猿投さんや中島技師の助けを得て、「空飛ぶミニカー」の制作が成功する。ミニカーは宙に浮き、まるくんと仲間たちは喜びと感動を分かち合う。
一陣の風が通り過ぎました。
川沿いの道をウォーキングしていると、いきなりの突風が私を襲いました。世界が私に反応しているのを感じました。
「なにかある」
私は身を固くして身構えました。凜もなにかを感知したのか、低い態勢で唸っていました。黒雲が現われて、いまにも雨が降り出しそうに暗くなりました。
数えきれないカラスの群れが竜巻になって、ぐるぐると回っていました。それらは黒い柱となって、天空を覆いました。
その中から黒い大きな塊が現われて、私に向かってきました。
「まるくん! 気をつけて!」
凜は歯を剥き出して吠えました。
黒い塊は、私の目の前を塞ぎ、大きなカラスになりました。とつぜんだったので、逃げるひまもありませんでした。戦うしかないと観念しました。
「余は、カラス大王である」
「何の用だ!」
「おまえが目障りだから、成敗に来た」
凜がカラス大王の前に立ちはだかって、戦おうとしました。
「まるくんに手を出すと、私が許さない!」
私も身の危険を感じて、そばにあった石をつかみ、先手を取ろうとしました。カラス大王が飛びかかって来たので、石を投げつけました。カラス大王は大きな羽根で払いのけ、私を鷲づかみにしようと爪を伸ばして来ました。身を伏せて避けました。
カラス大王は、一撃に失敗すると、ユータンして、また襲い掛かって来ました。凜がまた前に出てきて、応戦しようとしました。カラス大王はさらにスピードをあげて、爪を伸ばして来ました。
「懲らしめてやる!」
「私の台詞よ!」
凜がその爪に噛みつきました。
カラス大王は、凜を振り切り、高く飛び上がりました。私はカラス大王に石を投げつけました。その石は大きく逸れました。すぐにまた石を拾って投げました。なんなく交わされてしまいました。
反転して襲い掛かって来ましたが、突然の風に態勢を崩しました。カラス天狗様が団扇で素早い速さで扇いでいました。ひと振りするごとに突風が起こり、カラス大王はふらふらとよろめきました。
「くそ! 邪魔が入った」
カラス大王は遠くに逃げて行き、黒雲は追い払われて、周囲が明るくなりました。
「まるくん殿。大事ないか」
「大丈夫です。お陰で助かりました」
「まるくん、怖かったね」
「凜は勇敢だったね」
「これでも犬だから、いざとなると番犬になるよ」
凜は、8か月になっていて、私では抱えきれないくらい大きくなっていました。
風が草木を震わせ、川の水面がざわめき立ちました。
「まるくん殿、ヒミコ様がお越しになられた」
私は全身、鳥肌が立ち、高貴な方の存在を感じました。ヒミコ様は姿を見せたのではなく、光となって現れました。
「まるくん、あなたを『鬼道』の継承者として正式に伝えます。上野譲が本来の継承者でしたが、寿命が尽きるのを予感したので、私はあなたを選んでいました。」
「上野譲って、自衛隊員の?」
「そうです。その男性から、あなたに継承されました。あなたはすでに手にしているはずです」
「たしかに幻で見せられました。でも私は何も出来ません」
「あなたの存在が必要なのです。能力のある者たちが、磁石が鉄を引き寄せるように、あなたのもとに集まって来ます。それが、あなたの『鬼道』です。いま『鬼道』は、あなたに伝承されました」
「伝承されたって、、。」
ヒミコ様はそう言うと、何処へかと去って行きました。光は消えていきました。
買い物のあとに、スーパーの敷地内にあるカフェに行ったとき、紘一君は大人の男性とウッドデッキに出て来ました。会話から、紘一君の父親だと分かりました。
「やあ、紘一君」
凜は尻尾を振って喜びました。
私は紘一君にボールを渡しました。さっそく紘一君は、ボールを投げて凛と遊び始めました。そのあいだ、私は、カバンからハクシキの形見のメモを出して、勉強を始めました。図書館で借りた参考書とメモを見比べていました。この歳になって、こんな高等数学を勉強するとは思いませんでした。もう私は分数の計算もあやふやになっていました。
嫌になる気持ちを抑え込んで、必死になっていました。なんとしてもミニカーを完成させないと、ハクシキに申し訳が立ちません。
苦戦していると、紘一君の父親がのぞき込んで来ました。
「見てわかりますか?」
「大学でこの分野が専攻でした。苦手ではないです」
「私はさっぱり、です」
彼はメモを見ながら、顔つきが真剣になってきました。
「すみません、詳しく見せてもらっていいですか?」
「いいですよ」
私は、彼にメモを渡しました。
驚いた顔で、彼はメモをめくっていきました。
「これはどこで手に入れたのですか? あなたが書いたメモですか?」
「メモは私が書きました。考えたのは私ではありません。これ以上は話せません」
映像が見えて、それを私がメモに書いたと言っても、彼が信じる訳がありません。
「私はT電気という会社に勤めていたころ、このメモのような製品を作りました。これを考えたのは自衛隊員の方ではありませんか?」
今度は私が驚きました。
「そうです。その自衛隊員は、上野譲さんという方だろうと思います。面識はありません。ご存じですか?」
「ヘリコプターの事故で無くなった方です。そうか彼はこれが作りたかったのか! やっと全貌が見えてきた」
ヒミコ様の『鬼道』が頭に蘇りました。彼がミニカーの完成に欠かせない人物ではないかと感じました。
「申し遅れました。私は紘一の父親で、猿投と申します。この製品は作るつもりなのですか?」
「絶対に作ります!」
作らなければ、上野譲さんやハクシキに顔が立ちません。
「私にお手伝いさせてもらえませんか?」
「もちろん、大歓迎です」
私は、その男性、猿投さんに住所と簡単な自宅の地図、電話番号を教えました。
その日に猿投さんから、あくる日に家を訪ねるという電話がありました。
「重要な要件なんです。詳しくは明日にでも」
猿投さんは、そう言って電話を切った。
翌早朝、凛と散歩から帰って来ると、猿投さんが玄関で待っていた。まだ約束の時間よりも30分も早かった。
「すみません、お待ちになりました?」
「いえいえ、少しだけです」
凜が、「紘一君のお父さんだね」と猿投さんにまとわりついた。
猿投さんを家に招き入れると、私は凜の足を洗って、リビングに入った。凜は洗い終えると、一目散に猿投さんのもとに行き、ソファーに座っている彼に飛びついた。私の家では人が来るのは珍しい事なので、それが凜には嬉しい事なのだと思いました。他人がこの家に入るのは、何人目かな、と知らず知らずに数えていました。
私は彼を待たせたのを申し訳なくおもいながら、
「コーヒーでも飲みますか?」
と聞いてみた。
「いえ、それよりこれを見てください。重要な要件とはこれです」
彼は、紙包みから、厳重に梱包された、小さな部品を取り出した。
「これがないと、あのメモの製品は完成しません」
ナマイキとシズカも興味深そうに見ていました。
「よく馴れたスズメですね」
「よく言われます」
私は、答えながら、
「このミニカーに取り付けてほしいのですが、取り付けられますか?」
と母との思い出のミニカーを出して質問した。
「部品は問題ないですが、製品自体をすこし小さくすれば取り付けられますね」
「工作室に行きましょうか」
工作室と呼べる部屋ではなかったが、いろいろと道具があるので、猿投さんをそこへ案内した。凜と、ナマイキ、シズカも追いかけて来た。
「必要な物とかありますか?」
彼はそれには答えず、ミニカーを器用に分解し始めていました。
「もう粗方、出来上がっていますね。でもこれだけだと完成は無理です。どうしてもこの部品を組み込む必要があります。どうにかスペースを確保しましょう」
猿投さんは、道具箱や素材が保管されている場所を丹念に調べていました。ブリキを工作台に乗せ、寸法を測り始めました。金切り鋏で切ったり、ハンダ付けをしたりして新たな製品を作ろうとしていました。
夢中になっている猿投さんに、私はコーヒーを淹れてあげました。彼にコーヒーを勧めると、私は凜やスズメたちを連れて、外の喫煙所でタバコを吸いました。
「まるくん、あの人は誰なの?」
ナマイキが聞いて来ました。
「猿投さんって言って、『空飛ぶミニカー』を作ってくれる人だ」
「ミニカーは完成するの? お父さんが喜ぶわ」
「そうだね。ハクシキをもってしても、肝心なところが分からなかった」
「私は、あの人の子供の紘一君と仲良くなった」
足もとで寝ていた凜が頭を上げて言いました。
「私も仲良くなりたいわ」
スズメたちは、カラスの源三が怖かったので、ほとんど部屋の中で過ごしています。外に出る時は、必ず私がそばにいる時にしか出ませんでした。
「ああ、自由に空を飛びたいわ」
シズカが羽根をばたつかせて言いました。
「ここでもいいじゃない。3食昼寝つきよ。外で危ない目に合うなら、ここでいいわ」
ナマイキが楽しそうに言いました。
「お母さんはそれでもいいかもしれないけど、私は自由に飛びたいわ」
「自由に危険はつき物よ。そんなのまっぴらだわ。ひまな時は適当にまるくんの相手をしてあげればいいし」
「適当に相手しているんだ。随分だな」
「私は『空飛ぶミニカー』と一緒に自由に空を飛ぶわ。そうすれば、お父さんと飛んでいるような気がするかも」
みんなで工作室に戻ると、猿投さんは制作に夢中で、コーヒーも飲まれずに冷めていました。暗くなって、電灯を点ける時刻になると、さすがの彼も工作部屋を出て来ました。
「遅くまですみません。そろそろ帰ります。なにせ居候の身分なので」
「私のほうは構いませんよ。独り身ですし、気兼ねはしないで下さい」
彼は週に2日か3日、家に来ました。
朝早くからやって来て、昼に持参した弁当を掻き込み、すぐにまた暗くなるまで制作に取り掛かっていました。
「進み具合はどうですか?」
「うまく行きません。設計が主で、技術者としては素人ですからね」
ある日、家のピンポーンが鳴りました。
「まるくん、まるくん、お客さんだよ」
私が玄関に向かうと、凜はドアの前で尻尾を振りながら、待ち構えていました。ドアを開けると、凜は訪問客に飛びつきました。
「凛、だめだよ」
凜に大人しくするように促しました。
「お久しぶりです」
訝しそうにする私に、訪問客は、
「建部製作所の中島です。覚えてないですか?」
と言いました。
「思い出しました。その節はお世話になりました」
「いえいえ、部品が不具合だと仰っていたのに、ご連絡がないので、近くに来たついでに、心配で心配でやって来ました。その後どうなりました?」
「連絡するのを忘れていました。部品はそのままです。でも今、新たな展開になっています」
「すこし見させてもらっていいですか?」
「どうぞ、どうぞ」
「まるくん、まるくん。珍しいね。家の中に知らない人が二人もいるよ」
凜は、そわそわして言いました。
「初めてかな? 快挙だね」
私は、建部製作所の中島技師を工作部屋に案内しました。
「いま猿投さんっていう方に制作してもらっています」
「猿投さん? って、もしかしてT電気の?」
そう言われて、猿投さんは制作品から目を離し、立っている中島技師を見上げました。その途端、猿投さんは立ち上がって、「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げました。
「請求書の件ですか?」
「そうです。せっかく作ってもらったのに、不義理をしてしまいました」
「私は気にしていませんよ。たいへんなのは社長だけです。それに遅れても支払ってくれたじゃないですか」
「支払いに時間を掛けてしまいました。帰ったら社長さんにも謝っていたと、お伝えください」
「分かりました。伝えておきます。それよりも今、新たな展開ってお聞きしましたが、猿投さんだったんですね」
「新たな展開どころか、苦戦しています」
「見せてもらっていいですか?」
「どうぞ」
と猿投さんはミニカーと制作中の製品を見せた。
しばらく眺めて、
「これは素人には無理でしょ。精密過ぎる。プラモデルのレベルじゃないですね。分かりました。私が作って差し上げましょう」
「いや、でもこれはまだ世間に出したくないのです」
私は、中島技師の申し出を断ろうと思いました。
「ここで作ればいいじゃないですか。会社には急に用事が出来た、と言って有休を取ります。2、3日あれば出来るでしょう」
「でも泊まるところがありません。この狭い家では無理です」
「ビジネスホテルかなんかあるでしょ」
「私の嫁の実家に来ませんか?」
猿投さんは、奥さんに電話しました。外に出て電話していたので、詳しくは分かりませんでしたが、さかんにお願いしているようでした。
「嫁の許可が出ました。うちに泊まってください。ぜひお願いします」
中島技師は、2日で製品を仕上げました。
彼は部品をミニカーに取り付けました。私は、凛やスズメたちと息を呑んで見守りました。猿投さんがスイッチを入れました。しばらくするとミニカーがゆっくりと宙に浮きました。
「やったー!」
ガッツポーズをして、私は猿投さんや中島技師と喜びました。犬の凜やスズメたちも喜びました。
「まるくん、やったね!」
「これでお父さんと飛べるわ」
「ふん、スズメの世界に人間がやって来る」
ナマイキは、それでも嬉しそうでした。
「なるほど、これだったんだ。これは秘密にする訳だ!」
「中島さん、どうか内密にして頂けますか?」
「もちろんです。喋りません」
秘密のプロジェクト、『空飛ぶミニカー』に光が当たったような気がしました。この部屋のどこかで母親が見守ってくれたような気がしました。




