スチュアート・ベネットは強磁性窒化鉄の研究に成功し、その論文を科学誌に投稿する。彼はバスケットボール部のコーチとしても活動し、チームを成長させる。
大学院で研究をしていたスチュアートは、指導教授との意見の対立で大学を辞めました。指導教授からの要望や手伝いで忙しくなり、自分の研究が出来なくなったからでした。
「教授の手伝いをしていると、私の研究が出来ないんですけど、手伝いから外してもらえませんか?」
「なにを言っているんだ! 助手なら教授の研究や論文の手伝いをするのは当然だろ。私はそうやって手伝いをして教授に推薦されたんだ。君が手伝わないというなら、教授への推薦は諦めることだな」
「それって脅しですか?」
「脅しと取ろうが、警告と取ろうが、君の自由だ」
「分かりました。奴隷になれ、ってことですね」
「どう取ろうと君の自由だ」
スチュアートがなにを研究しているのかはわかりませんでした。ただ色々なところへ出かけては、岩石の採集をしていました。指導教授の手伝いで、その時間が確保できない事が原因でした。
ほとんど賃金が払われない中で、彼は助手を辞める事に決めました。ほかの大学に就職活動をしていましたが、彼の意にそぐわないところばかりでした。ネットで就職先を検索しているうちに、日本の未来高校でインタースクールの教師を募集している事を知りました。
「日本で教師になるのか? それも高校生か。物理の教師を募集しているな」
スチュアートは独り言をつぶやきました。
日本に行くとして、言葉や生活習慣に対応できるだろうか、日本人とコミュニケーションが取れるだろうか、部屋で孤独に過ごすことにならないだろうか。
彼は、3日間悩んだあと、
「よし! 日本に行こう」
と決意しました。
移住してから、彼の自由になる時間は少なくなりました。それでも指導教授の要望に忙殺されるよりは充実した時間を過ごすことが出来ました。なによりも少ないにしてもサラリーがあるのがありがたいと思いました。
彼は、インタースクールの教師なので、英語で授業をしていましたが、日本語の勉強も怠りませんでした。日本人の生徒たちにも、日本語で会話するようにしました。
生活が落ち着いてくると、彼は近くの山へ出かけては岩石の収集を始めました。それを自宅や学校の理科室に持っていって研究の素材にしました。
彼が求めていたのは、強磁性窒化鉄というものでした。これは強力な磁力を生み出すもので、イタリアで発見されましたが、その後あまり発見されていませんでした。
だが彼は、ある疑念が浮かんでいました。
「山を歩いて岩石を探しても、宝くじに当たるようなものだ。もしかして一生かかっても当たらないかもしれない」
彼は科学的に作れないか、と挑戦してみる気になりました。
「チッソは空気中に大量にある。それをなんとか取り込めないか」
強磁性窒化鉄の化学式を調べ、その性格や成分を調べ始めました。ひまがあると、彼はその研究に没頭していました。学校から近くの安アパートを借りていたので、歩いて通っていましたが、それ以外に外に出る事はありませんでした。夕食も寮の食事を頼んでいたので、買い物とかも出る事はありませんでした。
しかし、研究は行き詰っていました。
仕事が終わって、いつものように夕食を食べようと寮へ向かっているとき、体育館でバスケットボールの跳ねる音がしました。
「バスケをやってるんだ」
生徒数のすくない未来高校では、クラブ活動は珍しい事でした。彼は体育館を覗いてみる気になりました。
数人の女生徒がバスケットボールをしていました。
彼は懐かしくなって、しばらく見学していると、
「ハイ、ミスター・ベネット。バスケをしてみない?」
と、アマンディーヌ・ジョアネスが英語で声をかけてきました。
彼女は、インタースクールの生徒だったので、よく知っていました。
「やってもいいの? 邪魔にならないかな」
「出来たばかりのクラブなので大丈夫です」
そのチームを見ると、アマンディーヌのほかに、双子の姉妹、最近編入した女生徒、ほかに女生徒の5人しかいませんでした。おまけに編入した女生徒は左手の先がないように見えました。
彼は、転がっているバスケットボールを拾うと、子供の頃を思い出し、ドリブルしてシュートしてみました。女子生徒が見守る中、ボールはゴールに吸い込まれました。
「ナイスシュート! 先生、上手だね」
双子のひとりが言いました。
「それほどでもないよ。子供の頃すこしやっていただけだ」
「私たちのコーチになってくれませんか?」
「コーチなんてとんでもない! それほど上手じゃない。それにひまもないんだ。コーチとかいないのか?」
「顧問の先生しかいません。その先生もバスケの経験はないと言っていました」
「ぼくでは無理だ。残念だけどね」
スチュアートは、これ以上、頼まれてもいけないと思って、早々に退散しました。
帰宅したスチュアートは、すぐに研究に始めました。
彼には信念があり、この研究が完成するまでは、人が楽しむ遊びはしないと決めていました。映画やテレビ、読書、旅行などはやめようと思っていたので、バスケットボールのコーチなど論外でした。車も持たない事にしていました。給料が安くて車が買えないという事もありましたが、ドライブの誘惑に負けそうだという理由もありました。
人付き合いが悪いと思われても、それは仕方がない事だとも感じていました。
「すべては研究のためだ」
スチュアートが研究に没頭するのには訳がありました。
彼は、大学に行くために、多額の奨学金を借りていたので、その返済に毎月追われていました。その返済をして、家賃を払ったり、光熱費を払ったりすると、彼の手もとにはわずかの金額しか残りませんでした。この奨学金のために自分の人生は終わってしまうと、強迫観念に襲われていました。
この借金地獄から逃れるためには、なにかを発明して世の中に出るしかないと思っていました。これが成功しないと、彼は自分の人生は終わりだと決めつけていました。
シャワーを浴びて、PCを立ち上げました。
可能性のある事を書いていきました。鉄と窒素をどうやって、化合するかという事でした。こんな単純なことが出来なかったのでした。SNSで検索しても、日本のある大学で少量だけど作り出すことに成功したとヒットしましたが、成功とは言えない状況でした。科学誌の論文にも強磁性窒化鉄の事は載っていませんでした。
「どうするかなぁ」
何日もPCと睨めっこしている日が続きました。深夜まで、その状態が続き、眠くなってベッドに入りました。毎日がこれの繰り返しでした。
翌日、スチュアートは眠い目をこすりながら起きて、学校へ行きました。
昨日もなんの成果もありませんでした。何日もこの状況が続いていたので、気分は晴れませんでした。
学校へ行く道の途中で、小さな祠がありました。
「願掛け地蔵」と書いてありました。
スチュアートは、日本語を勉強するうちに、この字が読めるようになっていました。日本人の同僚に、この意味をたずねると、「願い事をすると、いつか叶うお地蔵さん」という事だと教わりました。彼はその同僚から教わった通りの作法で願掛けをしてみようと思いました。
彼は、敬虔なプロテスタントでした。
日本に来てから、教会が遠かったので、礼拝には行ってませんでしたが、無神論者ではありませんでした。でも願掛け地蔵に願い事をするのが、キリストへの背徳行為とも思いませんでした。
これが宗教とは思っていませんでした。
子供がサンタクロースに手紙を書くような軽い気持ちでした。
スチュアートは小銭入れから、10円玉を取り出して、願掛けをしました。
「どうか強磁性窒化鉄が作れますように」
願掛けが終わって、スチュアートは立ち去ろうとしました。ふと目の前にポリ袋が落ちているのに気がつきました。
「お願いばかりじゃ、聞いてもらえないだろね」
彼は、そう言ってポリ袋を拾い、すこしだけ雑草も取りました。
その日から、彼は家からポリ袋を持って通勤し、願掛け地蔵で10円玉を賽銭箱に入れて願を掛け、その辺の草取りをしました。実際に気休めでしかなかったのですが、毎日つづけているうちに習慣になっていました。
毎日、草取りをしていると、以前より綺麗になったと思ったのですが、3日もするとまた草が生えていました。なぜ雑草はこんなに強いのかと感心しました。その小さな草の芽を苦労しながら取って行きました。まるで自分がなにかの罪を犯して、その罰として草が生えてくるように感じました。あまり面倒になったので、除草剤でも撒いてやろうかとも思いましたが、環境の事を考えてやめました。
スチュアートは、雑草を取りながら、この土地に栄養があるから、すぐに雑草が生えるのかと考えました。植物の栄養とは、窒素、リン、カリウムが主です。しかし植物は空気中の窒素は吸収できません。
「待てよ。植物はどうやって窒素を取り入れているんだろう」
スチュアートは、急いで学校へ行き、PCを立ち上げました。
SNSで植物が窒素を取り込むメカニズムを調べ始めました。だが授業開始の鐘が鳴って、中断せざるを得ませんでした。
帰宅して、本格的に調べ始めました。
植物は土壌中のアンモニアやアンモニウムイオンを根から吸収し、これらは植物細胞内でさらに変換されていました。
さらに土壌中の他の微生物(硝化菌)がアンモニアを硝酸などに変換しました。
「そうか、硝化させればいいんだ。硝酸となって植物に組み込まれるんだ。それには消化菌が必要なんだ」
スチュアートは、ヒントのようなものをつかみました。
消化菌を大量に作って、いろいろなパターンで窒素が鉄と化合させる実験を繰り返してみました。その中で、スチュアートは鉄が窒素と反応するパターンを見つけました。
「やった! 成功したぞ」
スチュアートは、思わず神に祈りました。
彼は、何度も強磁性窒化鉄を作っては、この実験が間違いではないものだと確信を持ちました。さっそく彼は、この成功例を論文にする事にしました。夜遅くまで論文を書き、3か月掛かってようやく完成しました。その間も彼は、願掛け地蔵に願を掛ける事は忘れませんでした。
無機質な鉄が、有機物の消化菌で強磁性窒化鉄が生まれる事に、不思議な感覚がありました。スチュアートは、無機質な鉄にも生命があるのを感じていました。
「この世の中のすべての物には生命が宿っているんだ」
スチュアートは、そう思わずにいられませんでした。
出来上がった論文を科学誌に投稿しました。
願掛け地蔵には、研究が完成した事に対して、お礼参りをしました。
「論文が完成しました。あなたのお陰です。ありがとうございました」
彼は、晴れ晴れとした気持ちになりました。
放課後、スチュアートは久々に体育館に行きました。
「バスケをさせてくれないか?」
「ハーイ! ミスター・ベネット。遠慮しないで」
アマンディーヌが答えてくれました。
「ぼくでよかったらコーチを引き受けるよ。ただし子供の頃にやっただけだよ」
スチュアートは、論文の結果が出るまでが耐えられなくて、気を紛らわそうとしました。
「歓迎するわ。私たちはぜんぜんバスケをやった事がないの」
「練習の仕方なら、すこしは分かる。子供の頃ずいぶんやったからね」
チームのメンバーが紹介されました。
アマンディーヌ・ジョアネス、双子の姉妹は明菜と若菜、左の手首がない子は桜花、あとは雉原沙織の5名でした。
「それではパスの仕方、ドリブルなど基本的な事からやってみよう」
手首のない子、桜花は器用にパスをしていました。スチュアートは桜花に運動神経の良さを感じました。桜花だけでなく、双子の明菜と若菜、アマンディーヌ、雉原沙織も飛びぬけて運動神経が優れていました。
「パス&シュートドリルをやってみよう」
スチュアートは、そう言うと練習の仕方を説明しました。
「2人1組で、1人が走ってる人間にパスを出して、受け取ったらシュートを打つ。パスの出し手はリバウンドを取るんだ」
彼女たちの理解は早く、バスケットIQの高さを感じました。しかし、彼女たちのポジションを決めようとして悩みました。一番背の高く1m80のアマンディーヌがセンターなのは確実でした。ほかの女生徒は、誰がポイントガードになっても不思議ではありませんでした。身長も165㎝の沙織以外は、桜花も双子も160㎝はありませんでした。
スチュアートは、彼女たちにポジションの説明をしました。
「まずポイントガードだ。チームの司令塔で攻撃の起点となるポジションだ。ゲームメイクが主な役割だ」
そのほかに、シューティングガード、スモールフォワード、パワーフォワードと教えました。
さて説明したものの、誰にどこのポジションを与えるか、が問題でした。アマンディーヌ以外は、みんな同じようなタイプでした。
何日か彼女たちの練習に付き合っていて、多少なりとも性格が分かって来ました。
一番冷静で観察力のある桜花をポイントガードにしました。シューティングガードとスモールガードは快活で自由奔放な双子の姉妹を当てました。控えめで落ち着きのある沙織をパワーフォワードにしました。
「ミスター・ベネット、私はどこ?」
とアマンディーヌが聞いて来ました。
「ほとんどゴールの下だ」
1か月くらいして、未来高原都市の公立の中学と練習試合をしました。
ほとんど初心者の5人が、敵うはずはありません。40対105のダブルスコア―以上の大敗でした。負けるのは予想していましたが、ここまでの点差になるとは思いませんでした。
翌日の練習に出ると、彼女たち5人は和気あいあいとしていました。スチュアートは、みんなを集めて言いました。
「君たちは、中学生相手にあんな負け方をして悔しくないのか!」
「ぜんぜん」
みんな首を横に振っていました。
「すぐに勝ってみせるわ。まだバスケを始めたばかりだから負けるのは当たり前だわ。すこし時間をくれれば勝ってみせる」
双子の姉、明菜が言いました。
「私たちは夏までには日本一になるわ」
妹のほうの若菜がきっぱりとした口調で言いました。
「夏までだって? みんな本気で言っているのか? 中学生相手にあんな負け方をして」
「昨日の試合は初めてだったし、どんなものか分からなかったから様子を見ていただけです」
いつもは冷静な桜花が言いました。かえって冷静過ぎる観察と言えなくもありませんでした。
「ミスター・ベネット、今度やれば私たちが勝つわ」
「私も勝つ自信がある」
雉原沙織は、落ち着いて言いました。
スチュアートがバスケットボールに気を紛らわしているあいだ、科学誌に彼の論文が掲載されました。
「やった!」
彼は、食べていたポップコーンを天井に放り投げて、気が狂いそうなほど喜びました。
「これでぼくの未来が見えてきた。そうだ特許を取らなくては」
雉原沙織の両親が弁護士だったのを思い出し、あくる日、彼女に尋ねました。
「沙織、君のご両親は弁護士だったね」
「そうです。なにかトラブルですか?」
「いや、頼みがあるんだ。連絡先を教えてくれないか」
スチュアートは、雉原弁護士事務所に電話を入れ、特許に関する相談をしました。次の土曜日に雉原一郎がスチュアートの自宅まで来てくれて、特許に関する契約を結びました。
「特許に関しては、私たちは人員も揃っていて、かなり詳しいです。それでアメリカにも行ったりしています」
「それだと任せていても大丈夫ですね。ただ私はお金がないんです。なんとかなりませんか?」
「心配ありません。この特許は売れるはずだから、そのときに払ってくれればいいです」
彼は、気が楽になりました。
バスケットボールの練習に出ていても、「先生、最近、明るくなりましたね」と桜花に言われたりしました。
「ぼくの研究がアメリカの科学誌に掲載されたんだ。いま特許の申請をしている」
「よかったですね。先生が一生懸命に研究をしているのは、みんな知っていました。お祝いしなくては」
「祝ってくれるのかい? それは嬉しいね」
スチュアートは本気にしていませんでしたが、暫くして、桜花から、「まるくんが先生のお祝いをしたい、と言っていました」と言われ、ペレシュ城に行く事になりました。
バスケットボールのチームは、中学生と再度、対戦しました。今度は、85対41のダブルスコア―で勝利しました。




