43 ヘルマン領へ
事態が落ち着くまで、王宮の客室で保護されていたラズベルトたちだったが、教皇オルドが捕縛されたことで、安全が確保された。
「明日、出発するよ」
「そっか、俺は少し休んでから戻るから、父さんたちによろしく言っといて」
石牢の中で日々鍛錬をしていたらしいエルハルトだったが、長期間による狭い空間での生活や限られた食料で身体は弱っていた。
「やっぱり、一緒に帰った方が良いんじゃない?」
「大丈夫だから、帰ってろ。父さんと母さん……特に母さんは心配してるだろうから、帰れるなら早く帰ってやって」
「……うん」
後ろ髪を引かれる思いだが、母が心配しているのは確かなので、ラズベルトは頷いた。
「待ってるよ」
「わかってる」
それだけ言って、エルハルトはひらひらと手を振った。
元々、身体を鍛えているエルハルトだ。数日もすれば体力は戻るだろう。一緒に帰れないのは残念だが、ラズベルトたちは一足先に領地に戻ることにした。
馬車に乗り込む前、ラズベルトは一度振り返った。
遠くに見える街並み、そして王宮。
(……色々あったな)
卒業しヘルマン領に戻ってから、色々とあった。
レティシアとの婚約、神殿と隣国による陰謀、そして出生の秘密。
(モブに転生したはずだと、思ってたんだけどなぁ)
薄っすらとした前世の記憶で、ここが乙女ゲームっぽい世界だとわかったとき、ラズベルトは絶対にモブだと思っていた。
それが、がっつりと悪役令嬢や攻略対象者と関わることになり、更にモブにあるまじき出生の秘密。
(まあ、僕はこれからも、平穏安寧を目標に領地で暮らしていくけどね)
王子として名乗りをあげる選択も用意されていたが、ラズベルトはそれを辞した。そもそも、王子なんて柄ではない。
「ラズベルト様」
レティシアが、少し心配そうに隣から声をかけてきた。
「行きましょうか、レティシアさん」
ラズベルトは軽く頭を振ったあと、レティシアの手を取り馬車に乗り込んだ。
***
馬車の中から、見慣れた山の稜線が見えてきた。麦畑の黄金色が、遠くに広がっている。
(やっと、帰ってきた)
ラズベルトは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「綺麗ですわね」
レティシアが、窓の外を見ながら言った。
「王都より地味ですけどね」
「そんなことありませんわ。私はここが好きですわよ」
そう言ってレティシアが微笑んだ。
それが、じわりと嬉しかった。
「僕もです」
屋敷の門をくぐると、母が飛び出してきた。
「ラズベルト!」
ラズベルトが馬車から降りるより早く、母が駆け寄ってきた。
「ただいま、母さん」
「……遅かったじゃない! 心配したのよ、どれだけ心配したか!」
母は泣きながら怒っていた。
ラズベルトは苦笑しながら、母の背中に手を回した。震える身体が、心配の大きさを表していた。それほどまでに心配をかけていたことに申し訳なさと、ラズベルトを本当の息子だと思ってくれていることに嬉しさを感じた。
「ごめん。でも、約束通り帰ってきたよ」
「当たり前でしょう! 約束したんだから!」
母はしばらく泣いてから、レティシアに顔を向けた。
「レティシアさんも、無事で良かったわ」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
レティシアが、丁寧に頭を下げた。
父は、門のところに立っていた。
ラズベルトが近づくと、父は短く言った。
「無事で良かった」
「……はい」
父は、それ以上何も言わなかったが、その瞳は安堵の色を浮かべていた。
夕食は、にぎやかだった。
屋敷の者たちも、ラズベルトとレティシアの帰還を喜んでくれ、屋敷の中は華やかな雰囲気に包まれていた。
テーブルに並ぶ料理は、どれもラズベルトの好物ばかりだ。
レティシアも、父と母と穏やかに話している。
(こういう景色が、好きだな)
ラズベルトは、その様子を見ながらそう思った。
***
夕食の後、ラズベルトは一人で庭に出た。
夜風が涼しかった。星が出ていた。
しばらくぼんやりと眺めていると、小さな足音が近付いてきた。
「また、夜空を見ているのですか」
レティシアだった。
「癖になってしまったかもしれないですね」
「ふふ、王都よりもキレイに星が見えますわね」
レティシアは、ラズベルトの隣に立った。
しばらく、二人とも黙って夜空を見ていた。
「レティシアさん」
「はい」
「一緒にいてくれて、ありがとうございます」
レティシアが、ラズベルトを見た。
「王都でのことですか?」
「それもあるけど……ヘルマン領に来てくれて、ということです」
レティシアが、少しだけ目を見開いた。
「突然婚約が決まって、見ず知らずの家に来させてしまって……大変だったと思うんですけど」
「確かに、はじめは戸惑いましたし、不安でしたわ」
レティシアが、少し笑った。
「でも……来て、良かったと思っています」
「……本当ですか」
「本当ですわ」
レティシアが、真っ直ぐラズベルトを見た。
「貴方に会えたので」
ラズベルトは、予想していなかったレティシアの言葉に一瞬息を詰めた。
それから、言葉を選ぶように口を開いた。
「僕も……レティシアさんに会えて、良かったです」
レティシアが、照れたように視線を逸らした。
その姿に、愛しいと感じた。
ラズベルトは、少し迷ってからレティシアの手を取る。
レティシアが、ぴくりと動いたが、逃げなかった。
「……一つ、聞いてもいいですか」
「なんですの」
「レティシアさんは、これからも……ここに、いてくれますか」
レティシアが、ラズベルトを見た。
少し驚いたような目だった。しかしすぐに、その目が柔らかくなった。
「……もちろんですわ」
小さな声だったが、揺るぎなかった。
「ここが、私の家ですもの」
ラズベルトは、繋いだ手を少しだけ強く握った。
レティシアも、握り返した。
夜風が、二人の間を静かに通り過ぎた。
星が、変わらず瞬いていた。
ここが、ラズベルトの場所だ。
この場所で、レティシアと穏やかに生きていく。
それだけで、十分だ。そう思った。




