明したようなものだった。
「分かりました。まるくんのいう事を信じます。その少女を出生不明で、まるくんが引き取る事に役所に手続してみます」
戸籍のない子供に対して、NPOや地域の支援団体が、生活サポートを提供することがあります。雉原静香は、この制度を利用し、国や地方自治体に働き掛けて、紫鬼を養女にして小学校に通わせました。
明日から小学校に編入という日、紫鬼はランドセルを背負って、みんなに見せました。
「よかったね、紫鬼ちゃん。ピンクのランドセルが似合ってるよ」
沙織が喜ぶ紫鬼に言いました。
「ハイ、紫鬼! これを作った」
アマンディーヌがそう言って、小さなピンクの袋を見せました。
「これは上靴入れだよ。この中に学校で履く上靴を入れるんだ。近所のアンナ・マリノフスキさんに教えてもらって作った。彼女は洋裁がとくいなんだ。ピンク・フェラリー・ハイスクールでも生徒に洋裁を教えているわ」
「アマンディーヌ、ありがとう。大事に使うね」
「ハイ、紫鬼! グルっとまわってランドセルも見せて」
ジャクリーンが大げさに言いました。
「可愛いピンクのランドセルだね」
紫鬼は、リビングでテレビを観ていた明菜と若菜の双子にも見せました。
「明日から学校に行くんだ!」
「やったね! これからたくさん勉強しないとね」
「好きな男の子も作らないといけないね」
「男の子はいらない!」
紫鬼は、顔を赤らめて反論しました。
桜花がリビングに入って来て、
「紫鬼ちゃん、私からプレゼント」
と、ピンクの筆箱を渡しました。
「わあ、可愛い!」
「ランドセルとお揃いの色にした。桃の絵が描いてる」
「ありがとう、桜花お姉ちゃん」
夜も更けて、前鬼と後鬼がまるくんの部屋にやって来ました。
「まるくん、あのカラスどもはカラス大王の手下のようです。私らの動きを探っていていました。カラス天狗様は、手下のカラスをペレシュ城に遣わすと仰っていました」
「やはりそうだったか。こちらの動きを偵察していたな」
「それから役行者様は、警戒を怠らないようにと心配されていました」
前鬼が言っているとき、後鬼が泣いていました。
「どうした? なにかあったのか?」
まるくんが声を掛けました。
「まるくん、ありがとう。紫鬼が学校へ行ける事になって、嬉しくて、嬉しくて」
「そんなに泣くほどの事じゃないだろ」
「いえ、今まで鬼、鬼とバカにされたり、怖がられたり、ろくなことがありませんでした。紫鬼が教育を受ける日が来るなんて思いもしませんでした」
「勉強したいと言うのは、紫鬼ちゃんの希望だったんだ。前々から萌々香と勉強していたらしい」
「そうだったんですね。萌々香ちゃんにもお礼を言わないと」
「お礼なんかいいよ。日本の法律では、私が紫鬼ちゃんの親だからね。親として当然の義務だ。大学まで行かせるつもりだ」
「役行者様も喜んでおられました」
前鬼も目に涙を浮かべながら付け加えました。
「ところで紫鬼ちゃんは何歳なんだ?」
「今は、83歳です」
「私より年上なんだ」
「でも、鬼の世界ではまだ子供です。彼女が人間になったら、これから人間と同じように歳を取っていきます」
「それって、君たちよりも早く死ぬって事じゃない? 悲しくない?」
「問題ありません。鬼だから、人間として死んでも、鬼として復活して、私らの子供に戻ります」
「そうなんだ。鬼はいいね。復活できるんだ」
「この御恩は決して忘れません。ありがとうございます」




