【レティシア視点③】旅路
出発してすぐに、問題が発覚した。
馬に、一人で乗れなかったのだ。
乗馬の作法は習っていた。しかし、それは整備された馬場での話だった。山道を一人で操りながら長時間移動するとなると、全く別の話だ。
手綱を握ったまま固まってしまったとき、レティシアは自分が情けなくなった。
「……申し訳ありません」
声に出さずにはいられなかった。
「一緒に行くと言っておきながら、馬も一人で乗れないなんて……足手まといですわね、私」
(王都での動きのことばかり考えていて、こんな基本的なことを失念していたなんて)
悔しかった。
「足手まといなんかじゃないですよ」
落ち込むレティシアに、ラズベルトは、きっぱりと言ってくれた。
「レティシアさんがいなければ、王都でどこに泊まるか迷わなければなりませんでしたし、王都での動き方も全然違います。馬に乗れないくらい、どうにでもなります」
それから、手を差し伸べてきた。
「一緒に乗りましょう」
(一緒に……)
迷う間もなく、手を取っていた。
引き上げられ、ラズベルトの前に座る形になった。
(ち、近い……ですわ)
背中越しに体温が伝わってくる距離だった。
普段よりも近い距離に、レティシアの鼓動が速くなる。
(落ち着くのよ、ドキドキしている場面ではないのよ)
そう言い聞かせても、なかなか落ち着くものではなかった。
***
二日目の昼過ぎ、山の中の開けた場所で休憩を取った。
ラズベルトが、出発前に厨房で用意してきた携帯食を広げた。
「これは、なんですか?」
「旅の途中でも作れるものがこれくらいで……簡単なものですみません」
「いいえ、嬉しいですわ」
受け取り、一口食べた。
(美味しい)
旅の疲れもあってか、いつもより温かく感じた。
「ラズベルト様が作るものは、何でも美味しいですわね」
「本当ですか?」
「ええ。いつもティータイムを楽しみにしていましたもの」
言ってから、ラズベルト様が少し笑うのが見えた。
(ああ、笑ってくれた)
出発してから、初めて見た笑顔だった。
それだけで、レティシアの胸の中が少し緩んだ。
山の中で、木漏れ日が揺れていた。
(やっぱり、ラズベルト様には笑顔が似合いますわ)
あらためて、そう思った。
***
三日目の夜は、小さな宿に泊まった。
平民の旅人に見えるよう、服装を整えた。
慣れない格好に最初は戸惑ったが、身につけてみると不思議とそれほど違和感はなかった。スカートの丈がドレスよりも短く、フリルやレースがない分、動きやすかった。
食堂でラズベルトと夕食を取りながら、道中で耳にした話を整理した。神殿の動きが活発になっているという話は、気になった。
「早めに動いた方が良さそうです」
「ええ」
答えながら、レティシアはふと思った。
(王太子の婚約者だった頃には、こういう話をする機会はなかったわ)
当時は情報を集めることはあっても、誰かと対等に話し合うことはほとんどなかった。それが今は、ラズベルトと向かい合って、次の動きを考えている。
(悪くない、と思ってしまうのは、おかしいかしら)
状況は決して楽ではないのに、不思議と前を向けていた。
***
四日目、馬車に切り替えた。
座席に腰を落ち着けた途端、体の力が抜けていくのがわかった。
「……随分と楽ですわ」
「そうですね。もう少し早く切り替えれば良かったです」
「いいえ、山道では仕方ありませんわ」
揺れる窓から外を眺めながら、レティシアは口を開いた。
「ヘルマン領に戻ったら、馬に一人で乗れる練習をしますわ」
「練習、付き合いますよ」
言ってから、少し経って気がついた。
(ヘルマン領に戻ったら、と言ったのね、私)
当然のことのように口をついた言葉だった。
(いつの間に、帰る場所になっていたのかしら)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
必ず帰らなければと、あらためて思った。
***
五日目の夕暮れ、王都が見えてきた。
「久しぶりの王都ですわね」
口に出してから、自分でも意外だった。もっと複雑な気持ちになると思っていた。
「……懐かしいですか?」
「どうでしょう。あまり、良い思い出ばかりではないので」
それ以上は言わなかった。
(でも、今は違う)
あの頃のレティシアは、一人で王都にいた。隣に誰かがいても、本当の意味で隣にいる人はいなかった。
今は、ラズベルトがいる。
(それだけで、ずいぶん違うのね)
レティシアは、窓の外の王都をもう一度見た。
遠くに城の塔が見える。かつて息を詰めながら過ごした場所が、今は少しだけ違って見えた。




