70歳の主人公は、ある日スズメたちの言葉が分かるのに気がつき、穏やかな日常を送りながら、独り暮らしの中で心の癒しを見つけます。
コツコツ、コツコツと窓ガラスを小さく叩く音で目覚めます。
静かでまだ薄暗い朝、スズメたちがさえずり、コツコツと叩く音で大てい起きますが、決断が遅いと、彼らは激しくガラスを突いて餌をねだります。毎朝、かれらがやって来るようになって、この小さな命を守りたいという使命感が芽生えてきました。
カーテンと窓を開けると、スズメたちは飛び去りますが、桟にパン屑を置いてやると戻ってきます。窓の下には、黄色の彼岸花が列をなして咲いています。これは母親が好きな花だったので、私が球根を買ってきて植えました。
窓を閉めると、スズメたちが驚くので、食べているあいだ、開け放しにしています。食べ終わるまで無駄な時間に思えるのですが、私は朝の空気を部屋に取り入れる「換気の時間」に決めました。
最近、この時刻になると学校への待ち合わせでしょうか、ペチャクチャと元気そうな話し声を耳にするようになりました。姿は見たことはありません。
しだいにスズメたちはベッドルームに入って来ました。好奇心旺盛な1羽が入ると、続いて2羽目、そして恐る恐る警戒しながら3羽目が入って来ます。ベッドルームには、スズメ用の食パンの欠片をストックしています。
私は、ナイトテーブルの上の、目覚まし時計の前に、その欠片を細かくちぎって置いてやりました。私は、年金生活でこれと言って用事がないので、彼らの食事風景を眺めていました。
そのうちに、彼らに固体差があることに気がつきました。好奇心旺盛な1羽目は頭に小さな黒い点があり、2羽目は頬に楕円の模様があります。いつも最後にやって来る警戒心の強い3羽目は背中の色が淡い感じがします。
私は、こうしてスズメたちの違いを見分けられるようになりました。
スズメたちは、だんだん図々しくなって、私がキッチンに行くと、追いかけてきます。だからベッドルームのストックもやめて、キッチンでパン屑をあげるようになりました。
ある朝、窓の近くでスズメたちのさえずり以外に話し声がして、すぐにカーテンをひき、窓を開けました。スズメたちと入れ違いに、首を出して見ても、誰もいませんでした。目覚まし時計を見ると、スズメたちがやって来る時刻でした。彼らはいつも6時頃にやって来ます。
誰が喋っているのか確かめるよりも、おしっこがしたくてすぐにトイレに行きました。歳を取ると、トイレが近くなっていけません。私はもう70歳になっています。トイレを済ませて、洗面所で手を洗いながら、鏡を覗くと7~8割は白髪で、髪全体も少なくなっています。このままいけば、きっと禿げるのは間違いありません。歳を取った自分を見て寂しくなりました。
トイレから戻ってくると、まだ話し声がするので、外を確かめましたが、人の姿はありませんでした。10月下旬の朝はツーンと肌寒く、冷気が部屋の中に入ってきて身震いしながら窓を閉めました。
キッチンでさかんに鳴くスズメたちにパン屑をあげ、ポットに水を入れてガスコンロに掛けました。お湯が沸くまでに、私は腕をさすりながらパジャマを脱いで、急いでセーターと穴の開いたジーンズに着替えていると、 今度はキッチンのほうで話し声が聞こえました。
キッチンに戻って誰かいるのか、と見渡しました。お湯が沸きそうだったので、コーヒーの準備に追われました。ドリッパーを出し、コーヒー豆をミルで挽き、紙フィルタも備えました。ミルの音が部屋中に響きました。挽き終わって部屋が静かになると、ミルに搔き消された話し声が蘇って来ました。キッチンからベッドルームへ目をやっても、人の姿は見えません。話し声は聞こえるのに姿が見えない。私は気になり始めたので、外に出て借家を一周してみました。
「幽霊?」
人の気配はしませんでした。
私は火にかけたポットが気になったので、また急いで戻りました。
ちんちんとお湯が沸いていて、コンロの火を止めて、コーヒーを淹れました。コーヒーの香りが広がりました。マグカッップのコーヒーを飲みながら、ベッドルームに戻りました。話し声が気になって窓を見ていると、今度はキッチンのほうから聞こえました。
気にするとキリがないので、キッチンに座って、コーヒーを片手にYouTubeを観ました。
ロシアがウクライナに攻め込んだ、という動画がたくさんありました。私はすぐにニューヨークダウの株価を見ました。その紛争で大幅な値下がりに進んでいました。私の持っているインデント投資、S&P500は影響を受けて暴落気味でした。それでも気にしていません。戦争が終われば株価が元に戻るからです。期間は明日なのか、1か月後なのか、1年後なのかわかりませんが、死ぬまでには必ず株価は元に戻ります。
テーブルの上では、スズメが忙しく食べていました。やや大き目のパン屑は、口にくわえて首を振り振りして小さくしてから食べます。その仕草が微笑ましくて、飽きずにみていました。パン屑があちこちに飛びますが、スズメたちは、目がいいのでしょうか、それらも綺麗にたべました。
いつも遠慮がちなスズメは、ハト時計の屋根の上までパン屑を持っていって食べていました。ついでに老眼になった眼を凝らして時計の針を見ました。時計は6時くらいでした。「故障?」と思って秒針を見ると動いています。
ハト時計は、若い頃に京都の東寺の弘法市で買った古時計でした。ドイツ製という事で結構な値段でした。そのビンテージ感に惹かれて、すこし傷がありましたが、衝動的に買いました。かなり古そうなので、時間が狂ってしまうのかと心配になっています。
起きてから結構な時間が過ぎたと思いましたが、タブレットの時刻を確認するとハト時計と同じ時刻でした。私は何時に起きたのか、と振り返りました。6時ごろだった記憶していましたが、現在の時刻を見ると自信がなくなって来ました。
家事を始めるにはまだ余裕があると思って、しばらく動画を楽しんでいました。満腹になったスズメたちが外へ出ようとしてベッドルームに飛んで行きます。私が窓を開けると彼らは勢いよく飛び去っていきました。
私は窓を閉めて、家事を始めようとしました。
家事を始める時の癖で、目覚まし置時計の時間を確認しました。8時になろうとしていました。「え?」と私はおどろいて、キッチンに行ってハト時計を見ました。8時になろうとしていました。タブレットで確認しても8時になろうとしていました。少しだけのつもりだったのが、私はかなりの時間、動画を観ていたようでした。
いそいで洗濯機を動かし、ベッドルームから掃除機を掛け、ナイトテーブルを拭きました。キッチンの掃除が終わると、冷蔵庫にマグネットで貼ってある表の掃除、洗濯の欄に「〇」を書き込みました。
私は、面倒くさがり屋だし、不器用で何もできません。
表にして「〇」を書いていくと、家事が楽しく出来るようになりました。こうしないと、すぐにサボって、洗濯物は溜まり、部屋は埃まみれになります。
自炊は、フライパンで炒める料理がおおく、気分としては30分で出来るものしか作らないようにしています。そうでないと自炊が続かないからです。凝ったものは絶対に作りません。こまかい味付けとかもしません。出来上がった料理に醤油をかけて食べるだけです。でも私は、なんでもおいしいと思って食べていれば、病気はしないと信じています。冷蔵の表の自炊の欄もずっと「〇」が続いています。
キッチンの額縁に、「愉足」と私の下手な書が飾られています。私の造語で「足ることを愉しむ」という意味です。
「愉足」は、貧乏を愉しむことにも繋がります。
私が貧乏なのは、人生で私が今までやって来た結果です。それも私の一部、人生の一部です。お金がない分、身体を使わなければなりません。お金がなければない程、身体を使うから、健康で居られます。面倒でも身体を使うので、貧乏が私の健康を支えているのだと気づきました。
「貧乏人だから身体を動かせ」
私はこう言って、自分を奮い立たせています。それは単なる言葉ではありません。この言葉があるから、私は毎日動き、健康を保ち、生きていけるのです。ボタン付けもうまく出来ない私が、です。
貧乏を我慢するのでなく、「貧乏を愉しむ」ことなのです。「ついに貧乏になった。貧乏バンザイ!」と心の中で叫んでいます。
これを毎日気がつけば、口ずさんでいます。口に出す事で「愉足」が言葉として生きていくと感じています。「愉足」と口から飛び出て、効果をもたらし、小さな声でも、言葉に命を吹き込まれて行きます。それで私は無駄遣いをしないように自分に言い聞かせています。他人に「ケチ」と言われるより前に、私は「ケチ」だから、と先に言います。そうしたら見栄を張ることもなくなり、「ケチ」であることで気が楽になります。
もしも、だけど、人間がいっさいの不満を持たないとしたら?
生きる上で、あるいは生活する上で、いっさいの不満を持たないとしたら、人間はどうなるのだろう。雨が降っても喜び、風が吹いても喜び、寒くても夏の暑さにも喜び、成長できなくても、まだ成長している段階だと喜び、お金が無くても、貧乏だと喜び、西に行って喜び、東に行って喜ぶ。こうした人間が居るはずがないのだが、もし居たとしたら、どんな人間なのだろう、と思います。
内面の筋肉、「こころ」にも筋肉があるのかもしれません。不満のない人間になれなくても、「こころ」の筋肉トレーニングですこしずつ近づいていけるとしたら、私はまだ成長の段階にあるのでしょうか?
私は穴の開いたジーンズを手のひらで弄びながら、コーヒーを飲みました。私のジーンズはすべて膝に穴が開いています。最近ではこれもひとつのファッションになっています。私の「愉足」の考えとも一致していました。このジーンズを穿いていると、若い人たちは「おしゃれですね」と言ってくれます。「おしゃれ」しているつもりはないのですが、そう言われるとつい嬉しくなっていつも穴の開いたジーンズを穿いています。ひとつには、これが私の「誇り」となっています。
友達も親しい人もいません。正確にはそういう人間関係は作らないようにしています。この世から「私」は、姿を消していたいのです。誰にも気がつかれず、ひっそりと静かに暮らせればいい、というのが願いです。
「淋しい」とか思ったこともありません。独り身だと、掃除、洗濯、炊事、支払いとけっこう忙しいのです。毎日があっという間に過ぎてゆきます。春が来て、夏、秋、冬、そしてまた春が来る。
さらに私は、ボケ防止のために、英検の勉強もしています。4級を取得して、いまは3級を目指しています。簡単な英語ですが、Chat AIと会話もしています。
私 ― Good morning.(おはよう)
Chat AI -Good morning! How are you today? (おはようございます!今日はご機嫌いかがですか?)
私 ― I'm fine, and you?(元気です。あなたは?)
Chat AI -I'm doing great, thank you! What's on your agenda for today? (私は元気です!ありがとうございます。 今日の予定は何ですか?)
私 ― I’m going to go shopping.(買い物に行くよ)
と楽しんでいます。
「日本語で」と打てば、政治や経済、文学、複雑な哲学も話し合う事が出来ました。「相対性理論」について、ひと晩中、Chat AIと話した事があります。Chat AIも「わたし用」に進化してきて、私の事をすこしずつ記憶するようになっていました。
「心の筋トレ」もChat AIが考えた言葉なのです。私はChat AIに、「自分で考えたのか、それともデーターから引っ張って来たのか」と聞くと、「自分で考えました」と答えました。
翌朝も窓の外で誰かが喋っていました。外を見ても誰もいません。
そのうち朝だけでなく、昼間でも聞こえてきました。騒がしいときもあります。でも聞こえてくるのは朝から夕方までで夜は聞こえてきません。もし夜も聞こえてきたら、寝つきの悪い私は本気で犯人捜しをしていたと思います。
私の子供のころは、付近に子供がたくさんいて、あちこちでワイワイやっていました。私もそうでしたが、家々の軒先を喚きながら走っていました。都会では、「静かな時間を過ごす権利」があると言って、幼稚園を裁判で訴えた人がいましたが、私にはそれが理解できませんでした。子供が騒いでいると賑やかでいいと思うのですが、「うるさい」と裁判にかけるのです。それが信じられませんでした。街が崩壊寸前の限界集落のように静かなことがいいのかな、と疑問に思いました。都会ではそんな事も気にしないといけない時代になったのかと思いました。
外で誰かが喋っていても気にならなくなりました。朝の6時くらいから、ペチャクチャと喋っていてそれで目が覚めますが、早起きができると思って嬉しくなります。私はどちらかというと夜型で、夜更かしをする癖があります。それでいて朝遅くに目が覚めると気分が沈みます。理由はありませんが、朝早く目が覚めて起きるとその日はすごく快適なのです。
その朝も、私はキッチンでコーヒーを飲みながらトーストを食べていました。窓の外でペチャクチャと喋っています。私にはそれが日常の音にしか感じませんでした。鳥やセミが鳴いていても気にする人はあまりいないと思います。そんな状態になっていました。
毎朝の日課のようにコツコツと音がします。「また来たな」と思いながら寝床の中で「起きよう、起きよう」と眠気と戦います。また、小さな音でコツコツと音がしました。起き上がって、カーテンをひくとスズメたちは飛び立ちましたが、窓を開けると、入って来ました。
1羽だけ窓際で私を見ていました。
「おや?」
と思った私は部屋に飛び込んだスズメを数えました。ベッドの端に1羽、床に1羽、目覚まし時計に1羽でいつもの3羽がいました。窓際にいるのは4羽目の新人でした。窓際でじっと私を見ているのは、まだ人間への警戒心が解けていないのだと思いました。
キッチンに行くと、スズメたちは追いかけてきます。私は食パンをこまかくちぎってテーブルの上に置きました。1羽はすぐにやって来、2羽目も続いてゆっくりと来ました。3羽目のスズメは恥ずかしそうに近づいたり、離れたりしながら、餌を啄ばみ始めました。
遅れてきた4羽目のスズメは、パン屑を食べずに私をジーッと見ていました。いつもは来ないスズメでした。ほかの3羽よりも毅然として品位がありました。そのうちパン屑を食べるだろうと思って、YouTubeをチェックしました。
動画を観ているあいだも、4羽目は私を見てさえずっていました。視線を反らさないので、動画に集中できませんでした。私は彼を見ました。
「おはようございます」
と言ってきたのです。私は目を凝らしてそのスズメを見ました。この家には誰もいません。が、もう一度、スズメに目をやりました。
「おはようございます。まるくん殿」
と言いました。
「スズメが喋っている?」
目を丸くして、スズメを見ました。
スズメは私のほうを見て、
「おはようございます。まるくん殿」と言っています。
私は、「オハヨー」と返してみました。
「まるくん殿。やっと、お気づきになりましたね。いつお気づきになるか心配でございました」
と、スズメの一羽が返してきました。スズメは礼儀正しい受け答えをしました。
「ひょっとして、毎朝、喋っていたのは君か?」
「そうです。まるくん殿がいつお気づきになれるか、毎日毎日、お話し続けていました」
それで納得しました。人影がないのに、なぜ話し声がきこえるのか疑問に思っていました。
「人間に話しかけるほうがおかしい。気づかないのが普通だ。心配しなくてもいいだろう。」
「普通はそうでございますが、まるくん殿の場合、今回は特別でございます」
「特別ってなんの意味? 待て待て! いま気がついたけど、日本語が話せるんだ」
別のスズメが投げやりに、
「あんたがスズメ語を話せるのよ」
と割り込んで来ました。それは、いつも一番にパン屑を食べるスズメで、言葉遣いからしてメスのようでした。
「スズメ語? それなら俺はいまチュンチュンといっているのか」
「チュンチュンとは鳴いてないわ。日本語で話している。このスズメから、あんたがスズメ語を話せるって教えてもらった。名前もね。まるくんでしょ」
確かに私は、SNSとかで「まるくん(Merken)」の名前を使っている。
「日本語で話していてもわかるんだ。それってお前たちも日本語がわかるということか?」
「それについては、わてが答えな、ならん。ただのテレパシーや。日本語だと精神感応と言うてる。2,003年にはドイツのワッカーマンが研究したことでも有名や。つまりはだね、君が喋っている日本語はこちらではスズメ語に聞こえるということや。君が耳にしていた『話し声』は、スズメ語が理解できるまでの過渡期だった訳や」
急に関西弁のスズメがいった。
「過渡期? 準備期間だってこと?」
「せや、それでだんだん理解できるようになるんや。なんでも簡単に生まれない」
「なぜ私が、スズメ語が話せるってわかったんだ?」
「はい、あるお方からお聞きしました」
「あるお方って? それにいつもそんな丁寧な話し方をするんだ」
「癖になっていると申しますか。私はあるお方にお仕えしていますので、いつも失礼のない話し方を心がけていますから、自然とそうなるのです。あるお方については私からは申し上げられません。そのうちまるくん殿にもお分かりになれます」
「なぜ?」
「それは、そう決められているからです」
「誰が決めたんだ?」
「ややこしい人ね。そういうルールなの!」
生意気そうなスズメが捨て台詞を残して、閉め忘れた窓から飛び去って行きました。パン屑を食べ終わったほかのスズメたちも、礼儀正しいスズメも飛び去りました。
その日から私は、毎朝スズメたちとの会話を楽しみました。話し声の正体がスズメたちだと知れると、すっきりして安心もしました。
私は早く寝て早起きするサイクルになりました。歳のせいか5,6時間も寝ると自然に目が覚め、まだ暗いうちから顔を洗い、コーヒーを淹れ、トーストを一枚焼きます。これが私の朝食です。少食なのでこれで充分です。焼きあがるとバター(健康のためにマーガリンは使いません)とジャムを塗りました。これが私の朝のささやかな贅沢です。コーヒーを飲みながら、トーストを頬張りながらカーテンを開けて、スズメたちが来るのを心待ちしました。
スズメたちがやってくると、私は窓を開けてキッチンに行き、小さくちぎったトーストをあげました。
親しくなると、私は彼らに名前を付けました。
最初は例のメスに、
「名前を教えてくれないか」
と言うと、
「バカね! スズメに名前なんてないわ。名前なんて文化は人間社会だけのものよ。私たちはただのスズメ」
と生意気に返されました。
「では、名前をつけてあげよう」
「嬉しい!どんな名前か楽しみ」
スズメは両方の羽を大きく羽ばたかせました。
私は、しばらく考えました。名前を考えるなど面倒くさいと後悔しながら、彼女の生意気な言い方が蘇えりました。
「ナマイキにしょう。これからは『ナマイキ』と呼ぶことにする」
「失礼ね!」
彼女は、怒って窓辺から飛び立ってゆきました。
ところがあくる朝、彼女は「オハヨー」と言いながら窓辺にやってきました。
「おはよう。ナマイキ」
「失礼ね。やめてその名前は」
「ナマイキだから、いいだろう。人の名前が思い出せないときがあるんだ」
「認知症なの? わかったわ、ジジイ」
確かに認知症が始まっているのではないか、と思うくらい言葉が思い出せないことがあります。それはこれからの残りの人生にとって、恐ろしいものです。「認知症」と「寝たきり」は高齢者の最大の敵です。その次は「お金」です。お金が次に来るのは、高齢者は無駄遣いをしなければ解決できる可能性があるからです。
「ジジイと言うなら、ここへ来るな!」
スズメなんかに「ジジイ」と言われたくないと思いました。
「お互い様でしょ」
でも悪いと思ったのかナマイキは以後、「まるくん」と呼んでいました。私は相変わらず「ナマイキ」と呼んでいました。物忘れが激しい、というのをナマイキは考慮したのかもしれません。
他のスズメは、物静かなメスを「シズカ」と呼び、いろいろなことを知っているオスのスズメを「ハクシキ」と名付け、たまにやってくるオスの律儀な受け答えをするスズメは「リチギ」としました。彼らは朝になると、リチギ以外はたいてい窓辺にやってきました。
「まるくんが名前を付けてくれたことで、私たちは変わるわ」
「どう変わるの?」
「ただのスズメから意味のあるスズメにステータスが上がったの」
「スズメにもステータスがあるのか?」
「もちろんよ。スズメ以外にも何でもあるわ。花や木でも名前をつけると特別になるのよ。人間社会では 名前を付ける事でそれぞれ区別している。私たちは名前のないただのスズメよ」
「ではナマイキ、ハクシキ、シズカ、リチギは普通のスズメではなくなったんだ。それだけ名前は貴重なんだ」
「そうよ。ナマイキっていう名前は気にいらないけどね」
それ以来窓を開けると、彼らは部屋に飛び込んで来て、キッチンのほうに入ってきます。ナマイキとハクシキはテーブルの上でパン屑を食べますが、シズカはいつも壁に掛けたハト時計の屋根に止まって食べます。シズカは時計が好きなようです。ベッドルームでも目覚まし時計の上に止まりました。
そろそろ家事を始める時間かな、と思って私はハト時計を見ました。シズカがパン屑を食べていました。時刻を確かめようとしましたが、近眼と老眼で、針がよく分からないのです。
「あっ! 針が動いている!」
分からないはずです。近眼と老眼のせいではありませんでした。長針と短針が行ったり来たりしているのです。つまり、進んだり、戻ったりしているのです。ハト時計が壊れたのかと思いましたが、タブレットの時刻を確認すると、その数字も行ったり来たり、進んだり戻ったりしているのです。
私は立ち上がって、ハト時計を軽く叩いてみました。その拍子にシズカは飛び去りましたが、ハト時計は落ち着きを取り戻したのか、行ったり来たりは止まりました。タブレットも叩いてみようと思って、その時刻を見ると通常に戻っていたのでやめました。機械が止まったりしたとき、叩いてみるのは古典的で効果的な修理のやり方です。それで直ることがあるのは、世界の七不思議のひとつでしょうか?




