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まるくんの夢物語  作者: まるくん
第13章 失われた部品
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T電気の猿投紘太郎は、自衛隊の上野から部品の依頼を受けるが、彼は死亡してしまい、会社が部品代の支払いを拒否したので下請け会社に黙って戻してしまう。

 

 猿投さなげは、いつものように朝の通勤電車に乗り込みました。

 車両はいつも混み合っていますが、猿投にとってその押し合いへし合いの人々は、まるで別の世界の住人のようでした。自分だけが真っ黒な大きな穴の底にいるような気がしていました。会社に対して隠している秘密が、いつ暴露されるのかと怯えながら、毎日をびくびくしながら過ごしていました。布団に入ってもなかなか寝付けず、いつも睡眠不足で、身体が重だるくなって、通勤電車で立っているのも苦痛でした。

 だから彼の頭には神経性のハゲが3つ出来ていました。家庭でも寡黙になり、夫婦とのあいだも子供たちとのあいだも険悪になっていました。職場でも他人を避けて、ひとりでいる事が多くなりました。

 吊り革を握る手は汗ばみ、車両の揺れに合わせて微かに震えていました。その手元をじっと見つめ、思わずため息が漏れ、「この手だ。この手があの部品に触れた」。その記憶は脳裏から離れず、脈打つように頭を締めつけました。それでも電車は進み、彼を会社へと運んでいきます。猿投は、電車がこのまま事故でも起こって、止まってしまえと思いました。

 電車が駅に着いても、降りるのに軽い決意が必要でした。家族を養うために電車から降りなければなりませんでした。死ねばすべてから解放されて楽になるのに、と思わないではいられませんでした。電車から降りても端の壁のほうを歩きます。秘密が重い足かせになって、ためらいながら工場まで歩いて行くので、彼は大てい多くの人々に抜かれていきました。その人たちの邪魔にならないように端を歩きました。

 T電気の工場が見えてきました。

 彼はここで研究員として働いていました。彼が秘密を持ったのは、大学院を卒業後に入社し、この工場に配属されてから13年目、37歳のときでした。

 本社の常務から、ある電話がありました。常務とは話したことも面識もありません。名前すら知りませんでした。さすがに社長の名前は知っていますが、ほかの役員の名前は知りませんでした。常務がなぜ私に電話してくるのか不審に思いました。

「猿投君、ある人と会ってほしいんだが、ひまはとれるかね。大切なお取り先様なんだけど」

「はい、研究以外では特別な予定はありません」

「では、その人をそちらに向かわせるけど、それでいいかね?」

「はい、問題ありません」

 その人は常務の取引先の関係者らしくて、困った問題に直面しており、常務に相談したという事らしいのです。常務は人づてに私の事を調べて、適任だろうと考えて電話をしたのだろうと憶測しました。

 平日にその人はスーツ姿で工場にやって来ました。彼を応接室に通すと、「航空自衛隊員で、名前は上野譲です」と私に言いながら身分証明書を見せてきました。

 それには、航空2佐、上野譲とありました。

「それで私に用件とは?」

 猿投は身分証明書を上野譲に返しながら聞きました。

「実は、極秘でお願いしたい事があります」

 自衛隊員で極秘といえば、国家機密に関することか、と猿投は生唾を飲み込みました。

「実は、これなんです」

 上野譲は、簡単な設計図とメモのようなものを見せました。

「これはなんですか?」

「詳しくは申し上げられません」

「極秘、トップシークレットという事ですか?」

「そうです」

 猿投は、そんな重要な案件を自分が引き受けていいのかと不安になりました。

「会社は知っているんですよね」

 常務が電話してきたくらいだから、会社は当然知っているものだと思いました。

「いいえ、知りません。事が極秘だからです」

「知らないんですか?」

「知っているのは、あなたと私だけです。あいだに入ってくれた常務さんも中身のことは知りません」

「当社の常務も知らないのですか?」

「そうです。自衛隊で取引のあるところから、技術面でT電気を選択しました。それで自衛隊の中でT電気に関係している隊員にお願いして、常務さんにお電話を差し上げました」

 猿投は、会社も知らない事を簡単には引き受けられないと思いました。

「残念ですが、私には引き受けることは出来ません」

「この試作品を作れるのは、世界中であなただけです」

「でも私は会社員です。会社が許可しない事を、わたし個人が引き受けることは出来ません。それに私は制作部門ではありません。研究部門に所属しています。新製品を考え、実際に設計して試作品を作ることが仕事です。たまに部品を作ることがありますが、それは飽くまでも試作品としての事です」

「それで充分です。試作品でいいのです。これはあなたにしか出来ない事なんです」

「私の事を過大評価してませんか? それほどの人間ではありません。大学もそんなに偏差値が高いところではありません。大学院は出ましたが、それは自分の希望した会社から内定をもらえなかったので、仕方なく院に行ったというのが正直なところです」

「偏差値とか、いい大学は関係ありません。あなたしか作ることが出来ない事を私は知っています。とにかく一度、資料を見てくれませんか」

 上野譲は、そう言って、テーブルの上のメモと設計図を猿投の前に差し出しました。

 猿投は、ずいぶん高慢ちきな言い方だと思いました。あるいはお世辞かもしれないとも思いました。しかし、そう言われて悪い気はしません。彼はまず、差し出された設計図を手に取って見、細部を追っていくうちに、あることに気がつきました。猿投は差し出された設計図を手に取ると、細かい図面や記号の一つ一つを凝視しました。

「これは?」

 最初は何のことか分かりませんでしたが、目を進めるうちに徐々に脳裏で製品の構造が立体的に組み上がっていきました。そこには、かつて猿投が夢中になっていた「ナノテク素材」を使った超電導技術のアイデアが垣間見えたのでした。「超電導コイル? いや、この配置なら地磁気との相互作用で強力な磁場が発生する仕組みかもしれない!」と猿投は大学院のときの苦悩した光景が蘇りました。それは懐かしくもありました。

 設計図に記された数値や素材の特性は、彼が大学院時代に研究していたテーマと不気味なほど一致していました。まるで自分の過去の思考が誰かに見透かされ、ここに具現化されたかのようでした。

 猿投は心臓が早鐘を打つのを感じました。この技術は、彼が研究していたころにはまだ理論段階で、それを完成させる事に何枚も設計図を書き、試作品の製作に挑戦しました。これを実現するには、ナノスケールで素材を制御し、磁場を効率的に発生させる必要がありました。それにはナノチューブかグラフェンのような材料が適しています。けれど、それをどうやって実現するのだろうかと考えました。

 猿投の頭の中で、記憶の奥底に眠っていた理論や実験結果が次々と呼び起こされた。それらが一つの線で繋がり始めました。

「これは、まさに地磁気を活用した推進システムだ。これを軍事に使うつもりなのか?」

 猿投は設計図から目を離し、ふと顔を上げて上野譲を見つめました。戸惑いと興味が交錯し、そして少しの恐怖が入り混じっていました。

 しばらく上野譲を見つめて、

「これは超電導ですか?」

 と質問しました。

「そうです。超電導の遥か上を行く超々電導です。現状のレベルでは比べ物にならない程の能力があります。これが理解できたという事、それはあなたに制作する使命があるという事です」

 ほかの人間ではこれを見て一瞬で何のための試作品なのか理解できないと思いました。猿投は、この試作品の研究を大学院でやっていたのでした。しかしいくら試作品を作っても成功しませんでした。あるときなど、38時間も研究室に籠ってやったこともあり、椅子に座り続けた所為で両足の付け根にアザが出来たこともありました。とうとう資金が底をついてどうにもならなくなり、ほんとうは根気がなくなっていたのにそれを理由にして研究を断念しました。この研究をこれほど没頭したのは世界中で自分以外にいないと自負していました。ひょっとして大学院のときの研究が完成するのではないかと感じました。それが今ここに、現実的な設計として現れていました。

「どうですか? あなたの興味のある事ではないですか?」

 猿投は一瞬のためらいがあったのですが、

「しかし、会社の承諾を得ないことには、、。」

 と答えを曖昧にしました。

「それだけは絶対にダメです。極秘です」

「個人的な依頼ですか?」

「いいえ、防衛庁が発表した時点で、御社の成果となります」

「しばらく考えさせてもらえませんか?」

 そう言ってその場を終わらせるしかありませんでした。

「分かりました。今日は挨拶だけと言う事で、これで帰らせていただきます。今日は貴重な時間をありがとうございました。また連絡を差し上げます」

 上野譲は立ち上がって一礼しました。自衛官らしいきびきびした一礼でした。

 彼を玄関まで見送ったあと、研究室の自分の机に戻って仕事を始めようとしましたが、身が入りませんでした。報告書や資材の購入の稟議書などが山積していましたが、手をつけようとしても上野譲に見せられた設計図の事が頭から離れませんでした。一旦、諦めた大学院時代からの研究が叶えられるのではないかと感じました。猿投は、諦めたというよりも、その研究から逃げてしまった、という自責の念、あるいは能力の限界を感じていました。つまり、「やっぱり自分はバカなんだ」という卑下するようになりました。猿投はそれが悔しかったのです。自分には能力があるはずでした。中学時代から真面目に勉強していれば、東大にだって入れたと後悔もしていました。やれば出来るのにやらなかっただけで、本気になれば出来ないものはないと思っていました。それが証拠に中学生のときは、教師の授業をあまり聞いていませんでした。テストの前に、教科書を見れば、理解が出来ていい点が取れました。その思いが超電導の研究で打ち壊されてしまいました。

 しかし、謎もありました。

 猿投が大学院のときに、この研究をしていたというのは、どうして知っていたのかという事でした。研究を中止したためにレポートなどの類は大学に提出していないし、担任の教授にも見せていません。会話の中で超電導の研究をしているくらいの事は話したと思いましたが、詳細やプロセスなどはまったく話していません。研究したときの資料と言えば、猿投がメモしたノートくらいのもので、誰の目にも触れさせた事はありません。猿投自身も所有している事は認知していましたが、家のどこにそれがあるのか忘れてしまいました。それに上野譲は何度も「あなたに制作する使命がある」という意味の事を言っていました。

「制作する使命?」

 猿投はその言葉を反芻してみました。上野譲は何もかも調査した上で、自分に白羽の矢を当てたのだろうか、と疑問に思いました。

 上野譲の試作品を作ってみたいという欲望がありながら、会社に対してどう言えばいいのか悩みました。彼の依頼を受けても、お金が掛かることは想像できました。会社の承諾なしに、お金を使う事は出来ません。お金を引き出すには稟議書を書かなくてはなりません。金額が膨らむと、それ相応の理由と枚数を稟議書に認めなければなりません。上野譲は「極秘だから」それを書くな、と言っている事になります。お金が個人で自由になるほど、会社は甘くはありません。だからと言って、断れば大事な取引先に悪印象を与えかねません。そうなるとT 電気からの納入を自衛隊が断って来る可能性がありました。

 猿投のもとに上野譲からの電話が何度も入りましたが、「いまは検討中です」と曖昧な返事をしました。しましには居留守を使う事もありました。

 何日か悩んだあと、猿投は常務に電話しました。

「先日、依頼された自衛隊の件ですが」

「ああ、あれはどうなった?」

「電話ではお話しできないのですが、お会いできませんか?」

「ふむ。いいだろう」

 常務と約束した日に、猿投は本社を訪れました。役員室の常務の部屋に入って、猿投は初めて役員と面談しました。彼が入社して9年目で初めての事でした。

「上野譲と言っていたね。彼はなにを依頼して来たんだ」

「図面を見ても、具体的には詳しくは分からなかったんですが、なにか世間を驚かすくらいのものだと思います」

 猿投は、「極秘」という事が頭の隅にあったので、自分も現段階では理解できない事にしました。

「なにか分からないのか」

「はい、そうです」

「それは困ったな」

「しかし、世の中が変わるくらいの感じがします」

「なにか分からないのに、なぜそれが言えるんだ!」

「図面を見た感じでは―メモに毛が生えたような図面ですが、今までに見たことのないような物を感じました」

「どうしたものかなぁ。今は自衛隊と大事な案件を抱えている。数10億円の取引だ。いまは依頼されたものを無下に断ることは避けたい。とりあえず引き受けてみたらどうだ」

「引き受けるのは簡単ではありません。お金が掛かります」

「どれくらいだ」

「数10万円か、場合によって100万円は掛かるかもしれません」

「わかった。請求書はこっちへ回してくれ」

 常務の言質をとったので、猿投は上野譲の依頼を受ける覚悟を決めました。

 

 休日に、猿投は朝早くから、家の中のあちこちをひっくり返して、大学院時代のノートを探しました。家族には仕事で必要だから、と胡麻化していました。部屋から部屋を探しまわっても埃にまみれたどうでもいいような記憶しか出てきませんでした。だが猿投は「捨ててはいないはずだ!」と、必ず見つかるという確信がありました。彼は古い記憶を辿りながら、引き出しや箱をひとつひとつ引っ張り出しました。日中探しまわって、夕刻になってやっとノートを見つけ出しました。猿投はその古びて日焼けしたノートの埃を払いながら、ページをめくっているうちに、かつての自分がそこに生きているようにかんじました。お腹が空いて食事と摂らなくては、と思いながらもう少し、もう少しとやるうちに食事の事はわすれてしまった経験がありました。のめり込んでいたころの自分のパワーと情熱、それが懐かしく、あの苦しさをまたやるのかと言う恐れ、登山者が山を前にして登る辛さからくる重苦しさ、それに反して頂上までどんな困難が楽しませてくれるのか、苦しさと期待とのせめぎ合いが続きました。これからの挑戦への期待が胸の中で膨らんで来ました。のめり込んできて、妻が夕食の催促をしても気がつかないほどでした。何度目かの妻の声には苛立ちが混じっていました。

 上野譲は焦れたのか、とうとう予約もなしに工場へやって来ました。守衛室から上野譲が来場している旨の連絡があり、猿投は常務の承諾もあり、直接来られては断ることも出来ないと判断して、面会することにしました。

 彼を応接室に通して、挨拶を交わしたあと、単刀直入に言われました。

「ご決心はついたでしょうか?」

「一応、常務の承諾を得ています。常務にはこの試作品の極秘性は明かしていません」

「ありがとうございます。それではお引き受けしてくださると考えてよろしいのでしょうか?」

「はい、お引き受けいたしますが、疑問があるのです」

「どういう事ですか?」

「なぜ私がこの試作品の研究をしているのがわかったのですか? それに再三、私に試作品を作る使命のような事をおっしゃっていました。それが知りたいのです」

「それは極秘と思ってください。種を明かす訳にはいきません」

「ニュースソースは明かせないと言う事ですね」

「まあ、神様からの啓示だと思ってください」

 猿投は大げさだと思いましたが、それだけ秘密は明かせないのだと感じました。

 一旦、腹が据わると、山のような報告書や稟議書などの書類仕事を手早く片付けていき、試作品の設計に取り掛かりました。図面のどこに何を置くかを考え、素材の計算などをどんな公式を当てはめるかを考えるのは設計者のセンスが問われます。複雑にするのは簡単です。いかにシンプルで分かりやすく書けるかがキーポイントです。そこに美しさを感じていました。美しくないものは設計図ではないと思っていました。久しぶりに感じる、この胸の高鳴りは、大学院時代を彷彿とさせました。猿投は峻険な山を登り始めたと思いました。それは3000m級、4000m級以上の山で富士山よりも、エベレストよりも高いはずでした。

 上野譲のノートには、猿投が疑問に思っても解けなかった数式が書かれていました。ある疑問にぶつかるとそれに対する数式が現われ、次の疑問が生じると新たに数式が現われると言う形で次々と解答していきました。毎日が新鮮な驚きで、学生時代の謎が「なんだ、こういう事だったのか」と次々と解明されていくようでした。猿投は自分でも、何かゾーンに入ったような感覚に陥り、取りつかれたように設計に没頭しました。1日が24時間では足りなくて、職場でも家庭でも設計に取り組みました。その甲斐があってか、3か月後には設計図が完成しました。


 試作品の心臓部というべきところに、ある部品が必要でした。

 設計の途中からその部品を作るには、岡山の建部製作所の力を借りるしかないと思いました。かねてから彼は建部製作所の技術力を高く評価しており、試作品の完成には不可欠だと思いました。猿投は、完成した設計図を持って、岡山の建部製作所に行きました。岡山のその会社まで行って、社長の増田に図面を見せたとき、「超電導ですか?」と聞かれました。初老といってもいい年なのに、増田社長は図面を見ただけで核心をついてきました。 そこまで洞察できるのは技術力が高い証でした。

「わかりますか、さすがですね。でもこれは極秘にして欲しいのです」

「当然です。わが社は試作品などの特別な制作依頼が多いので、秘密保持を厳守しています。その点は安心してください」

「これは作ることは可能でしょうか? とても小さな精密部品なのですが」

「精査してみないと分かりませんが、この構造なら、超電導の特性を最大限に引き出せそうな気がします。ただ、これには指定された物以外に、特殊な素材が必要かもしれません」

「特殊な素材ですか、どんなものですか?」

「幸い、当社には試験的に確保している素材がいろいろと在庫があるので、それぞれ試してみましょう」

「それは助かる。素材までは検討もつきませんでした」

「これは社会や産業を大きく変え得る部品になりそうですね。そんな予感がします。技術者の予感と言えばいいのでしょうか」

「私もそう思います。いや、革新できると思って設計しました」

「期限はいつまでですか?」

「とくにはありませんが、出来るだけ早く、という事です」

「早いに越したことはない、という事ですね」

「そうです。それでお願いします」

 1か月後、建部製作所から部品が送られて来ました。猿投は待ち遠しく思いながらも、意外に早かったと思いました。その梱包の中に、240万円の請求書が入っていたので、それを常務に転送しました。


 ある日、猿投が社員食堂で昼食を摂っていたとき、数人のグループが同じテーブルに座ってきました。スーツ姿と言い、話の様子から察するに、営業課の人たちだと思いました。猿投は食事しながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていました。

「老舗のW電気卸会社が倒産したらしいね」

「それも計画倒産の噂が流れている」

「商品はかなり納品した?」

「エアコンが50台、大型液晶テレビが30台だったかなぁ。セールをやるからって納品したけど、代金は回収出来てない」

「倒産するつもりなのに、セールの名目で商品を入れて売り、代金を払わないのか」

「そうなんだよ、担当の営業係が商品と資金回収に走りまわったけど、倒産した。セールで売ったお金は借金の支払いに充てたそうだよ。それで計画倒産ではないか、と調べているそうだよ」

「自腹を切るつもりなのか?」

「まさかと思うけど、そうなるとたいへんだね」

 営業職はたいへんだと猿投は思いながら、研究職という今の立場でよかったと思いました。彼らの話は続いていて、その中のひとりが「常務が音頭をとっていた取引が失敗したらしいね」という話を耳にしました。


 猿投が試作品の製作に夢中になっているときに、建部製作所から電話がありました。部品の制作費が支払らわれてない、という事でした。常務に連絡を取ると、「なぜ、こんな高額の請求書が来ているんだ!」と一括されました。

 常務の激昂に、猿投は食い下がりました。

「常務ご自身が『費用は回して構わない』とおっしゃいました。」

「そんな事はひと言も言ってない!」

「いえ、たしかにおしゃいました。それで請求書をまわしました」

「そんな事、いう訳ないだろう。バカ」

 常務は電話を切りました。1週間後に、その請求書が猿投の元に送り返されて来ました。

 猿投は上野譲になんとか頼み込もうとしましたが、その矢先、自衛隊のヘリコプターが沖縄で墜落したニュースが報道されました。死亡した隊員の中に上野譲の名前がありました。

 T電気では、相次ぐプラントやプロジェクトの失敗が深刻な問題となっていました。ノートパソコンの部品を大量生産して、各下請け会社に配分しました。猿投は、以前T電気が不正会計をした時の経緯を知っていたので、性懲りもなく、また同じことをするのかと思いました。それを知っていたので秘密裏に上野譲から委託された部品を忍び込ませ、建部製作所に送りました。不正などどこの会社でもやっているんだ、と猿投は開き直りました。

 建部製作所は、送られてきた大量のノートパソコンの部品を買い取り、決算が終わった時点でT電気へ送り返しました。梱包を解かずにそのまま送り返したのですが、T電気から連絡があり、「ノートパソコンとは関係ない部品が混入されている。伝票にもそれが明記されていません」とその部品が送り返されてきました。その部品は、以前、建部製作所が猿投から依頼されて作った部品でした。極小の部品だったので、中島技師も増田社長も見落としていました。

 転送伝票を見た増田社長は、

「2度とT電気の仕事はしない」

 と決意しました。

 今回はマスメディアも目を光らせていました。あるマスメディアがT電気の不正会計を世間に晒しました。建部製作所からの電話にびくびくし、会社にどう説明しようかと悩みながら、猿投は240万円の請求書を机の奥にしまい込みました。


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