【レティシア視点⑤】解呪
屋敷を追われた日のことは、鮮明に覚えている。
ラズベルトの切迫した声。
そして、遠くに聖騎士の姿ーー今度は、ラズベルトとレティシアを捕らえるために来たのだと、すぐにわかった。
裏口から馬に乗り、王都の路地を走りながら、レティシアはラズベルトの背中にしっかりと掴まっていた。
怖かった。
聖騎士が追って来たということは、神殿にこちらのことがバレたということだ。
(捕まったら……)
そう考えてしまう思考を、頭を振って追い払った。
弱気になっている場合ではないのだ。
二人がフィンの屋敷に着いたのは、夜が明けた頃だった。
フィンは、二人の顔を見て一言「何があった」と言い、扉を大きく開けてくれた。
説明を聞き終えると、「ここにいろ」とだけ言って、すぐに作業台に向かった。
(素っ気ないけれど、迷わず受け入れてくださるのね)
レティシアは、フィンの背中を少し眺めてから、椅子に腰を下ろした。
フィンがレティシアに向かって廊下の奥を指さし、「小部屋がある、使え」と言ってくれた。
ラズベルトと共に部屋に入り、扉を閉めた瞬間、レティシアの肩から力が抜けた。
椅子に腰を下ろした途端、膝の上に置いた手が震えているのに気がついた。
押し殺していた恐怖が、安心した途端押し寄せてきたように。
「レティシアさん」
ラズベルトが、レティシアの前にしゃがんだ。
「大丈夫じゃなくて、いいですよ」
その言葉に、レティシアは唇を噛んだ。
「貴方の前で、弱いところを見せたくなかったのですけれど……」
「僕の前だから、見せてください」
ラズベルトが立ち上がり、そっとレティシアを抱きしめた。
レティシアは、一瞬固まった。
それから、ゆっくりと背中に手を回した。
「……怖かったですわ」
声に出したら、少し楽になった。
「聖騎士の姿が見えたとき……身がすくんで……」
「はい」
ラズベルトは、何も言わずにそのまま抱きしめていてくれた。
怖かったという気持ちを、誰かに受け取ってもらえたことが、嬉しかった。
「すみません……僕の問題にあなたを巻き込んで……」
「いいえ」
レティシアは、すぐに首を横に振った。
少し身を離し、ラズベルトを見上げる。
「あなたに付いていくと決めたのは私ですわ」
それは、本当のことだった。その選択に、後悔は一つもない。
「……ありがとうございます」
「いいえ……一緒に領地に帰りましょうね」
ラズベルトが、もう一度抱きしめてくれた。
窓からは、王都の朝の光が差し込んでいた。
(帰りましょう。必ず)
レティシアは、静かにそう思った。
***
フィンの屋敷での三日間は、穏やかなものだった。
身を隠すため外出は出来ないが、ラズベルトが毎食何かを作ってくれた。フィンの屋敷の食材は最低限のものしかなかったが、それでも毎回美味しかった。
フィンは最初「また作ったのか」と呆れたように言っていたが、皿は毎回空になっていた。
(素直じゃないですわね、フィン様も)
レティシアは、素直じゃないフィンの態度にそっと微笑んだ。
三日目の夜、眠れずに中庭に出ると先客がいた。
ラズベルトだ。
「眠れないのですか」
「レティシアさんも?」
「ええ」
隣に立ち、同じように夜空を見上げた。
しばらく、黙っていた。
「あの……アレクシス殿下について、聞いても良いですか」
ラズベルトが、少し迷うように言った。
「もちろんですわ」
(聞きたかったのね、ずっと)
明日、初めて正面から向き合う双子の片割れ。
気にならないわけがなかった。
しかし、レティシアに遠慮して聞くのを躊躇っていたのだろう。
レティシアは、夜空を見たまま語り始めた。
幼い頃からの婚約のこと。打ち解けることができなかったこと。学園に入ってから、アレクシスが少しずつ変わっていったこと。
話しながら、思ったよりも感情が揺れないことに気がついた。
(もう、整理がついているのかしら)
それとも、今隣にいる人のおかげで、過去のことが遠く感じるのかもしれない。
「……あの婚約破棄の場で、殿下が私に向けた言葉や目は……今思えば、あれは殿下本来の姿ではなかったのかもしれません」
「……」
「それでも、傷つきましたけれど」
レティシアは、小さく笑った。
「本人のせいではないとわかっても、傷ついた事実は変わりません」
「術によるものだから、気にしなくて良いとは、言わないのですね」
「それは、レティシアさんが感じたことを否定することになる気がして」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
その後、ラズベルトが「パッとしない感じ」と自分のことを言うので、レティシアは思わず笑いそうになった。
(そんなことはないのだけれど)
「少なくも私は、あなたの方が好ましいですわよ」
言ってから、恥ずかしくなって顔を横に向けた。
耳が熱かった。
***
翌日の魅了解除は、うまくいった。
腕輪の魔道具が術式の痕跡を記録し、ラズベルトが改良版の中和魔道具でアレクシスの術を解いた。
殿下の目に焦点が戻っていく様子を、レティシアは静かに見ていた。
正気に戻ったアレクシスの瞳には、大きな混乱と後悔が滲んでいた。「すまなかった」と頭を下げるアレクシスに、レティシアは、どう声をかければ良いか分からなかった。
「大丈夫です……今は」
小さな声で言って、ラズベルトの方をちらりと見た。
ラズベルトは、レティシアとアレクシスに気を使ってくれたのか、少し離れた場所にいた。
「幸せになりますわ」
「そうか……」
俯いたアレクシスから、透明な雫が落ちていた。
◇
アレクシスの解呪に成功したあと、レティシアとラズベルトは身の安全のため王宮に滞在し、事の顛末を見守っていた。
エルハルトの救出の知らせが届いたときは、本当に安堵した。ラズベルトが涙をこらえているのが見えた。
(良かった……)
ラズベルトが、ずっとエルハルトのことを案じていたのを、ずっと隣で見ていたから。
久しぶりに顔を合わせるエルハルトは、やつれた感じはあったが、ラズベルトを見た瞬間にパッと笑った。
(ああ、ラズベルト様に似ていらっしゃるわ)
笑い方が、どこか似ていた。
実の兄弟ではないが、やはり一緒に育ってきたからだろう。
レティシアは部屋の入口から二人の再会を静かに見守った。
(良かった。本当に、良かった)
ラズベルトの笑顔を見て、涙がじんわりと溢れた。
そっと涙を拭いながら、自分も微笑んでいることに気が付いた。




